ナルユキ さんの感想・評価
3.7
物語 : 2.5
作画 : 4.5
声優 : 4.0
音楽 : 4.5
キャラ : 3.0
状態:観終わった
主人公にスポットを当てるばかりの単純な作品
作画、音楽、演技がトップクラスの高クオリティを示す「Key×P.A.WORKS」によるオリジナル作品の2作目。後に『神様になった日』を制作する陣営なだけあってやはり期待感募る冒頭には引き込まれるのだが、そこから焦らされる日常回と後半の急展開もセットでついてくる。
ただ本作は『神様になった日』よりは評価できる。まあつまり麻枝准氏の脚本は出る度に劣化しているという残酷な評価もしているのだが……ひとまず置いといてほしい(笑)
【ココがひどい:序中盤と終盤のつながりが感じられない】
いきなりではあるが終盤の展開をダメ出ししたい。
と書くのも、特殊能力者で構成された星ノ海学園生徒会の日常──そこに「他の能力者を保護していく」という目的が加わっている序盤──そして{netabare}主人公の妹が能力の暴走により死亡する{/netabare}中盤の衝撃がいかにも話が動いている風であり面白かったのだが、終盤がそれらとの因果関係を断ち切ってしまうくらいに「突き抜けて」しまったため、結果的に序中盤のシナリオにどこまでの意味があったのかが私には計りかねているからだ。
{netabare}序中盤と終盤の因果が切れてしまったのはやはりタイムリープが原因と考えられる。確かに「妹の死を覆すため」は過去に戻るのに十分な理由だろう。しかしその選択が妹の死から荒れに荒れて立ち直り受け入れた第7話や、サラ・ジェーンとの出会いが巡りめぐって友利の兄の快方に繋がった第8話を無かったことにしてもいて、そこに断裂を感じる。
サラはユウの記憶を引き出すための舞台装置でしかなかったのか?
最初のタイムリープ使用者はユウではなく兄なのに何故ユウが兄のタイムリープ以前の記憶を思い出す?
タイムリープを使ったことで誰がいつ何を知っているのかの情報整理が追いつかない──例えば兄はユウの『略奪』の能力を知っている筈なので、施設に軟禁するという展開は記憶を消して野放しにしていた序盤の状況と矛盾しているのではないか──?
といった疑問も付いて回るようにもなっており、本作でタイムリープを扱ったのは話を展開するにあたってあまり良い手法とは呼べない。{/netabare}
{netabare}11話の片言日本語マフィア登場もあまりに唐突であり、一本通しで観れば最終話の主人公の行動を動機付ける12話をやるためだけのお粗末な話としか考えられない。この話だけキャラクターがほぼ全員、不自然にマヌケにもなっていて負のご都合主義を感じてしまう。ユウは乗り移りを仕掛けたら高所から飛び降りたり敵の仲間を殴って混乱させたりしてたんだけどね7話までは。{/netabare}
まあ細かい粗を探すのは控えて書きたいことは、これら終盤でどれだけ新キャラを出してメインキャラである筈の高城とユサを空気にすれば気が済むのか。Key作品は前半コメディ後半シリアスが伝統らしいが、そんなものを守るためにメインキャラの出番を減らすというのは結局、その2人がムードメーカー以上の重要な役割やコメディリリーフとは違った側面を強くは持ち合わせていないキャラクターであることの証であり、序盤の3・4話はユサ(とミサ)に奇矯極まりない振る舞いを見せる高城に笑った私としてはそのキャラの浅さと12話でのお茶を濁すような2人の扱いにガックリと肩を落としてしまった。
{netabare}てかユウと高城の想い出って牛タンカレーしかねーの……うん、ねかったね(笑) {/netabare}
【ココもひどい:見せたいシーンが世界観をぶち壊している】
