「平家物語(TVアニメ動画)」

総合得点
77.5
感想・評価
350
棚に入れた
1099
ランキング
619
★★★★☆ 3.9 (350)
物語
3.9
作画
3.9
声優
4.0
音楽
3.8
キャラ
3.8

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ネタバレ

薄雪草 さんの感想・評価

★★★★★ 4.8
物語 : 5.0 作画 : 5.0 声優 : 5.0 音楽 : 4.5 キャラ : 4.5 状態:観終わった

祇園精舎に浄玻璃(じょうはり)の音、響くなり。

「平家物語」というと、国語または古典の教科書というのが "入り口" です。

初発は、明治13年。
和漢混交文の教材として登場しました。
当時は、漢文学習が最高位の扱いでしたが、時代の要請もあって、国語の文字を書き取ることを目的に、かな文を混ぜるようになりました。
いわゆる文語体です。

たとえば、森鴎外の「舞姫」に「一盞(ひとつき)のカツフエエ」なる文語体がありますが、何のことだか難しいですね。
口語体だと、難なく「一杯のコーヒー」となります。
漢文ではどう書くのでしょう?

次いで、明治41年。
言文一致運動の広がりに伴って、教科書の役割は、書くことから、文の意味、論理性、イデオロギー性を読み取ることが主流になります。
つまり、物語の内容の理解や解釈が、学習の柱になったというわけです。

その頃の平家物語の扱いはというと "自己犠牲や忠義" を教える材料でした。
具体的には「鵯(ひよどり)越、忠度都落、倶利伽羅峠、弓流し」などです。
勇猛な戦闘行為を、朗読・記述したり、志向することが推奨されていたわけですね。

昭和20年。
敗戦により平和国家主義が標榜されたことで、教科書に「祇園精舎」が登場します。
平家=祇園精舎=無常、悲劇、喪失。
そんな公式めいた印象が記憶に刻まれているのではないでしょうか。

平家物語には様々な要素・エピソードがあり、歴史ものとしても一級品です。
大河ドラマにも、軍記ものとしてしばしば取り上げられていますね。
とまれ、平家物語は、戦前戦後を境にして、文化的理解とその土壌に大きな違いがあると思われます。

ひとつ留意すべきことは、平成の時代に『古文漢文』が選択科目となっていることです。
歴史文学の言辞の美しさ、琵琶語りの豊かな音楽性、もののあはれの神髄や多様性などに触れうる未来性が削がれる歯がゆさを感じます。
つい目先の刹那に追われ、刻々に流されてしまっては、『諸行無常の響き』に昵懇できる "俺お前の仲" も危ぶまれそうです。

悠久の歴史こそ日本文化の基底を成すもの。
800年を超えて語り継がれる平家物語ですから、本作を入り口にして、もう一度アプローチしてみるのもいいかもしれません。

~ ~ ~ ~ ~

平曲。
いわゆる琵琶法師が歌う物語です。
歴史的には「平家」と呼ぶのが正式なのだそうです。(平曲には、もともと別の意味があります。)
また、もとは法師が語り歩いたことから、歌うよりも、語ると呼んだほうが適切らしいです。

13世紀末の『普通唱導集』という本に、琵琶法師が語ったとの記載が見られます。
14世紀には、明石覚一という名人が出て、いわゆる「覚一本」というバージョンものがあり、これが今の主流の一つです。
この覚一本は、彼の語りを後世に残すために作られたとも言われています。先人の皆さん、GJです!

教科書ですと、読むことから始めますので読本という感覚が強いですが、そもそもは法師による語りであり、それは平氏滅亡への "鎮魂歌" でもありました。
今は、その流儀は名古屋に伝承されていて、1955年に「記録保存の措置を講ずべき無形文化財」にも指定されています。(ちなみに津軽にも伝承があるそうです)。

もとより芸能は、師から弟子への直伝が基本。
これを支える方策(演奏機会の確保、恒常的な稽古の機会づくり、書記的な伝承手段の改訂など)が課題です。
外国の方も弟子として参加なさっていらっしゃるようですが、万一伝承が途絶えてしまうと、取り返しのつかない損失となるでしょう。

語りに興味のある方は、CD、DVD、演奏発表の機会(年に数回)もありますので、生きているうちにいかがでしょう(文化も、視聴者も)。
手頃な文庫本もいろいろ出版されていますし、口語文なら読みやすく理解もはかどると思います。
物語の解釈も、作者ごと、出版時期によっても微妙に色合いが違っていて、ニュアンスにもそれぞれの面白さが楽しめると思います。

お友だちのレビュアーさんから本作を教えていただいて、すぐに吉村昭氏本(講談社)を読みました。
本作は、古川日出男氏本(河出書房)を原案に、監督・山田尚子氏、脚本・吉田玲子氏の解釈や演出が随所に見られるとのこと。

京アニのカルチャリズムとは異なるそれが、どのような前衛と復古をみせてくださるか、楽しみでなりません。

~ ~ ~ ~ ~

今般、アニメ化されるにあたって、平家物語がこのような歴史的な背景を持っていること、今に伝わってきていることを、知りおいていただければと思い、徒然に書きとめてみました。


*タイトルの浄玻璃(じょうはり)とは、一義には、曇りなく透き通った水晶、またはガラスのことです。
二義に、閻魔さまが亡者を裁くとき、善悪の見きわめに使用する地獄に存在するとされる鏡という意味です。
亡者がその前に立つと、生前の行いが余さずつまびらかになるという超ツール。

祇園精舎の鐘の音は、人の内面を糺すべく発せられるというわけですね。



観終わりました。

{netabare}
日本のあちらこちらには平家の落人伝説があって、あるご縁でしばらく郷土史に耽ったことがあります。
いつごろ、どこから来て、何をしたかといことが関心事でしたから、どちらかというと叙事詩的な視点だったろうと思います。
もちろん "誰" ということは端から分かりませんから、抒情性を求めるなど夢にも思いませんでした。

縁戚の方の案内で、山合いの寺院、あるいは家系などの「古伝・俗伝」を辿りました。
それらは初見の場所でしたし、糸を手繰るような手合いでしたから、今ではもう記憶はおぼろげになり、いずれは消え失せていくものかと思うと、「平家」が800年も継承されてきた心気に驚きを禁じ得ません。

前述のように、13世紀には語り部の存在が一次資料に残っています。
徳子が亡くなったのは、1214年1月とされていて、59歳のころです。
壇ノ浦の戦いが、1185年4月25日ですから、29年ほどの生涯があったでしょう。
そんなことを想うと、徳子の祈りを傍らに訊いていたのは、本当に "びわ" だったのかもなんて空説に遊んでしまいます。

少なくとも私は、叙事詩としての「平家」を足に踏んでいますが、抒情詩を謳う「アニメ・平家物語」は空前です。
本作は、花をメインにしつつ、さまざまな演出がありましたので、その意味を学び、含意を想像しながら、解釈を膨らませていました。
また、キャラの細やかな所作にも、当時の文化を重ねながら、境地や覚悟など、彼らの心情に寄り添おうともしました。

山田監督がおっしゃるように、リリシズム(抒情性)に主眼を置かれた「平家物語」でありますので、"びわ" の心気を頼りにして、零落する平家の心意気に折々触れてきた3か月間でした。

まもなく迎える弔いの春は、837年めとなります。
五色の糸に仏道の救済を祈った徳子の末期が、この上なくもの悲しく胸に深く迫りました。
今も寂寥を響かせる琵琶の音色に耳を傾けつつ、なおしばらくは本作の余韻に浸ってみようかと思います。
{/netabare}

投稿 : 2022/04/26
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サンキュー:

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