ナルユキ さんの感想・評価
4.7
物語 : 3.5
作画 : 5.0
声優 : 5.0
音楽 : 5.0
キャラ : 5.0
状態:観終わった
原作再現が過ぎる部分もあるが、「アニメーション」が好きなら必見の価値あり
刀を振るって鬼を斬る単純明快アニメ第3弾。無限列車編からの地続きのストーリー。
上弦の鬼を前にし何もできなかった主人公たちは、自分たちの先輩であり最強クラスの剣士・『柱』の1人であった煉獄杏寿郎を喪う。その影響は大きく、強かった彼に相反して主人公・竈門炭治郎(かまど たんじろう)は自身の弱さに打ちひしがれる。
もしもあのとき、もっと力を持っていたら、なにか別の方法があったのでは──
それは炭治郎だけでなく伊之助や善逸、鬼殺隊の人々、そして煉獄の家族も同じ。それでもウジウジとした描写を長引かせず、前へと進ませるのがこの作品の良いところだ。
『煉獄さんのような強い柱になります』
煉獄家にはもう優れた剣士がおらず、今はまだ誰も炎柱の空席を埋めることはできない。だがそんな煉獄の意志を炭治郎然り、多くの人が自分にできることで引き継ごうとしている。
「キャラクターの死」の影響をしっかりと描くことで、そのキャラクターの死の意味を物語の中で確り表現している。受け継がれし「炎」、これまでと同様に本作もまたジャンプの集大成、黄金期の後継作であることを感じさせてくれた。
【ココがひどい?:原文ママの派手柱。序盤はギャグで飾ります】
そんな煉獄杏寿郎という男の死を清算し、荼毘に付す(だびにふす)ような始まりを描いただけに改めて登場する音柱・宇髄天元には────私は原作漫画も読んでいるだけになんだか不憫なものを感じてしまった。単刀直入に書くと最初の印象が煉獄と比べて全く、よろしくない。
蝶屋敷から嫌がる女の子を任務に連れ出そうとしたかと思えば、痛々しく神を自称し柱の権力を不条理に振りかざす。『派手』という言葉を連呼する割に髪は地味な白髪だし、何故か可愛くてグラマーな嫁が3人もいる!! まあ最後は善逸と私のやっかみなのですが(笑)
原作読者ならこのキャラクターが後でいくらでも挽回することを承知で話を追えるのだけれども、アニメから入った初見に原作のままの天元の行動を見せるのはどうなのかなと考えてしまった。
こんなキャラなので炭治郎たちも序盤はあまり彼を尊敬することが出来ず、とくに善逸と伊之助が舐め腐った態度をとる。『この人でなし!お前を柱とは認めない!』や『そりゃアンタみたいな奇妙奇天烈な奴はモテないでしょうけども!』、『お前の嫁もう死んでんじゃねーの(鼻ホジ)』など普通に言う(笑) そして全集中・常中の腹パンをお見舞いされるのだ(笑)
天元という再登場キャラと彼が連れ出した新たな任務によって、立志編で結成されたユニット『かまぼこ隊』のボケとツッコミが忙しなく入れ替わるあの会話劇の妙が見事に復活しており、その懐かしさと面白さで煉獄杏寿郎を喪った哀しみ──所謂“煉獄ロス”──が幾らか緩和される構成となっているのは良点と評せる。
【ココがすごい!:ufotableが描く吉原遊郭の町並み】
天元が強引に女の子を連れ出そうとした目的は、男を楽しませて稼ぐ花魁(おいらん)や遊女を集めた町『遊郭』に潜伏している鬼と、先に潜入して行方不明となったくノ一たち(全員天元の嫁)を見つけ出すことであった。傍若無人な振る舞いの裏には愛する者を第一に守る「漢としての責任感」が備わっていたのである。
そんな切羽詰まった天元を妨害し女の子の代役を買って出てしまったため、炭治郎たちは客としてではなく「女装」をして店の中へ探りを入れる羽目になる(笑) 単純な感性かも知れないが、登場人物が性別を偽る緊張感や実質オカマとなっている滑稽さなどが合わさり、『あの花』などと同じく盛り上がる展開と言えよう。
立志編や無限列車編とは一味違う物語の中で炭治郎たちが働きながら、遊郭の基礎的な知識や用語を解説しつつ、遊郭ならではの空気感を作りあげている。
