nyaro さんの感想・評価
4.5
物語 : 4.5
作画 : 4.5
声優 : 4.5
音楽 : 4.0
キャラ : 5.0
状態:観終わった
原作者の私小説。かなり奥行がある作品だと思います。
本作について、初見のときはかなり面白いけど、単なる妹萌えのご都合主義的な話だという評価でした。ただ、本作を真面目に見てみると結構いろんな事を考えさせられました。2期はのぞく1期(15話まで)についてです。
テーマ的に1つ目はエロゲ、アニメ等の2次元、同人、イベントのオタク界隈の性癖。2つ目は、そういう趣味の人間に対する世間の目。3つ目は創作・芸能活動についての表現、姿勢、才能と結果など、いろんな視点があると思います。
妹萌えを隠さないのは当然ですが、この3つのテーマに非常に作家性を感じます。
読者モデルができる美少女、勉強も陸上もNO1、創作にもある種の才能があるヒロイン。普通キモオタ趣味はお兄さんのキャラになるところを妹ヒロインの趣味にしたことでという構造で相対的化されていました。
1つ目。オタク界隈の性癖ですね。これはそのままです。これがまあヒロインやサブヒロインのキャラとしてコメティ要素の中心になっていました。趣味の多様性などが描かれていましたし、外から見ればオタクという1つの分類ですが、中にはいろんな人がいることが表現されていました。
2つ目の趣味に対する世間の目ですね。父親の頭ごなしの怒りはまあ当然として、あやせというキャラを置くことで、趣味・コンテンツの否定が先にあって、愛情を持っている人間でさえ、気持ち悪くて許せないという、女性のごく一般的な感情を上手く表現していました。これがステレオタイプのオタク像の男性が主人公なら表現できなかったでしょう。
普通考えたらローティーンの少女の裸を見ていい大人が興奮していれば、気持ち悪いしコンテンツとして許せないと思うのも無理からぬことです。ですが、メタ的な視点で見たとき、ステレオタイプのオタクを出してしまうと逆に本アニメの視聴者からは擁護したい気分が先に立ってしまうと思います。ここの役割をヒロインにすることで、客観性をうまく表現できていたと思います。
あとはカミングアウト…ですか。深夜の行列のときの魂の叫びに周囲から拍手が起きていましたね。あれも一つの主張なのかもしれません。
宮崎事件から徹底的に疎外されたキモオタ系についての対立が端的に表現され、しかも一方的でないのがいいと思います。あえて、もっとも気持ち悪かろうカテゴリーとなるロリコン・エロゲを持って来たのが秀逸でした。
最終的にここに価値判断をいれないのが良かったと思います。それは兄視点やあやせを出したからでしょう。理解はできる…いや、許容はなんとかできる…までは来た感じでしょうか。
3つ目の創作・表現について。ヒロインの形に捉われず素直に書きたいやりたいものをやった強み、逆に来栖のコスプレイベント優勝で心が籠らなくても器用にこなせることの強み。この2つが表現されていました。
この時原作者が売れていたかどうかわかりませんが、クリエータ・表現者の気持ちの代弁…というか心の叫びだったのかもしれません。
キャラです。これは「黒猫」というゴスロリオタク趣味のキャラ造形を確立させたのは素晴らしいでしょう。以降のオタク趣味キャラに影響があると思います。本作原作が2008年アニメ2010年。「僕は友達が少ない(2009年アニメ2011年)」「中二病でも恋がしたい(2011年アニメ2012年)」などはそんな感じです。しかも実は貧乏設定。沙織の金持ち設定との対比も面白いです。
そして「あやせ」を置いたのは素晴らしいですね。世間一般の反応を代表していました。
幼馴染の娘が活躍しませんでしたね。都合のいいキャラでしかなかった感じです。
ストーリーの2つのエンディングはちょっと評価を考えてしまいました。もちろんエロゲがモチーフの物語ですから、メタ的にゲームのマルチエンディング的に妹エンドへ導く布石なんでしょうけど。やはり小説やアニメはゲームと違って、1つに絞って欲しいという気持ちはあります。
ただ、面白いですよね。この原作者は。妹キャラ自体が完全に妄想です。ただ、他のキャラがその妄想妹キャラによってかなり活き活きと面白く描かれます。その構造がうまいんでしょう。この手法は後のエロマンガ作家と一緒ですね。
それに脚本が倉田英之(メイドインアビス、ゴブリンスレイヤー等)ですからね。
声優さんは豪華の一言ですね。アニメの出来もかなり奇麗だったです。
とまあ、じっくり見てみると、かなり奥行きがある作品の気がします。なんとなく原作者の想いをスーパー妹キャラに仮託した私小説のようにも見えます。この時代のラノベはある意味純文学だったなあ、と思う今日この頃です。