なばてあ さんの感想・評価
4.5
物語 : 4.0
作画 : 4.5
声優 : 5.0
音楽 : 5.0
キャラ : 4.0
状態:観終わった
剥き出しの生を濾過しそこなう贖宥状
例の問題作。意を決して見る。
初見時はやはりというか、かなり辛い印象。ただ、余韻がすごかった。なにか見逃しているような気がした。二日後にもう一度、見た。すこしずつ印象が好転していくのを感じた。結果、他の大部分のレビューと意見が重なるところもありつつ、ズレるところもでてきた。
重なるところは、これがいわゆる「神アニメ」ではないという点だ。それはまちがいない。残念ながら、どうころんでも、それはちがう。そしてズレるところは、これをわたしは「良アニメ」と考える点だ。見所は、ある。一部のヒステリックな否定意見の存在が、それを証明しているとさえ思う。
この作品のなにかが一部の視聴者をいらだたせているのはまちがいない。かくいうわたしも、初見時はたしかにそうだった。かつての『{netabare}Air{/netabare}』や『{netabare}CLANNAD{/netabare}』でも、じつはその苛立ちの種は仕込まれていたのだけれど、発芽からの大繁殖にはいたらなかった。
しかし、この作品では大繁殖した。それはなぜなのか。言うまでも無い。名も無き視聴者でしかない自分の罪を告発するニュアンスが、さりげなくもしっかりと織り込まれているからだ。言い方を換えるなら、ひとりのアニメ好きでしかない自分も強者であって、弱者を虐げることでそこに立っているという事実を突きつけられる、ということだ。
この視聴者の喉元に突きつけられる匕首が、以前の麻枝作品とは比べものにならないほど、直接的に肌に押しつけられる。血が滲む。泣きシーンの涙で洗い落とすことができないほどに、残り続ける、染み。この染みが、一部の視聴者を責め苛み、他のアニメならふつうに流せるであろう瑕疵であってもあげつらうよう仕向けていく。
とりわけ、ロゴス症候群の「デフォルト」に戻った11話以降のヒナの姿は、その匕首として明確に機能する。ヒナを怯えさせるほど大声をあげた陽太に対して、ヘイトが集中している事実などは、その最たる証明。つまり、自分がヒナの側に立っていることをアピールすることで、血の染みを覆い隠す贖宥状を得ようとするかのよう。
もちろん、告白するならわたしも、初見時はその贖宥状に手を伸ばそうとしていた。そしてこれが、余韻の原因だった。余韻の震源地は、アニメのなかではなく、自分のなかだったのだと、いまならわかる。麻枝准は、ふり返ればいつもそうだった。空気を読まず、敢えてマーケティングの逆を行き、その逆張りのギャップを涙で糊塗する。
麻枝准は終わった。・・・とヒトは言うけれど、終わったのはこちらのほうかもしれない。少なくとも、変わったのは視聴者の側であり、社会の方であるのはまちがいない。麻枝准は最初から変わっていないし動いていない。彼だけは定点としてそこにあり、いつも取り残され、ついにはひとりぼっちになろうとしている。
・・・さて、「良アニメ」であっても「神アニメ」ではないというのがわたしの評。ただ、そこでひとつ評価を下げる理由は、ほかのレビュアーがさんざん言ってくれているので、それに乗っからせてもらいたく。わたしが一番いらないなって思ったのは、たとえば12話の以下のセリフとか。
{netabare}
そうだ、出会った時にまず、これに興味を持ったんだ。
もしかして、ヒナと出会った日からやってきたことって、
全部、ヒナが普通の人の暮らしのなかで
やりたかったことなんじゃ。
{/netabare}
・・・やっぱりこういうのは、説明ゼリフすぎてちょっとげんなりしてしまう。そんなことセリフにしなくても、見てれば誰だって分かる。たぶん、ノベルゲーの地の文(=主人公のモノローグ)とアニメのモノローグはすこし強さがちがう。いや、まさかいまさらノベルゲーの地の文のノリでアニメの脚本を書いていたりしてないとは思うけれど、でも、このセリフにかぎらずすべてを言葉で説明しようとしすぎて、それがちょっとめんどくさくはあった。
もうすこし、視聴者を、ひいては、ストーリー構成を任せられるような誰かスタッフを、信用できるような空気感があれば、いろいろ状況が変わったのかなと思う。京アニと組んでいた頃は、その空気感があったのだろう。いまはいろいろギスギスしている世の中で、透き間が少なすぎて、「正しい」ことがすべてになって。
全話三回目を見終わったいま、そんなふうにまた、辛くなってきたわたしだった。
それにしても、あやねるはすごい演技だった。10話の連れ去られる直前「なぜ自分を連れて逃げるのか」の醒めたトーンは鳥肌が立った。あの場面、ウェットな演技をしても映えるところを、あえて抑えめのドライな演技でまとめたプランは神すぎる。もちろんショートカットになってからのヒナの演技もすごい。
それは「人格」という概念から一切の意味を削ぎ落とすかのような演技だった。「剥き出しの生」の在り方として、適切すぎる演技だった。「剥き出しの生」というフェーズで、ヒトはまだ愛し愛されることが可能なのかという根源的な問いがここにあり、そんなハイブローな問いがブレてしまうことを防ぎきって、どうにかこうにか最後まで駆け抜けたのだから、「良アニメ」以下の評価なんてありえない。
ありえないのだ。
衝撃:★★☆
独創:★★★☆
洗練:★
機微:★★
余韻:★★★★