特に街の描写は流石ufotable。大正時代に並ぶ夜の町の明るさは時代背景が考慮された絶妙な「明度」であり、遊郭ならではの煌びやかな内装から畳の目の細かさまで、一切の妥協が見られない。
そこに三味線や琴などで奏でる音楽が加わり、優雅さと淫靡さと悲哀さで渦巻く遊郭という場所の空気感を目と耳、鼻でさえ感じられるようだ。実際に漂うわけではないが、この空間づくりが観る者の脳裏に「白粉(おしろい)」や「白檀(びゃくだん)」の香りを思い起こさせ、あたかも鼻腔で捉えたかのように錯覚させられる。
【ココもすごい!:3人の成長】
序盤は鬼との戦いもなく遊郭での潜入捜査という日常が描かれる。炭治郎は器用に何でもこなしつつ、善逸は三味線の腕前を上げている(笑)
{netabare}その中でも嘴平伊之助(はしびら いのすけ)は、あの猪の被り物をしていない。雑な化粧が落とされた後には女性のような顔立ちが強調して描かれている。鬼の気配を感じて遊郭の中を走り回るだけで、その横顔の美しさが際立つ。彼だけは顔が他のキャラより2段階くらい上のクオリティで描かれているような感じだ。
無限列車編────煉獄杏寿郎を喪ったことへの後悔は伊之助の中にも残っており、鬼から人を守る決意はより強くなっている。彼が人質を気にかけながら戦うようになったのは立志編の頃では考えられない成長だろう。
我妻善逸(あがつま ぜんいつ)も同じだ。彼はなるべく鬼と戦いたくない、傍にいる誰かに戦ってもらおうと常に考えていた臆病な青年だ。そんな彼が背後に現れた上弦の鬼の存在に怯えつつも、目の前で泣いている女の子を守ろうとする。これまでのような眠りに落ちず、誰かを守るために立ち向かおうとする行為は彼の成長を強く感じさせるシーンだ。
炭治郎も同じだ。柱に『生き残るために帰れ』と言われても、彼は自らの責務を果たそうとすると同時に『絶対に死なないでほしい』と伊之助へ願うのは煉獄杏寿郎への後悔があるからこそだ。
3人のメインキャラのバランスがよく、日常描写の中でキャラクターを描きつつ、ギャグを描きつつも「鬼」の存在を匂わせ、描写していく。{/netabare}
【ココもすごい!:圧巻の戦闘描写】
中盤からはほぼ戦闘シーンだ。鬼滅の刃はufotableが手がける剣戟アクションが大きな反響を呼び一躍、時の作品となった。それを製作陣もわかってるからこそ戦闘シーンの作画は常に作品の最大のウリとするよう、極めてえげつなく描かれている。
{netabare}炭治郎が相まみえるのは上弦の陸・堕姫(だき)。因縁の相手である猗窩座と同じ、数字は格下なものの紛れもない鬼の幹部。そんな相手に先ずは炭治郎が孤軍奮闘する。己を過小評価しながらも着実に力をつけてきた彼が血まみれになりながら、怒りで人の限界を超えながら上弦に肉薄する姿はまさしく主人公である。{/netabare}
着物の帯を硬化し自由に操る。そんな鬼の技だからこそ、ufotableらしい高速移動の描写と多角的な帯の動きを画面いっぱいに、まるで「劇場スクリーン」を意識した構図で描かれている。テレビアニメでありながらテレビで放映されることをまるで考えていない過剰とも言えるクオリティ、本作はあの無限列車編の続編だということをまざまざと実感される珠玉のごとき出来映えだ。
そんな広角・多角的なカメラアングルをスローなどでじっくり見せるばかりでない。素早く、まるで激流のごとく次々と繰り出される技の数々、打ち合った時の火花に至るまで「活劇」という言葉に相応しい攻守の応酬には目が離せない。
{netabare}禰豆子の戦闘シーンも凄まじい。堕姫に斬られた身体を一瞬で再生し、鬼としての本能を爆発させながら相手の身体を蹴り砕き踏み抜いていく。燃える血の血鬼術『爆血』の火力も増々だ。
鬼滅の刃という瞬時に自らの身体を再生する鬼が出てくる作品だからこそ、そんな鬼と鬼によるあまりにも人離れし過ぎた戦いの、出血・四肢切断表現も合わせたおぞましさがたまらない。{/netabare}
【でもココがひどい?:行き過ぎた原作再現】
