ウェスタンガール さんの感想・評価
4.6
物語 : 4.5
作画 : 4.5
声優 : 4.5
音楽 : 5.0
キャラ : 4.5
状態:観終わった
ピンホールカメラ
小学校の頃、月に一度だったであろうか、職員室前の渡り廊下で、科学と学習という雑誌が売られていた。
あまり興味はなかったのであるが、一度だけ、夏休み前に買った覚えがある。
そう、付録に釣られたのである。
ピンホールカメラと青写真のセット、いわゆる日光写真機である。
愚かなガキの私は、あまり説明も読まず、上手く撮ることができなかった。
そこには写っている筈の悪友の姿はなく、背景らしきものは斜めににじんでいた。
今思えば、露光時間が短かっただけのこと。
私は落胆し興味を失ってしまった。
だが、映り込んだ景色のようなものは妙に心の奥底、記憶の澱の中に今も残っている。
夏目貴志の“目”についてである。
散乱する光を、一点に収束することで作る出される絵、まさにギリシャ語の語源そのままに、光(photo)の絵(graph)ということになるのであるが、日本語に当てられた『写真』という言葉が、この場合、ピンホールカメラについてはしっくりとくるような気がする。
写真は、撮られた瞬間に過去の記憶となる。
自身は観察者となり、そこに在るのは一人称の世界なのだ。
ピンホールカメラは動きのあるものを捉えることは出来ない。
動かぬもの、街並みや風景は映しても、そこに息づく不特定の者たちを写し取ることはない。
しかし、そこに織り込まれている記憶は、その人だけのものであり、他の誰も見ることができない世界、すなわち心象風景となるのだ。
人は其々の時間の中に生きる。
時の“渚”とでも言うべき場所、我々が生まれ、一生を終わるべき“さざ波”、その波頭の上に“砂の城”を築き、人生という絵を描いてゆくのである。
ときに過去に囚われ、未来を夢想し、不安の中で立ちすくむ時、そこには多分、別の時を生きる“あやかし(妖)”なるものが顔を出しているのかもしれない。
猫の目のように、縦長に細く収束する夏目貴志の瞳は、まさにピンホールカメラのように、隠された真実を写し出すのだ。
それは、夏目の友人である田沼、彼が住む寺の座敷の天井に映る、今はなき池の陰であり、サキちゃんが描く魔法陣でもある。
あるいは、我々も感じる一陣の旋風や気配、そんな空気感が描かれる夏目友人帳をこよなく愛するのである。