ナルユキ さんの感想・評価
3.0
物語 : 2.5
作画 : 3.0
声優 : 4.0
音楽 : 4.0
キャラ : 1.5
状態:観終わった
アニメは元来子供向けだが、これほど大人が観るに耐えないアニメはないと思う
本作の愛称「俺ガイル」は『やはり“俺”の青春ラブコメは間違(まち“が”)って“いる”。』の略であり、主人公・比企谷八幡(ひきがや はちまん)を見て思わず「俺がいる!?」と言って自己投影してしまうオタクが多かったことからのダブル・ミーニングだと伺える(はまち派は知らん)。八幡はオタクが併発させていることが多い“陰キャ”や“ぼっち”を肯定的に捉えていく珍しい主人公だ。
それ故に非リア充な学生生活を送っている若々しいオタクには痛烈に刺さる一方で、一度社会の荒波に揉まれた人にとっては全く共感できないキャラクターとなってしまっている。
【ココがひどい:イキり陰キャのファッションぼっち】
陰キャにも色々な人種がいるが、八幡は間違いなく「イキり陰キャ」に分類されるだろう。
「青春とは嘘であり、悪である。(中略)」
「結論を言おう。青春を楽しむ愚か者ども、砕け散れ」
このような文章がモノローグとして台詞になっている最中は私も「うんうん」と頷いていた。しかしそれをレポートに認めて教師に提出したとなると話は変わってくる。
主人公は只の陰キャではない。世間に対して斜に構え、口を開けば毒舌と屁理屈が止まらない「痛々しい」までに攻撃的な陰気キャラだったのである。上記の物言いを心の内で反芻しているだけならいい、普通の陰キャだ。しかし目上の者にまで公然と放出するのはあまりにも頭が悪過ぎる。
事前に仕入れた情報ではこの八幡という主人公は「ぼっちを貫く男」だと紹介されていた。どうしてそんなものを貫きたいのか理由を知るところまでは観ていないが、きっと「1人が好き」なのだろう。もしくは「他人と関係を持つことが怖い」のだろう。はたまた前述の怨み節から「上辺だけの関係なんていらない」とでも思っているのかも知れない。
しかしそういった思いから来てるであろう信念とは逆の行動を取ることで早々に指導に入った教師との浅からぬ関係を持ってこの作品はスタートしてしまっている。人は他人と「コンビニ店員とお客」以上の関係を築いてしまった時点でもう“ぼっち”という肩書きは掲げられないのではないだろうか。彼は本当に“ぼっち”を貫く気があるのだろうか?「だったら悪目立ちは避けろよ!」と元・大学ぼっちからアドバイスしたいところだ(笑)
そんな高校生の頭の悪さ────もう“不良”と言って差し支えない程のイキりを開幕から見せるのがこの作品である。
【ココもひどい:テンポと演出】
不良は当然、更正の対象となる。八幡は生活指導の一環として生徒の問題解決を手助けする部活・奉仕部へ連行される。そこで部長をしているヒロイン・雪ノ下雪乃(ゆきのした ゆきの)と「どちらが依頼(生徒の問題解決)に貢献できるか」勝負する名目で入部することになるのだが────そこに至るまでのテンポに難ありだ。
先生が2人を残して部室を出る→2人が煽り合う→見かねた先生が再び入り、勝負を提案する────と、ムダな描写が入りがち。「じゃあ最初から先生が取り仕切ればいいのでは?」と思ってしまった。
こういったムダが徐々に積み重なることで尺を圧迫し、毎話の内容が薄くなり、次回が観たくなる“引き”もない。全体的に「淡々とした」印象を受けてしまうのは正に悪因悪果と言える。肝心の依頼もそこまで難解な事件でもないのに1話に1件と最低限の数しか舞い込んでこない。
原作がライトノベル、そして主人公がぼっち気取りで他者との会話シーンが少ないということもあってか、本作は原作の地の文だろう部分を八幡(CV:江口拓也)に読ませて尺を稼いでいる感がある。そう思うくらい本作の要素は八幡のモノローグが大半を占めており、アニメーションとしての面白さは皆無だ。
【そしてココがつまらない:ヒロインに魅力が感じられない】
かなり特殊な主人公なのもあって本作は、ジャンル上は「ラブコメ」に分類されていながらもその要素が薄い。主題としてはイキり陰キャの八幡がそのひねくれた感性と洞察力で以て依頼──「人間関係」に関する様々な問題──をナナメ下から解決するという内容になっていくのだが、つまりこれは主人公である彼の「独壇場」が続き、可愛いヒロインの活躍が殆ど無い主題だとも言えてしまう。
依頼貢献度で競う相手だった筈の雪乃は依頼相手に完璧を押し付けて失敗する八幡の「当て馬」となってしまっており、設定上は優秀である筈なのにその説得力がいまいち感じられない。「すごい娘なんだ」とこちらがまだ思えていないのにデレてない戦場ヶ原ひたぎのような高圧的態度と毒舌で以て八幡との舌戦を度々始めてしまい、どうしても『化物語』のパチモンに見えてしまう。2話であーしさんから結衣を引き剥がす時は頼もしかったけどね。