ではそんな高城やユサ(とミサ)の出番があった「生徒会の日常」は楽しめたかと訊かれると、そちらもいまいち没入できなかったのが正直なところだ。
特殊能力が宿った少年少女を裏組織や脳科学者たちの魔の手から保護する星ノ海学園。その生徒会の初期メンバーである友利奈緒と高城丈士朗(たかじょう じょうしろう)が進学校で能力を悪用していた乙坂有宇(おとさか ゆう)を確保、お灸を据えて星ノ海学園に転入させるのが第1話の内容である。つまり星ノ海学園生徒会は能力者を取り締まる「警察」のような存在だと自ずと視聴者に刷り込まれるわけである。
その状態で次話、何の免罪符も用意せずに「私の瞬間移動で列の横から商品をかっさらいます」はやっちゃいけないギャグだった。どんな能力で人にバレなかろうが“横入り”というのはマナー違反だし、高城の『瞬間移動』は周りへの被害がそれなりに大きく描かれている。その惨事やくだらない能力の私的使用をギャグとして見せているんだろうなとは思いつつも、能力悪用者を取り締まる生徒会メンバーという肩書きには相応しくないとも思えてしまえるような違和感を覚えた。
この1シーンで星ノ海学園では特殊能力者がどれだけ認知されているのかも気になってくる。「バレなきゃいい」として使って惨事を引き起こした高城の『瞬間移動』を見て購買の職員は溜め息を一つ。いかにも見慣れた光景であることがわかる描写だ。しかし周りは「なんだ!? 爆発か!?」と混乱しているわけで両者の反応は統一されていない。
本作の特殊能力者は裏組織や脳科学者たちから身を隠す「おたずね者」的な立ち位置の筈だ。だからこそ学園で能力を使っていいのかダメなのか。学外で能力を使っていいのかダメなのか。一般人に特殊能力の存在を隠さなければならないのか別にいいのかが非常に重要な要素と言えるし、第2話ということで視聴者は学園のシステム等、本作の“世界観”が非常に気になっている頃合いだ。そんなタイミングでロクな説明もなく特殊能力を使ったギャグを挿し込むと能力モノとしての世界観────序盤で友利が能力悪用者に向ける警告や圧力といったものの説得力がぼやけてしまうように思う。
【ココもひどい:泣きの展開が急ごしらえのものばかり】
「説得力がぼやける」と言えば後半のシナリオを伝統通りシリアスに切り替えることで毎話見せるようになったお涙頂戴シーン。賛否両論ある中で私もまた“泣きゲーのパイオニア”とも呼ばれる麻枝准氏の脚本にしてはその説得力が皆無だな、と感じてしまった。
{netabare}本当に色々なツッコミどころがある中で格別、急ごしらえに感じたのが12話ラストで登場した友利の「単語カード」である。海外へ発つものの英語力が低いユウのために彼女が拵えたものだが、最終話では記憶も判断力も喪っていくユウの心の支えになるという重要なアイテムとして描かれた。素直に観たら感動する、言わば「泣き所」なのだけれども、12話ラストで出てきた物を使って「さあ泣けよ」と詰められても普通は涙なんか出ないと思うのです(笑)
単語カードはそれこそ学生の内にしか使わない物なのだから序盤の学園生活パートで出してもっと思い入れの深いアイテムに出来たのではないだろうか?例えば友利が「テストは対策しとけば能力でカンニングなんてダサいことする必要ないっしょ」とか言って生徒会全員で勉強会を開けば、その最中に友利が単語カードを勉強で愛用していることがわかる、という伏線を張れただろう。妹の死の時は「甘いピザソースのオムライス」がちゃんとカギになってたのだから、最終話に向けてそのくらいの仕込みは出来る製作陣だろうに、そこだけ思い付かなかったのだろうか?それとも単語カード自体が単なる思い付きだったのだろうか? {/netabare}
【でもココが面白い:乙坂有宇の成長物語】