これほどの映像が作られながらも私たち視聴者────「お客様」には色々と文句がつけられてしまうのも鬼滅の刃シリーズ全体の特徴だ。その1つ1つが残念ながら「一理ある」。
本作の場面転換の多さは初見ではどうしても気になってしまうだろう。炭治郎が上弦の鬼と相対している最中、別の場所では伊之助や善逸、天元が鬼に捕まっていた人たちを救い出そうとしていたりと、共に行動していない登場人物全員の活躍を描くための場面転換が発生してしまっている。
さらに回想シーン。これは立志編の時からそうであるのだが、戦闘中に回想シーンが頻繁に挟まってしまうことで作品全体のテンポが悪くなってしまっている。ものすごく盛り上がる戦闘シーンが描かれているのに、その途中で場面が転換し回想シーンが描かれてしまうと、せっかくの盛り上がりがあまり持続しない。
{netabare}キャラクターの心の声が五月蝿いのも相変わらずだ(笑) とくに嗅覚に優れる炭治郎は匂いから天元に対し『実は責任感の強い人』と早々にネタばらししていたり、堕姫に喰われているように見えなくもない花魁の様子を『血の匂いはしないから出血はしていない。あの帯で人を取り込んでいるんだ』と敵の目の前で冷静かつ呑気に分析したりするのである。{/netabare}
これらはハッキリ書いて、原作が悪い。
原作マンガはお世辞にも画力が高いとは言えず「画で物語を伝える」ということがいまいち出来ていない。それを知ってか知らずか、原作は描かれた状況をキャラが反復して伝える1コマやナレーションや注釈で説明をつけた1コマが随所に添えられている。
鬼・剣士双方に生み出した作者の愛着が強いのか、各キャラには必ず『ONE PIECE』の麦わら海賊団ほどのボリューミーな背景(バックボーン)があり、実力の高低に関わらず満遍なく活躍するのも常である。
受け手が能動的に読み進めるマンガであればこれらは些細な問題であり楽しい・わかりやすい要素の1つだ。しかしそれらをアニメで丁寧に再現してしまうと区切りの良い地点で各話を終了させることもできず、アクションアニメなのに戦闘シーンがぶつ切りで物語のテンポも大きく阻害することになってしまう。
【でもココが熱い!:ド派手な拮抗勝負】
然れどそんなテンポの途切れや間延び感を高品質な戦闘シーンでスカッと吹き飛ばしてくれる。それもまたアニメ『鬼滅の刃』最大の特長だ。
{netabare}もう1体現れる上弦の陸・妓夫太郎(ぎゅうたろう)。2人同時に首を斬らなければ死なない鬼の「兄妹」という強敵に対し、炭治郎も天元という柱や仲間たちと共に立ち向かう。
掠るだけでも死に直結する兄の毒血鎌に鋭利かつ広範囲な妹の帯が絶えず戦場を飛び交うという地獄絵図。そんな地獄の連携攻撃に対し『音柱』たる天元の2振りの日輪刀で繰り出す『音の呼吸』や忍の暗器が全て対応し防いでみせる。
無限とも言える斬撃の応酬、決して止まることのない戦闘シーンには息を呑み、目が離せない。どうすれば1~2年という短期間であんな映像が作れるのか、只のアニオタには計り知れないものだ。{/netabare}
{netabare}だからこそ、この拮抗勝負を一旦でも制したのが鬼側という上げ落としには、例え結末がわかっている原作読者でも胸が締め付けられる思いを抱く。
どれだけ鬼殺隊──人間──が鬼に肉薄しても、トドメを刺しきらなければ鬼は元通りに再生し振り出しに戻してしまう。痛みに呻く間、喪った意識を取り戻す間に全て水泡に帰してしまうのだ。
傷つき疲弊した剣士たち。対して無傷で高笑う上弦の陸。無限列車の悲劇の再来であり、だからこそ妓夫太郎もあの猗窩座と同じように人を鬼へと誘おうとする。{/netabare}
【ココも熱い:鬼の矜持と人の意地】
{netabare}『みっともねえなぁみっともねえなぁお前ら本当にみっともねえなぁ!特にお前は格別だ、全然妹を守れてねえじゃねえか!』
『まあ仕方ねえか。お前は人間。妹は鬼だしなぁ。鬼の妹よりも弱いのは当然だが、それにしてもみっともねえ……兄貴だったらよぉ、妹に守られるんじゃなく守ってやれよなぁ。しっかりと……この手でよぉ!』
