薄雪草 さんの感想・評価
4.2
物語 : 4.0
作画 : 5.0
声優 : 4.0
音楽 : 4.0
キャラ : 4.0
状態:観終わった
一筋縄にはいかない。(現実も、転生も。)
実は、たられば転生作品とか、異世界なろう系作品はちょっと苦手です。
私がゲームをやらないのが一番の理由なんですが、スイッチボタン一つで "転生したり、異世界に没入したりする設定" は、少し安直に感じてしまいます。
安直というのは、安楽直情のことです。
見たことのない新しい世界に触れることはいつだって楽しみですし、クリエイターの皆さんの努力の成果を享受できることには感謝ばかりです。
時代性を捉える鋭い感性。世相を噛み砕く豊富な知性。
作品性を煮詰める訴求力。完成を見せた姿はもはや一つの文化です。
万一、それらが"安"っぽくて生温いテーマだったり、"楽"してなおざりに仕上がった作画だったり、"直"線的に過ぎた浅い物語だったりすると、"情"けなくてがっかりするし、がっくりきます。
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その点、本作は、安直ではない視点、あるいは意味があります。
いくつかありますが "親和性" と "違和感" に視点をおいて、少し書いてみたいと思います。
本作主人公の "転生" のきっかけは交通事故死です。
令和2年は2839人、本作が刊行される頃の交通死亡者数は5000人以上です。
主人公はその中の一人だったという設定なわけですね。
交通事故は、交通心理学や認知行動学などで解析され、計画的に安全対策が為されます。
そこには皆で安心感が共有できるという社会的な "親和性" があります。
でも、個人レベルだと「どうして私?」となるのが常のことです。
つまり、いつでもどこでも誰にでも起こりうることと考えるのが、一般的です。
こちらは、いわゆる個別的な "親和性" と言えるでしょう。
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少し気になるのが、引きこもりが背景になっているところなんです。
引きこもりの実態調査(主に内閣府)は、まだ日が浅いのが実情です。
15~39才だと51万人弱(平成27年)、40~64才だと61万人弱(平成30年)です。
14才以下、65才以上の人数を推察して加えると、人口比で凡そ "2%" ぐらいには当たるような気がしています。
ちなみに引きこもりの "初年齢" は、20~24才が34.7%(13ポイントアップ)、35~39才も10.2%(倍増)となっています。
本作の主人公は30才台。厚労省・引きこもり家族会連合会の統計(平成30年)によると、有効回答1092人のうち、30才代の方が "41%" を占めていて、最多なんです。
主人公は高校生で閉じこもり始めましたが、社会人からでも十分にあり得ることです。
また、年齢を重ねたからといって、有効な手立てを打たなければ、閉じこもりからは簡単に抜け出せないでいるということも意味しています。
どうでしょう?
こうした実態や数字には、いくらか "違和感" をお持ちになられるのではないでしょうか。
ましてや、主人公が、統計やニュースに表れる以前の時間=社会から切り離され、世間に認められることもない人生を、"独りで20年もいたこと" など、意識にもしてこなかったでしょう?
たぶんそれは、交通事故死ほどには「自分ごととは受け止めていないから」ではないだろうかと思っています。
それには明らかな理由があります。
引きこもり自体が、広く社会の課題として「見える化」されてこなかったからです。
さらには、あくまで個人の資質の問題として扱われ、「見えない化」の枠に、周りの人たち(社会)が追いやっていたから、と私は考えています。
本作主人公のルーデウスのキャラクターには、この "親和性" と "違和感" とがたくみにブレンド・内包されてあり、その視点で各話・物語が進行していきます。
ルーデウスと、"どことない不全感" を持つ生前の彼と、試聴者側の内面にある "それぞれのやりきれなさ" とが、三つ巴になって作用しあい、順化を見せたり、また反発しながら、作品への評価(向かい方)が形成されていくのです。
こうした生々しい働きが、見えにくいベースとなっていることが、他の作品には感じられない特徴になっています。
それはそうでしょう。
なぜって、これだけの背景と伏線がクオリティーを担保しているのですから、アニメ作品にしたあとの世間への影響や評価が、大きく揺れることが分かっているからです。
でも、"時代のリアル" を帯びていることで、他の転生ものや、異世界なろう系とは、明らかに一線を踏み越えているファクターが多様に表現されています。
それが強烈なストレングスにも、激烈なウィークポイントにもなっているのは、確かなことなのです。
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なお、65才以上は統計がとられていません。なぜだと思いますか?
私は「生産性が低い世代と見なされているから」と思っています。換言すれば、「政策投資上、費用対効果が低いからわざわざ調べなくてもいいと判断されている」ということです。
さらに言うと「働かなくても年金で暮らせるし、外に出なくてもそんなに問題ではないと見なされている」と感じています。
でも、65才以上の高齢者は引きこもっていても社会問題にならない、あるいは、しないという判断が国策にあるとしたら、それはとても怖いことだと感じています。
なぜだと思いますか?