ここまで酷評続きであるが、どれだけ話が粗雑になっても「主人公の成長物語」という部分に魅力があり、そこに一切のブレが無かったのがこの作品の支持できる所だ。
ユウの悪辣ぶりを見せつけるため「だけ」に星ノ海学園とは別の学校、どう見てもモブではないが結局全然出番のなかった2人の女子高生キャラが用意されている。その第1話だけの舞台で彼の持つ特殊能力、彼のセコい人間性、そして妹にのみ見せる優しさなど全てを描写して主人公の「人物像」だけはちゃんと理解してもらおうとしている。ある意味第1話だけはものすごく丁寧かつ豪勢に作られていると言っていい。
1話だけでその人物像を豪勢に見せたキャラクターはその変化もまた全振りで面白い。ハッキリ書いてクズだった主人公は生徒会の活動で初めて(もしくは久しぶりに)他者を想うようになり他者との喜びを分かち合うようになる。そんな状況になってユウはふと思う。
{netabare}「僕ってこんな人間だったっけ?」
度々この自問が入ることで、さらにユウは自己評価の低い人間だということがわかる。その最高潮こそが第11話だ。突然裏組織と事を構えねばならなくなった一般人の心の叫びを内山昂輝さんが如実に演じている。
こんな自分に何かを成し遂げられるわけがない。
キャラクターにそう言わせたいがための唐突なマフィア登場だったのだろう。{/netabare}
{netabare}妹を喪った後の第7話の豹変ぶりも印象深い。他人を蹴落とし見下す男が唯一愛でていた最愛の家族。それを喪った時、男はもう誰も愛することが出来ない、自分さえも。
そう体現するかのような自堕落な放浪生活と他者への八つ当たりはネタ的に観てもいいが、やはり悲痛なものを感じさせた。{/netabare}
{netabare}そんな彼が自身の真の能力を知り、自身にしか為しえないこと────能力を奪うことによる世界の浄化を決意する。よくよく考えれば「思春期を過ぎれば能力は消える」という設定があるので何の緊急性も無いし、最終話では能力を人の役に立てている者もいてそんな人からも能力を取り上げるというものすごく独善的な行いをするのだけれども、あの自己中心的な主人公が他者への想いでそこまでの行動力を発揮する。これを“成長”と呼ばずして何と表現できるのか。諸々含めて「超展開」と揶揄される終盤でも少年少女による青い理想と実行に移すパワフルさには目を見張るものがあり、どこか「細田守作品」と同じ一般向けな匂いを感じ取れる。 {/netabare}
【他キャラ評価】
目時(めどき)、前泊(まえどまり)、七野(しちの)
主人公のユウは心理面がよく描けていた反面、それは他のキャラが全く活かせていないデメリットも強調することになる。
何が書きたいかというと、この3人必要あったか?と問いたいのだ。
勿論、各々『催眠』『記憶操作』『壁抜け』の能力者であり、これらなくして本作の物語はあらすじすら紡げないのだが、能力モノにありがちな「その能力を出したいから能力者を出す」ような浅いキャラ付けしかされていないのである。それは全員、下の名前すら判明してないことから納得していただけるのではないだろうか。
{netabare}まあ七野は一応わかりやすいキャラ付けがされているが、つまり「性格が悪い」と解釈していいだろうか。
「いざとなればタイプリープすればいい」という雑な作戦でユウを送り出すことを提案し、失敗したとはいえ片目を失って帰ってきたユウに対してキレ散らかす……もう少し提案者としての責任感を持たせてもよかったんじゃないですかね。 {/netabare}
乙坂隼翼(おとさか しゅんすけ)
『タイムリープ』の能力者であり、その代償である視力低下を押して濫用し盲目となったのだが────貴様、見えてるなっ!?