『そうだ!お前も鬼になったらどうだ?妹のためにも!そうだそうだそれがいい!鬼になったら助けてやるよ!仲間だからなぁ!』
同じ「兄」であり傷の醜さにシンパシーを感じた妓夫太郎は唯一、炭治郎に鬼への勧誘を行う。そうしなければお前だけでなく、妹・禰豆子を殺すとも脅して──。
「お前も鬼にならないか」
そう問われた煉獄杏寿郎は頑なに人であることにこだわった。そんな彼の意志を受け継ぐ炭治郎だからこそ、同じ問いかけをされても彼は一切ぶれない。鬼の圧倒的な力でねじ伏せられようとも、数えきれない位に「みっともない」と罵られようとも彼を始め、この場にいる鬼殺隊の目的は鬼へ与することではなく鬼の頚を斬ることだ。
相手の慢心、遊郭に有る物、仲間の力に遺した武器────そして剣技。あらゆる物を最大限に使って人の身ではずっと届かなかった上弦の首を捉える。そんな“人の意地”を一部始終余さず描いた第10話は大迫力の神回だ。作画、演出、声優の熱演、全てが詰まっており、制作スタッフ全員が死力を尽くしたのが伝わった。これまで間延びした印象を抱いて若干、微睡んでいた「鬼滅そこまで好きじゃない」層もその眠気が吹き飛ぶ出来映えだろう。
一方で鬼側にも「矜持」がある。彼らも嘗ては人であり、人であった時は体も弱く身分も低く、同じ人間に虐げられる毎日だった。
力こそ全て。「自分がされて嫌なことを人にするな」とは誰でも大人から教わるけれど、それを守って安息な、幸せな日が嘗ての2人に訪れることは遂に無かった。
ならば逆だ。人にされて嫌だったこと、苦しかったことを人にやって返して取り立てる。
自分達に訪れなかった幸せを幸せ者から取り返す。そういう生き方を志してしまった兄妹にとって自身が鬼であることは「誉れ」であり「誇り」だ。そして彼らにもまた確かな兄妹の絆があり、妹の危機には兄が、兄の危機には妹が救いながら柱含む4人もの剣士を相手取る。
人と鬼の互いの生き方と信念はどちらも中途半端ではない。その相容れない信念のぶつかり合いをufotable最高級の作画で表現しており、そんな作画が脚本をさらに1つ上の段階へと押し上げているようにも感じた。{/netabare}
【キャラクター評価】
宇随天元(うずい てんげん)
上記で書いたように最初の印象はよろしくない柱なのだが、アニメでの演出も相まって上弦の鬼との戦いで好感度を爆上げするキャラクターだ。
彼もまた炭治郎と同じく「煉獄杏寿郎」の思いを受け継いでいる。だが、彼のようにはなれない。誰かを守って死ぬ、自らの命を投げ捨てて誰かを守った彼の存在は鬼殺隊の人々に多くの影響を残している。
しかし、ならなくてもいい。極められた様々な才能が集い、根っこの部分で同じ志を持つ面々────それが鬼殺隊の「柱」なのだ。
妻が1番、人々が2番、そして自分が3番────優先順位はハッキリと示すものの、天元は大切なものの命を守り、自らの命をも守ろうとしている。生き抜かなければ、生きなければ意味がない。忍として育てられた段階でそのように生かされてきた中で、兄弟や多くの人の命が犠牲になってきたのを見てきた彼だからこそ、もう誰も喪いたくない、それは自らもだ。
人の世の影に生きた忍たちの分まで「ド派手」に生きようとする処世術。それこそが宇随天元という漢の魅力であり、彼そのものである。そんな彼ならではの逆転劇、そして剣士としての幕引きも確りと描かれていた。
CVは小西克幸。『天元突破グレンラガン』でカミナを演じた「みんなの兄貴」だ。キャラ共々、どうかご自愛ください。
【総評】
全体的に見ておよそテレビアニメとは思えない凄まじい戦闘シーンを見せてくれた作品だった。ufotableらしいエフェクトの嵐と自由すぎるカメラアングル、作画枚数を一体何枚使ったんだと思うような戦闘シーンの数々は流石の極みであり、特に終盤にかけて盛り上がる戦闘シーンは無限列車編以上のものが感じられた。
