nyaro さんの感想・評価
4.7
物語 : 5.0
作画 : 5.0
声優 : 4.5
音楽 : 4.0
キャラ : 5.0
状態:観終わった
我々が行う価値評価は本当に正しいでしょうか?
ウルトラマンを元祖とする日本のスパーヒーローものに出てくる正義の組織って、なんて無力なのだろうと思った事があると思います。最先端の科学で作られた新兵器で索敵し情報を集め、超兵器で怪物に立ち向かう。でも、まったく通用しません。結局はヒーローが登場し解決してしまいます。つまりワンパンマンです。
ただ、その構造が正しいものとして延々とそういった物語が作られたわけです。本作もヒーロー協会本部の滑稽を我々は笑いますが、少し前まではその価値観が当たり前だったわけです。
また、無敵の存在に悪意が無い場合。そして、夢のスケールが小さい場合。その存在の価値に気付きません。
象の周りに群がるアリという比喩があります。周囲は小さなスケールの中でSランクからCランクまで制度として順位付けして、上下にこだわっています。そして、無敵の存在を正しく評価できません。
世界が物質主義から情報主義になったとき、中央集権的な情報発信と受け取る民衆側の非対称性(発信する側の情報力が受け取る側に比べて格段に多い状態)が崩れ誰でも膨大な情報を扱い、自己判断ができるようになったとき、絶対正義たる「お上」という概念は崩壊しました。つまり「正しい価値」を提供してくれる存在はいなくなったわけです。
作中の登場人物たちは、ワンパンマンをBランクで評価していることが「お上」が発信する正当な情報として受け入れてしまっています。
そこに、我々は現実世界で正しく物事が見えているのか、というもう1段階上の皮肉も入っている気がします。我々はヒーロー協会本部のランク付けの意味の無さを笑います。ですが我々も誰かが発信する情報に頼ってランク=価値判断していないか?(まさにこの「あにこれ」というサイトの存在のように)という事です。側にいる人、テレビやネットで見る著名人の価値をあなたは何で判断していますか?自分で判断してますか?本当にその判断は正しいですか?という事です。
だから、ワンパンマンの価値が分かるのはロボットか武術の達人という皮肉も入っています。個人的な体験としてワンパンマンの強さに触れない限りは、たとえ、ヒーローの専門化である協会本部やSランクのヒーローそのものだったにせよ判断基準は一般人と変わらないということです。
ハリウッド、アメコミも脱ヒーローを模索しているのでしょう。強さや正義といった意味の相対化がおこって久しいと思いますが、その中でワンパンマンの存在は、非常に意味が大きいと思います。それは日本にはウルトラマンという存在があったから、意味を転換させられたのでしょう。
原作は途中まで追っていたのですが、この1年ちょっと飽きたので見ていませんが、上記のテーマがしっかりしていた頃は非常に面白かったです。タツマキがワンパンマンに通用するのか、という部分しか楽しみが残っていませんのでその結論だけ見たいです。
さて、アニメです。作画が異常に綺麗でした。モスキート娘とか必要あるのか、というくらい美しい作画でした。ED曲の背景の荒廃した街と最期のマンションの一室に明かりが点く、そして心配する人がいるという歌詞は、それでもワンパンマンも人間で、無敵ではあっても人とのかかわりの中で生きているということでしょうか。
とにかく、1期は本当に意味的にも深いと思いますし、ストーリーも登場人物もかなりのレベルで面白かったと思います。
(追記;無敵のヒーローの存在が強さを相対化してしまう虚しさ、あるいは、敵がいない無敵のヒーローの絶望あるいは孤独、みたいなものももちろん入っていました。)