薄雪草 さんの感想・評価
4.1
物語 : 4.0
作画 : 4.0
声優 : 4.0
音楽 : 4.0
キャラ : 4.5
状態:観終わった
キミには、スイートを。
私なら、そう言いたいかな。
君と、食べたい。
君と、過ごしたい。
私と、そうなってほしい。
でないと
なんだか、勝手が悪すぎるんだもの。
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"君の膵臓をたべたい。"
思わず目を引かれるタイトル。
一世を風靡し、まさに時代の寵児にもなった作品です。
数字はと言うと・・・。
書籍は、300万部(累計。2020年8月)
実写映画は、35億円(日本映画製作者連盟)
本作は、5億円(キネマ旬報、2019年3月下旬特別号 p.69)
アニメはやや低調でした・・・。
書評欄やレビューサイトでの評価が大きく割れていたからでしょうか。
良しにつけ悪きにつけ、その影響を受けてしまったのかもしれません。
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生を謳歌しようと無理を振るまう伸びやかな嬉しさ(というよりも素の自分を見てほしかった?)。
日記の置き忘れを、さも偶然と設えて、ステディなお付き合いに期待を寄せたくなるのも乙女心?
(どことなく「四月は君の嘘」のトレース?なんて感じもしますが、中学生よりも大胆な演出もあります。)
見た目はどんなに健康的でも、あたかも時限爆弾を抱え込んでいるのが、内部疾患です。
周囲への説明も疲れてしまうし、するだけ理解もされにくい。
行動制限もあれば、コミュニケーション以前の苦しさもあります。
「君はいつだって明るくて、元気いっぱいだね。」
~ でも、あなたと同じようには歩めないの。~
「それは・・・やるせないね。」
~ ちょっと、切ないです ~
こんな会話も、片方ではあるのです。
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とは言え、いかにも唐突な幕切れは、意外性よりも違和感の方を強く感じました。
悲哀のカタルシスを高めるにも、あの退場のさせ方は、どうにも後を引きました。
疼き続けた不具合の理由は・・・自らの意思で未来を手に入れよう踏み出した宮園かをりと、自分の意思とは無関係に第三者の手で未来を断ち切られた山内咲良との対比です。
これはどうなんでしょうか・・・。
でも、よく考えてみると、二人の少女は余命幾許もない存在です。
自分には時間がないと、本人には分かり切っていることなのです。
分からない?
知り得ない?
本当にそうなのでしょうか?
事件、事故、病気。
気象災害、紛争や戦争、孤独や分断。
ひいては隕石の落下まで??
軽く天寿を想定しても、想定外の出来事は、いつともなく、どこともなく、だれともなく、身近に潜んでいます。
そうした大風呂敷にも気持ちを馳せてみれば、人事を尽くしてもどうにもならないことが世の中にはたくさんあります。
であれば、身近な人ときちんと向き合っているのだろうかと、大切なことをまっすぐ伝えているだろうかと。
そんな問いかけも掬い取れそうな気がしています。
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物語のディテールは、陰極まりて陽となした咲良と、陽に触れても陰に留まっている春樹の交流です。
チグハグしてて、焦ったくて、もどかしくて、いかにもバランスが取れていません。
でも、核心部は、彼女を喪って、初めて気づきを得た春樹と、それを日記に託し、前へと歩きだしてほしいと彼に願った咲良のモノローグにあります。
決して取り戻せず、取り返しのつかない咲良の青春。
そんな生き方を春樹には選んでほしくなかった、選ばせたくはなかった。
否、だからこそ春樹を選んだんだと思います。
埋めるともなく過ごした何気ない日常がベストだった。
埋めあいもせず流れていく時間が、何よりの安息だった。
そこには、二人だけに共通する土台があったんだろうと思います。
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知っている人が殺されたなんてニュースだけでも一発ノックアウトなのに、ずっと傍らにいて共病するのもボディブローの無限連打です。
阿鼻叫喚できる相手がいるのなら、まだ感情を解き放てます。
でも、ひとり意気消沈しかないのなら、何を支えとし誰を頼りにして、悲しみをやり過ごせばいいのでしょう。
私なら、お葬式に参列できるかどうかまったく自信を持てません。
お葬式に来てね、なんてことも言えないだろうと思います。
このお話は、序章こそボーイミーツガールの体を見せていますが、中盤は、友人とも恋人とも言えないぎごちなさのオンパレードです。
終章に至っては、鬱展開の一辺倒となります。
であれば、その深い淵にこそ、本作の矜持が隠されているのではないでしょうか。
咲良が日記をしたためていたのも、そこに春樹との目的を定めて、母に託したように感じています。
日記からはじまり、日記に終わる。
二人を出会わせ、過ごさせ、未来を感じさせながら、いつかは託すことになると、咲良は最初から分かっていたのでしょう。
高校生の年代では、内面性を穿つようなシーンに出くわすとか、人間性をリカバリーさせる術とかを学ぶ機会は、なかなかないものだろうと思います。
この作品の方向性は、そうした当事者性を語らせるところに狙いがあり、アピールポイントを潜ませているように感じています。
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原作にもその章立てがあります。
けれど、文字からイメージを立ち上げるのは、いかんせん私の想像力の乏しさでは無理限界がありました。
どうしたって共感性がスポイルされてしまうのです。
その点、本作はアニメーションならではの表現に優れていて、ビジュアリティーが大いに広がりました。また、強く引き込む力もあったと思います。
実世界と精神世界とのはざま。
星、宇宙、溢れんばかりに咲き誇るサクラの成樹林・・・。
スクリーンいっぱいに、咲良の生きざまと、夢を叶えてきた歓びが描かれ、やがて彼女は、一本の幼樹に水を遣るのです。
それはとても楽し気なふうに・・・。
メルヘンチックな情景でした。
咲良らしいお別れの仕方。
春樹への感謝、深い愛念、爽やかなエールが、私にも伝わってきました。
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現世では、不器用を強いられる生き方の二人でした。
まるで、不幸をパッケージとして背負い込んできたかのようです。
でも、一冊の日記は、心に友綱を結び、杖を貸しあうエピソードを紡ぎ出しました。
共病文庫は、春樹がいての咲良の綴り。
死を生として迎え、生が死に優るものとして、懸命を共にしてきた名残だったのですね。
今の私は、そんなふうにすっかり落ち着いています。