薄雪草 さんの感想・評価
4.8
物語 : 5.0
作画 : 5.0
声優 : 5.0
音楽 : 4.5
キャラ : 4.5
状態:観終わった
哀しみのアクトレス
「涼宮ハルヒの憂鬱」の世界観を根こそぎひっくり返した端緒は、"ミステリックサイン" の回にあったのでは?
キョン君が、長門さんに向かって独りごちたあの瞬間が、本作につながる大きなターニングポイントになっているように私は感じています。
何のことかと思われるかもしれません。
ですが、あの時のキョン君の心の声は、たしかに自らへの問いかけであったのですが、同時に長門さんのデバイスとしての存在への小さな疑念であり、無口なアンドロイドへの正当な気遣いでもありました。
彼の思念は、長門さんが2枚の短冊に書いた文字と、3枚目の短冊に託した思いのトリガーを弾かせます。
その根拠はどうあったとしても、キョン君の長門さんへの心ばせであったし、それに応えたいとする長門さんの演算結果は、バグとしての認知をはるかに超える数値だったろうと察しています。
やっぱり・・・SOS団なんです。
彼らとの日常が、長門さんの胸の奥に不可逆のバグを生じさせ、それを抑制し続けた葛藤の結果として「ハルヒの消失した世界」を創り出したんです。
しかも、創り出した世界を、再び消失させる選択へと導いたのも、SOS団の存在を守るがための長門さんの使命感だったのです。
彼女は、なんども、なんども、エマージェンシーモードを自分のなかに立ち上げるのです。
長門さん自身が、短冊に込めたキョン君への想いを消してしまうことになるなんて・・・。
私には、長門さんが "哀しみのアクトレス" を演じていたように思えて仕方ありません。
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キョン君が "ミステリックサイン" で、長門さんに見せた心馳せは、本当のところは彼女の心臓を射抜いていて、"笹の葉ラプソディ" で、長門さんが短冊に託した "願掛け" への明確な "返し歌" になっていたと考えています。
長門さんが、3枚めの短冊に認めたのは、"ワタシハココニイル" という意味の文字でした。
それは、中学一年の涼宮さんの七夕の願いを、白線でグラウンドに描きつけたキョン君を、3年後の時間(「涼宮ハルヒの憂鬱」の世界)に連れ戻すための大切なメッセージでもありました。
でも本当のところ、長門さんの本心はどうなのでしょうか。
短冊の文字は、何のための、誰のための願掛けとしてあったのでしょうか。もっとハッキリと言うなら "どれほどに切なる思いが込められた願掛け" だったのでしょうか。
このあまりのためらいに、私の心はたじろぎに打ち震えています。
そのあまりのもどかしさに、私の胸は痛ましさに締めつけられるのです。
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"笹の葉ラプソディ" で、涼宮さんが団員に話したことは、16年先、25年先にも、長門さんがキョン君のそばには居られないことを意味しています。
なぜなら、涼宮さんの本心は、そう願掛けをしているからです。
でも長門さんは、一つの判断を思索していたと思います。
となれば、中学一年の涼宮さんに "先んじて" 短冊にメッセージを書き、キョン君に渡したことは、その証なのではないでしょうか。
いみじくもキョン君は、みくるさん(大人バージョン)の指示で、涼宮さんのお手伝いをします。
"ワタシハココニイル" とグランドにでかでかと描くのです。
それはまるで、中一の涼宮さんの願掛けを助ける共同作業のようでした。
さらに言えば、3年後の教室で、涼宮さんとキョン君との出会いを予感(必然と)させるものでした。
そう思うと、長門さんがキョン君に短冊を渡したのは、「憂鬱」から「消失」への時間の流れでは、ほんの数時間前のことです。
私は、このわずかな時間差にも、長門さんが少しでも早くキョン君に自分の思いを伝えたいとする強い覚悟が示されていると思うのです。
涼宮さんではなく、私を見てほしいと。
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"ワタシハココニイル"。
"ワタシハココニイル"。
"ワタシハココニイル"。
その呼びかけは「短冊は2枚まで」と涼宮さんに厳命されていたにもかかわらず、長門さんが3枚目に書いたものです。
もちろん、みくるさんも3枚目を書いたのですが、それもまた長門さんのシナリオの内だとすれば、全てが一本の線でつながるのです。
キョン君は、みくるさんと行動した結果、ナイフで刺され、瀕死の重傷を負います。
ですが、長門さんは、自身が調合した再修正プログラムを自ら受け容れることで、今にも消えようとするキョン君の命を救うのです。
それは自分の実存と全能力を放棄してまで改変なさしめた「消失」の世界を、もう一度再構成しなおす(再消失させる)ことに他なりません。
また、感情を持つことに憧れ、恋することに恥じらう少女の立場から、もとのヒューマンインタフェースデバイスとして「憂鬱」の世界へと、立ち戻ることです。
長門さんにとっては、全てを新たに創り出したことのいっさいを、無に帰すことになってしまいます。
それでもキョン君の命を救うために、彼への「好意」としての "望むべき願掛けの全放棄" だったとしか思えないのです。
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「憂鬱」での二つの回が、心にずうっと引っかかっていて、そんな思いを抱えながらの今回の鑑賞でしたので、思い切り長門さんの心情にシンクロしてしまいました。
自分の願いのための「消失」の世界ではなく、キョン君の願いのための「憂鬱」の世界を、よりふさわしい場所と選んだ長門さん。
再構築された世界で、キョン君には階段から落ちて意識を消失した役を振り、その結果、涼宮さんに恋のアクトレスのバトンを譲り渡したのです。
とは言え、長門さんには、不意打ちのようなまさかの失恋でした。
その痛みの大きさは、キョン君がナイフで受けたそれ以上だったでしょう。
"痛み分け" と言うわけではありませんが、キョン君が手にする「涼宮さんとの憂鬱な日常」と、長門さんが手放す「涼宮さんの消失した日常」との "等価交換" だった・・・。
そんなふうに考えられなくもない哀しみの結末でした。
病院の屋上で、キョン君が長門さんに示した優しさは、雪にも凍えたい彼女の "感情" を、果たして温めたのでしょうか。
それであっても、思わず「罪つくりな奴」って、私は言葉につぶやいていました。
と同時に、この罪をつくらせたのはいったい誰なんだろう?
ふと、そんな思いにも囚われてしまいました。