エイ8 さんの感想・評価
3.9
物語 : 3.5
作画 : 4.5
声優 : 3.5
音楽 : 4.5
キャラ : 3.5
状態:観終わった
結局霊感あるの?ないの?
『四月は君の嘘』(しがつはきみのうそ)は、新川直司による日本の漫画。アニメ化作品が2014年秋から2015年春にかけて放送され、2016年に実写映画化された。(wikipedia)
あにこれ2014年秋アニメランキング1位、現時点で総合得点91.6点、総ランキングにおいても23位という上位に入る人気作品。ただ、個人的にはあまり評価できない作品。
基本的な作品の質自体は悪くないと思った。ユーモアもロマンスも上手で、作画も安定している。示唆された伏線もちゃんと回収しており、中だるみすることなく最後まで駆け抜けている。
その一方でややゴールが早すぎるとも思った。きっちりと2クールでまとめあげたと言えば聞こえはいいけど、サブキャラ周辺の事情を必要最低限以上掘り下げることなくぱたっとラストを迎えたなあ、と。(ここで言うサブキャラとは井川や相座らピアノ関係者の方です。キャラ設定自体は割と練り込まれている反面、それをあまり展開させることなく終わったことが逆に物足りなさを感じさせたのかも。)潔いと言えば潔いのだが、本当に主人公のキャラを固めるためだけに出てきたような感じがして少しもやっとした。(ひょっとして原作ではもっと掘り下げていたのだろうか?だとしたらごめんなさい。)
大多数から評価を得られてる中で若干目にする苦言が、宮園かをりの渡亮太に対する扱いだ。あからさまに目くらましのためだけに使っており、確かにあまり褒められた行為とは言えないが、もうすぐ死ぬかもしれない身である彼女からすれば「それぐらい大目にみんかい」ぐらい思っててもまあ確かにバチは当たらなそう。最後の最後で有馬公生に自身の気持ちを伝えるのもそれに同じ。確かに全体的に見てやや自己中心的なところがある彼女だが、事情を鑑みれば許容できる範囲か。もっとも誰に感情移入するかでだいぶ変わってくるのだろうけど。
個人的に大問題だと感じたのは有馬公生の「霊感」だ。彼は母の亡霊が出てくることもありピアノが弾けなくなっていたのだが、結局それは妄想だと自覚し克服した。そしてそれ以降における描写で、厳しすぎる母親の描写はあくまで親としての愛情に裏打ちされたものであることが明らかとされる。
ここまでは良いのだ。問題なのは最後のコンクール。そこで彼は幻想の中の宮園かをりと共演して、涙と共に演奏を終える。そして実際、エピローグで彼女は死んでいることが明らかとなる。
これはまずい。公生は明らかに演奏中にかをりの死を察してしまっており、実際それが当たっていたのだ。さてここで問題です、普通そんな霊感が働くと思う?それも集中力を要する演奏中に。多分まあ、普通は無理です。更に言うと普通の作品ならば「彼女も頑張っている!生きようと必死に頑張っている!だからこそ僕も、この演奏を彼女に送るんだ!」みたいな流れになって、後に病室のベッドでうっすら開かれる彼女の目、「演奏、聞こえてたよ?君の心、届いてたよ?」、互いにあふれる涙、手を取り合って、「今度こそ一緒に弾こうね?」エモい音楽、スタッフロールと共に描かれるリハビリの日々、最後死ぬにしても、とりあえずイッパツやって終わり(勿論演奏をだよ?)ってな感じになりそう。
だがこの作品は死を察してしまった。勿論実際にその時亡くなったかどうかはわからない。ただエピローグでそのことを示唆する情報は何もない。最後は昔好きだったという告白と、幼き頃の写真を映して終了。
この作品に限った事ではないが、どうにもマ〇ジンのラブコメは目先のエモさに飛びつきやすい傾向がある気がしている。(具体例は差し控えさせていただきます。)確かにこの展開はエモいことはエモい。死しても尚約束を果たした二人、みたいな感じで。そして実際に大人気を獲得している。少なくとも編集サイドからすれば大成功だぞ文句あっか、ってとこだろう。ごもっともでございます。
だがこの展開によって公生の「霊感」が現実味を帯びてしまった。これが意味することは、逆転的に過去に見ていた母親の亡霊は実はガチだったんじゃないかということを示唆してしまうのだ。こうやって見ると急にホラーじみてくる。勿論作者はそんなこと一切意図してないだろう。しかし構造としてはそうなる。ホラー漫画だったら「思い返せば本当は優しかった母親、ありがとう母さん」、夜ピアノの練習中居眠りしてしまう、いけない寝ちゃったもっと頑張らないと……あれ?弾けない?ギシッギシッ、足音が聞こえる……だ、だれ?椿、それとも紘子さん?、奥に見える影、ぎぎぎと音を立てて開く扉、うわああああ!、ハッと目が開き「なんだ夢だったのか」で振り返るとそこにいたのは!?「こぉぉぉせええええぇぇぇええいいぃぃっ」→暗転終了みたいな流れにできそう。
だから最後のコンクールで幻想の中共演させるまではいいんです。それを本当に当てちゃってたらダメなんです。エピローグ自体もあのままでいい。ただ一つ、最後に映る写真に病室でもいいから二人が現実に共演した写真を添えるだけで良かったんです。これで公生の幻想と涙は(母親の時と同じく)ただの思い込みだったということになり、だけどちゃんとその後にふたりは約束を果たしましたって流れにしたら良かったんです。ただ確かにこれだとエモさは半減するかもしれません。ラストの写真のシーンで視聴者は「あの時死んどらんかったんかい!?」ってなるかもしれません。だけどおそらく、物語の構成としてはこっちの方が良かったんじゃないかなと個人的には思いました。