エイ8 さんの感想・評価
4.9
物語 : 5.0
作画 : 4.5
声優 : 5.0
音楽 : 5.0
キャラ : 5.0
状態:観終わった
これほどまでによく出来たタイムリープものを他に知らない
『STEINS;GATE』(シュタインズ・ゲート、他表記:Steins;Gate)は、5pb.(現・MAGES.)より発売されている日本のテレビゲームソフト。2011年4月から9月まで、独立UHF局ほかAT-Xにて放送された。全24話。(wikipedia)
ネットの情報などによりゲームが面白いという話は聞いていて、それでも何となくスルーし、実際にPSPのソフトを買ったのは中古で1000円未満に値下がりしてから。そしていざゲームを始めてみたは良いものの序盤の猛烈なまでもの「ヲタ臭」に即効で耐えられなくなりそのままお蔵入り。これは無理、どうせネットの一部界隈での内輪ネタ過大評価作品。最初の感想はそんなところでした。
その頃はアニメをほとんど見ていないということもあってリアルタイムでは見ていません。後に放送される続編「ゼロ」との連動として再放送されたものを長らくHDDの中に貯めこんでいて、他に見るものもないししゃーないこれでも見るかといった感じで視聴したのはもうそれから何年もたっての事。流し見するつもりだったが当然の如くドはまり。慌ててゲームもプレイしなければ!と思い立ちPSPを起動しようと思ったら長年放置していたせいでバッテリーがパンパン。今となっては懐かしい思い出です。
さて、そんな屈指の名作「シュタインズ・ゲート」なわけですが、当時の人にはこの作品をフェアな目で視聴するためにはとある大きな関門がありました。それが前述した「ヲタ臭」。2ch(現在の5ch)にあるVIPという当時猛威を振るった板をあからさまにオマージュしたローカルネタと、それを更に圧倒する主人公岡部倫太郎の猛烈なまでもの「厨二病」設定。これらは当時お世辞にも世間様から好意的に見られていたノリというわけではなかったので全くの偏見なく視聴するには程度の差こそあれ困難を伴い、そのためそれなりに多くの人が序盤の序盤で挫折していったものと思われます。逆に言うとそれでも尚これほどの高評価を得ている作品といえるわけでもあるのですが、今からなら「懐メロ」或いはちょっとした民俗学的視点でもって視聴することができるんじゃないかと思います。あ~、当時はこんなんが流行ってたのか、みたいな感じである種のファンタジー作品として。
そういう意味では当時のリアルタイムのネットやアキバ文化をしってる方たちと今の方たちでは見え方が違ってくるかもしれません。昔は本当にリアルと地続きなところがあって、だからこそ圧倒的なまでもの人気を誇ったのでしょうが、今となってはそれもまた昔の話であって古臭いことは否めません。だから若い方々から見れば特にキャラ的な魅力は随分減退して映っていることが予想されます。
しかしその一方で、タイムリープとしての原理に関しては他の追随を許さないほどの完成度を誇っています。もっともハードSF作品ではないため物理学的な見地に立てばおそらく荒唐無稽以外の何物でもないという評価が下されるでしょうが、あくまでいわゆる「ガジェットSF」という見方をすれば相当緻密な論理的裏付けをもった作品となっており、現代の視点でも充分耐えうる出来栄えとなっていると考えられます。
タイムリープを扱った作品はどうしても論理的な矛盾をはらみます。当然です、そのような現象は不自然だからです。逆に高度な数学に基づいた場合直観に反する不自然な現象の方が正しかったりすることもあります。映画「アベンジャーズ/エンドゲーム」でハルクがよくわからん理屈でタイムリープの説明をしたシーンがありましたが、天下のMARVELのことですからどうせえげつないレベルのSF考察班のもと考えられた設定であると推測できるため、多分あれはあれで正しかったんだと思います、私には検証できないためあくまで推測でしかありませんが。
おそらくこの「シュタインズ・ゲート」においてはそこまで高度な数学は援用されておらず、むしろ一般レベルの論理性に合致する程度で設定がなされています。そして、だからこそそれをあーだこーだ「考察」できることも本作品の人気を支える魅力の一つとなっていると考えられます。
個人的にも当時結構ゴリゴリに考察しました。その結果明らかに矛盾と言えるようなところは一つしかないという結論がでたのですが、これは本当に脅威的なことでした。(それは何?と興味を持たれる方のため一応ネタバレとして記載しておきます。尚、この度このレビューを書くにあたり当時買ったは良いもののろくに読みもしなかった公式資料集を紐解いてみたところ、正直これは微妙だなと思えるよう設定がいくつか新たに見受けられました。ただそれについてはむしろ続編において顕在化してくる話のため、このことは「ゼロ」でのレビューに回します。また、これはあくまで個人的考察による結論であって絶対的な解答ではありません。当然の事ですが。)
{netabare}アニメでは出てこないシーンだがゲームにおいては天王寺綯が未来からタイムリープを繰り返してくるケースがある。その過程で綯はラボのタイムリープマシンを使うのだが、それにより綯がその場にいなくなるような世界の再構成が行われることになる。にもかかわらず、タイムリープマシンは「まだわずかに熱を帯びていた」。人一人いなくなるような改変が行われているにもかかわらずマシンには使用した痕跡が残るのは明らかに矛盾であると考えられる。(尚、「エリート」でこのシーンが修正されたかどうかは確認していない。){/netabare}
この作品で上手だったところは「アトラクタフィールド」というものを利用したことにあると思います。これにより多少の世界線の違いでは概ねあまり変わらないという理屈が使えるようになったのです。
そのお陰で世界線を越える自然な干渉が可能となりました。ラスト付近で同時刻にタイムマシンで往復したにもかかわらず岡部達がかち合わなかったのも0.000001~0.000003%程度の世界線変動が起こっているからと設定資料集に記載があります。これぐらいの差だと世界の状態にほとんど違いはないにもかかわらずタイムパラドクスが生じないという非常に便利な設定なのです。
これが多世界解釈に基づくパラレルワールドだとそうはいきません。仮に違う世界に行ったとしたら元の世界にはいなくなりますが、アトラクタフィールド理論では世界線の過去から未来に渡る全体的な再構成が行われることになるため元の世界線にいた人物と後の世界線にいた人物は本質的に同一の存在と言えるわけです。
もう少し違った角度からそれっぽい説明をしてみると、例えば仮に一つの「椎名まゆり」というイデア的な実体があったとすれば、多世界解釈においてはその影が無数の世界に存在することになります。一方のアトラクタフィールド理論においては、影はその世界線一つにしか存在しません。他の世界線は「可能性世界線」として可能態(デュナミス)的には存在していますが、それはスイッチがオフになった状態或いは暗幕がかかった状態となっており影は無い状態なのです。今、影を映している世界線だけが現実態(エネルゲイア)的に存在しており、ここだけが現実の世界となるわけです。
さて、ここまで物語に係る設定の一端だけをご紹介してみましたが、他にも重要な設定はたくさんあり、その多くがたいへん知的好奇心を刺激する考察しがいのあるものとなっています。アニメのレビューサイトである「あにこれ」でほとんどアニメの話をしない結果となりましたが、なにぶん過去の作品ですし既に他のレビュワーさんによる優秀なレビューがたくさんありますので、それに関してはどうかそちらをご参照に。