もう一人のヒロイン・由比ヶ浜結衣(ゆいがはま ゆい)はあの容姿でキョロ充(キョロ充だからこそ容姿も合わせている?)というギャップ萌えがあるのだけれど、そのハッキリしない性格があーしさんの言う通り観ている人をイライラさせてしまう部分もある。
{netabare}とくに5話で八幡が「気遣いで優しくしているのならやめろ」と言ったことに対して「……バカ」と返して逃げ出し奉仕部を避けるようになる心情。以降、彼女が動かず雪乃と八幡が動いて関係が修復するという展開が理解できず、とことん受け身なヒロインに幻滅することがあっても「推し」として支えることは難しいキャラクターだと言える。{/netabare}
【他キャラ評価】
相模南(さがみ みなみ)
最後まで観た証として彼女含めた『文化祭』編の評価を入れる。というか書きたくなった(笑)
{netabare}この作品を「酷い」と結論付けるのには変わりないのだけれども、それは「相模の性格がクズだから」でも「八幡の解決方法がクライマックスに合わせてより酷かったから」でも「賞を決めるためのアンケート結果を相模=実行委員長しか持ってないというご都合を描いたから」でもなくて『文化祭終了後の相模にスポットが当たらない』ことが最大の問題だと思う。
八幡の指摘を真正面から受け止めてしまった相模が何を思い、どう変わるのか。奉仕部の依頼人でありその話のキーパーソンであった彼女の顛末をしっかり描いてこそ、文化祭編をエンターテイメントとしてよりちゃんと〆られたのではないだろうか。そこをヘイトを買って出た八幡が学校全体の嫌われ者になったことのみを描いたことでやっぱり主人公である彼の独壇場ばかりで可愛いヒロインの活躍が殆ど無い作品なのだな、と思ってしまった。
この欠点は原作の6.5巻で補完しているようだ。番外編(13話)を原作者が自ら再構成し、相模が再び実行委員として選ばれるストーリーになっている。
1つのコンテンツがアニメだけでは完結しないという、「物語をアニメで全部語れ」と言う横暴な輩へのいい口撃材料ではある。{/netabare}
【総評】
10年前の私なら好きになれたかも知れない。そんな作品だ。
高校生キャラクターが等身大、と言うよりは限りなく現実に即しており、とりわけ「共感力」という1点を見れば本作より右に出る品はそうそう無いし出てこないとは思う。一応ぼっちの八幡が漏らすリア充への怨嗟や大規模グループにしがみつこうとするばかりに自分に相応しい居場所を見失っている結衣など今まで生きてきた中で同じ思いや経験をしている人は大勢いる。だからこそ本作も稀に見る高い人気を誇っているのだろう。
しかし物語の中でキャラクターを等身大に描いてしまうと観る者にとってはむしろ“子供っぽく”見えてしまう。他作品が大人っぽく、と言うよりは「規格外」として描くのを主流としているから相対的に、だ。
冒頭の八幡の行動も“児戯”でしかない。文章だけは国語成績3位という設定もあって文才凄まじいものの、やっていること自体は自分の思いを書き殴って教師に突きつける。「せんせーこれみてー」と何が違うのか。現実の非リア充の思いの丈を形にしてしまうことで逆に高校生らしくなく、極端ではあるが幼稚園児に見えなくもない。人間社会の有り様とコミュニケーションの必要性を理解しない男子のイキりは、ある程度大人になってしまったアニオタには全く通用しない描写だろう。
そんな主人公の性根の腐った部分を正すというのが物語の軸なので作者が決して人間社会の有り様を否定している訳ではないというのは解る。だが結局その曲がった感性で依頼をクリアし続けてしまうので腹の底では主人公を使って社会を否定したいのでは?と疑ってしまう。陰キャを正義に、陽キャを悪側に見える視点で描いていることからもそう伺える。
ここまでは飽くまで私の主観。「俺は楽しんで観てたんだ!」という中高生もいることだろう。では客観的に観てこの作品は「アニメーション」として面白かったか。
こればかりは「否」だろう。同時期に放映された作品に比べ明らかに作画の質は悪く不安定。酷い作画崩壊というのはギリギリないが本当にギリギリだ。全編に渡り、いつ崩れてもおかしくない危うさがある。意味もなく背景を写すシーンや引きの画、止め絵も多くアニメーションとしての面白さは薄い。2期から制作が変わるのも納得である。
人間関係に介入する奉仕部という変わり種な部活と斜に構えた口達者の主人公を立てるばかりでヒロインがおざなりに、そしてラブコメに本来備わる甘酸っぱい雰囲気の代わりに生々しい人間模様に備わった湿っぽくギスギスとした雰囲気を提供する本作は早々に主人公に好感を持たなければ視聴継続に耐えられないのである。