全盲なら全盲らしい振る舞いはリサーチしないと実際の視力障がい者に失礼だと思うんですよねぇ。最終話ではヘリコプターで颯爽と登場してるけど、目見えないはずなのにあんな乗り方できるわけないじゃん(笑)
{netabare}後は老科学者が「キミは頭が切れるが弟さんはそうでもないらしい」と暗に頭脳派であることが示唆されてるけども11話でその説得力が……(汗 12話で「日本の能力者は俺たちで抑えておく」とか言ってたが、正直最終話手前じゃなければそこでまた一波乱あったのではと考えてしまった。ぶっちゃけ頼りない(笑) {/netabare}
友利奈緒(ともり なお)
メインヒロインなだけあってこの娘だけはキャラが立っていた。ちょっと属性を盛り込み過ぎてどんなキャラか判りづらい部分もあるが、そこが「ミステリアス」という属性を生み出しているとも言える。
演出も独特で、ユウと二人きりの会話をする時に時折、喋っているのに彼女の顔が隠されたアングルに変わることで表情が見えなくなる。その時の心情を視聴者の想像に委ねるような魅せ方をしており、本作を観ていて彼女が気にならない人は出てこないだろう。
最期には等身大の女の子、大義を成して帰ってきたユウという男に惹かれる“彼女”として締めることで終始、魅力的な女性キャラクターとして描かれていた。本作に根強い人気があるとすれば、その大部分を支えているのが友利奈緒と言って差し支えない。
【総評】
賛否両論すさまじい作品であるが、私は主人公にスポットを当てただけの“単純”な作品だと評する。
様々な側面を見せる中に“悪”もしっかりと描写された主人公とそれを矯正し見守る母のようなヒロインの関係が王道的かつ独特な距離感も保たせて描かれており、この2人を大団円と共にゴールインさせたことで恋愛モノとしてなら出色の出来映えとなった。
しかし超能力がある世界を描き「能力者を助ける」という目的がある以上『SHUFFLE!』のように恋愛が本筋になることはない。そして大変偉そうなことを書くが主人公とヒロインを立たせるというのは物語においては至極当たり前の話であって、これはアニメ作品であるのだからもっと他キャラの掘り下げも満遍なく行うべきだった。メインキャラクターが5人いるなら5人全員が主人公かのようにその活躍を魅せる。評価の高い他作品はみんなやっていることだ。それを怠っているからこそ様々な人物の「思惑」というものが絡み合ってこないため、本作の脚本は主人公・ユウの物語である“だけ”だと言いきれてしまう。
本質は単純なのにタイムリープや裏社会などの要素を取り入れるなど複雑怪奇に魅せようとする姿勢がむしろ狡く感じた。そしてことごとく上手くいっていない。前半と後半の断裂感を反って助長させており、前半のコメディな雰囲気が好きだった人は後半の急展開に納得がいかなくなる。そんな不満から脚本の粗も目につきやすくなりこれだけの批判も生まれてしまったのだろう。
幸い、批判でも感想には違いないため本作は感想件数がとても多く、総合ランキングでは決して恥ずかしくない順位に収まっているようだ。絵も音楽も高水準で演技もバッチリ。面白そうな雰囲気だけは大きく醸し出されているのでなんだかんだ最期まで観れる出来だったことが一因か。
しかし肝心のストーリーに「積み重ね」や「因果」といったものが感じられず、途中で飽きてしまうというよりかは最終話まで観て「時間をムダにしたかな」と思ってしまうタイプの駄作であった。散々に時間をかけて昭和の感動を見せてきた『神様になった日』よりはマシなのだが、やはり「どのタイミングでも11話のような事件を起こして12話で決意、そして最終話という流れに持っていけたのでは?」という疑念が主人公・ユウの成長物語として加味しても“薄っぺらい”印象を覚えてしまったのが正直な感想である。
{netabare}最終話自体は悪くなかったんだけどね。敢えてご都合的な超常現象で能力を回収するのではなく主人公自身の“あんよ”で苦しみながら、壊れながら地道に世界を巡る。「特殊能力は病気なんです」ということに説得力を1クールで持たせることが出来ていれば素直に感動できたと思います。{/netabare}