それは、国家が国民の生活実態を「見て見ぬふりをしている」からです。
年収1000万円世帯は約12%弱ですが、それ以下の収入世帯の社会的存在価値を、もしかして低く見積もっているのでしょうか?
それって、どこかイジメの構造に似ていませんか?
政治家の方も公務員の方も、熾烈な競争を勝ち抜いた「勝ち組」さんでしょう。
その立場性と意識性に、「そうではない国民」への、目には見えない線引き、あるいは物事のさばき方に、何かしらの意図が生まれ、「制度からこぼれるレアケースが出るのは仕方ない」なんてことに、なってはいないでしょうか。
法的にはどうでしょう。
民法は、明治時代からの扶養義務規定を未だに厳格に守り続けています。
これが、80才を超える親御さんが、50才を超える成人を扶養している背景と根拠です。
でも、親世代が子ども世帯の扶養に入りにくい家庭事情や、ヤングケアラーなど中高生が親を世話する事例もニュースで取り上げられています。
基本的なルールそのものが、もう時代に合致していないのは明らかなんです。
お金の面はどうでしょう。
「普通の高齢者」と言われている世帯の国民年金のお話です。
40年間の満期を掛けて、単身で「月で7万円もない」のです。夫婦でも14万に届きません。
厚生年金の「標準(数字上の平均値)」は単身で14万円弱です。夫婦を頑張って続けてきてようやく22万円です。
貯蓄や家族に頼れるうちは何とかなるかもしれませんが、もしもなくなったらどうやって生きていけばいいのでしょう。
未婚や離婚の方が増えていますが、それも自己責任だと本当に言い切れるのでしょうか?
生活保護はどうでしょう。
最後の最後のセーフティーネットです。
東京都心在住の "単身者" は、暮らし費用として「生活扶助」額が、8万円近くです。北海道や沖縄などの地方だと7万円を下回ります。
家賃は、「住宅扶助」の名称で、決められた実費が支給されます。東京都心部は5万ちょっと。大阪府は4万円、地方だと3万円。なお世帯人数によっても違いがあります。
(詳しくお知りになりたい方は、自治体の窓口やネットでお調べになってくださいね。)
生活保護制度は、公的福祉としてのメリットと、自助努力というハードルが"抱き合わせ"になっていて、権利として利用するにしても、総じて制約感の強いものです。
この金額が、憲法25条で言う「健康で文化的な最低限度の生活に責任を持つ国家」の道徳的な(?)姿なのです。
働いている限りは、これらの数字には "親和性" も "違和感" も、まず感じることはないでしょう。
でも、私は、引きこもりの存在それ自体に、大きな違和感を感じています。
小さなお子さんから、後期高齢者に至る方まで、引きこもり自体に「転生する」選択枝など本来ありえません。
「本気だす」ことだって、全年齢において簡単ではないはずだからです。
私は、主人公は「無職転生~異世界行ったら本気だす~」ことを "認めていない" と感じています。
彼と "ヒトガミ" との会話のやりとりに、その意思を顕著に感じています。
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無職は悪いことでしょうか?
それは本当に彼のせいなのでしょうか。
生まれ変わりたいと思うほどに、追い込まれなきゃダメなことなのでしょうか。
現世界で、本気を出すことにどれだけの社会的な(人為的な)障壁があるか、何となくでもご存知ですよね?
自己啓発本とか、自由経済とか社会主義思想とか、実践的心理学とか、何か役に立つのでしょうか。
本作は、事故死と引きこもりという枷(かせ)を負わされても、なお生きる場所と時間を与えられ、立ち向かう青年の背中を、少しだけ前へと押してくれる "ストーリー設定" です。
「性(癖?)」を描くことで、違和感や嫌悪感を抱いているアンチファンがいらっしゃることは事実です。
また、「本気出す」と銘打つことで、そこに親和性を見つけ出し、共感を得ているファンがいらっしゃることも明々です。
私は、どちらもそれぞれに言い分があると思っていますので、様々な意見が飛び交うのは自然なことと思います。
また、反目しあう評価点の付け方にもさして驚きません。
留意すべき点があるのならこうです。
作品は、クリエイターが切り取る世相の一部であることを鑑み、視聴者もまた世相の一部であることを自覚することで、アプローチの視点も方法も、時の推移の中でいつか変化していくものだと、そんなふうに捉えてみることは可能でしょうか。
その意味では、本作品が、今後、どのように成長を見せてくださるのか、また、視聴者が、本作品から何を得て、どんなエネルギーに替えていくのか。
それらを気づかせてくれる十分なポテンシャルと、素晴らしいクオリティーを保持していることを、私は評価しておきたいと思います。