音楽は初作から和楽器も取り入れ和洋折衷のような雰囲気を作り出していたが、今作はさらに三味線や琴などのホップで浸透性の強い弦楽器もコミカルシーンで使われており、その無駄なクオリティの高さに一抹の笑いを誘う。主題歌は今作からLiSAではなくAimerとなったが当然、その変更に不安を与えるシンガーではない。凛とした強さと女性らしい繊細さを併せもった独特のハスキーボイスで『残響散歌』『朝が来る』を歌い上げ、本作の開幕と終幕を各々、劇的に飾っていた。
声優のキャスティング面に関しても隙がない。鬼の兄妹の内、兄は逢坂良太さん、そして妹は沢城みゆきさんということでその起用自体が衝撃かつ抜群なはまり役だ。とくに沢城さんは現在の『ルパン三世』の峰不二子というイメージが強く、鬼であると同時に兄に泣きつく「妹」という側面も遺憾なく発揮する必要がある堕姫というキャラクターがオバサン臭くなって「でも実際100年以上は生きてる鬼だから……(震え声)」と苦しい擁護をしなければならないのではと一抹の不安を抱いていたのだが、完全なる失礼千万。気位が高くも下品な演技と要所要所で天元の嫁たち(種崎、石上、東山)に負けず劣らずの甘い女声を聴かせてくれた。流石ベテラン
物語自体も悪くない。ジャンプ作品として戦いは次のステージへと進み、各キャラもそのインフレーションに確りとついていく。頂上決戦のような柱と上弦の鬼の戦いにこれまで加勢すら出来なかった主人公らが今作ではMVPとも言える大活躍を果たしたところに成長が感じられ、非常にエモーショナルな気分にもさせてくれるのである。
相変わらず善逸や伊之助といったキャラは騒がしくて発言も幼稚で作品を子供っぽい雰囲気にしてしまうのだが、それもご愛嬌だ。煉獄を喪った悲劇を序幕に持ってきたからこそ、シリアスばかりではなくコミカルでもあり誰でも楽しめるシリーズだということを知らしめる、様々な要素があるジャンプ作品の雰囲気に染める役割を持つ2人だと再確認できた。
欠点を挙げるなら、話数は11話も要らなかったのでは?と疑問を抱くのが本音。本来、遊郭編は無限列車編よりもやや長い程度しかなく、鬼も強敵とは言え無限列車編と同じく2人しか登場しない。それを1クールに近い尺にしているのだから、極端な例だがアニメの『ドラゴンボール』や『ONE PIECE』に似たテンポの悪さや間延び感が生まれてしまっている。
飽くまでもジャンプ作品のアニメ化であり、原作も脚注や説明が非常に多い作品だ。このエピソードに限っては場面転換も頻繁に挟まる。そんな作品の1コマ1コマを忠実に描いてしまったからこそ原作の悪い部分が如実に表れてしまっていた。さらに足りない部分をアニオリで補完することはあっても削った部分は全くと言っていいほどに無い。「そのアニオリ部分がさらにテンポを阻害している」という意見には正直、反論する余地はないのである(勿論、より深い掘り下げはファンとして嬉しい部分だけどね)。
立志編から常々思っていることだが、アニメ化というのはその作品のリメイクの切欠でもあるのだから、原作時点で何かしらの不備があればそれを解消してあげることでより素晴らしい作品として全国に広めることができる筈だ。それを鬼滅の刃も──『刀鍛冶の里編』も観ているが──また商業的・権利的な理由からか完全に放棄してしまっており、数々の評論家気取りから(どうしたって減らないとは言え)文句や批判点とされてしまうのは「勿体ない」とも感じてしまった。
{netabare}とは書くものの、それらを差し引いても並の他作を比較に出すことすら憚られる程の傑作だ。上記のようなテンポの悪さも少年漫画にありがちなご都合主義も、高品質で壮絶な戦闘シーンの勢いで便所の如く流し切っており、後に残るはジャンプ3大原則の1つ『勝利』。前作では届かなかった上弦の首を見事に斬り落とし最期を見届けた主人公らと、前作の悲劇を繰り返さず「生存競争」においても勝ち残ってみせた鬼殺隊の「派手」な大団円に打ち震える、「アニメーション」が好きならば必見の価値のある作品であるという主張は決して変えるつもりはない。{/netabare}