nyaro さんの感想・評価
5.0
物語 : 5.0
作画 : 5.0
声優 : 5.0
音楽 : 5.0
キャラ : 5.0
状態:観終わった
遺書、遺作、自伝。最後で宮崎駿は宮崎アニメを捨てました。
宮崎駿はおそらく自分のクリエーターとしての死を意識したのでしょう。カプロニはイタリアの航空機メーカーですが、ディズニーなんでしょう。イタリア、ドイツの高度な工業技術に憧れ、ただそれに追いつき追いつくことにまい進した人生は、つまりディズニーに憧れてアニメを作り続けた人生ということです。
愛する人と最期の時すら一緒にいられなかった。現実ではまだ奥さんは亡くなってはいないでしょうが、家族を省みなかった人生だった。
ただ、第2次世界大戦の終戦を迎えて、荒廃した風景にすべてが虚しくなります。何のための技術だったのか。ひょっとしたら今のアニメ業界に対する嘆きなのかもしれません。彼の目指すアニメとはまったく違った方向に進化あるいは退化してしまった現状。恐らく死を意識したことがあるのかもしれません。クリエータとしてでしょうけど。
ここで宮崎駿はアニメを作れなくなったのでしょう。年齢なのか時代なのかわかりません。自分のクリエーターとして情熱を失いかけていることを悟って、最後の力を振り絞って遺作を作ったように見えます。
声優に庵野秀明を使ったのは、後継者の指名なのか彼もまた、自分と同じ人種だということなのかわかりませんが、やはり、遺書的な匂いがする起用でした。
本作は、愛するものに対する贖罪あるいは後悔もあったのでしょうか。それでも、菜穂子は生きろといいます。カプロー二も同様です。それは一生アニメからは逃れられない呪縛でもあります。
さて、アニメです。関東大震災のところ、鳥肌が立ちました。地震をああいう風に表現したのを初めて見ました。世界大恐慌もですが歴史が宮崎アニメで初めて描かれたのではないでしょうか。堀越二郎をモデルにしたこともあわせて、宮崎駿が初めてリアルを作品に持ち込みました。
当時の上流階級、サナトリウム、日本家屋、航空機と工場や現場。どれも素晴らしい演出、演技、描写でした。また、夢の空間と現実が混沌としています。これは技術者=クリエーターは常に夢想していることを象徴しているのだと思います。
声優の起用の仕方も、この時代のどこかよそよそしいしゃべり方(小津安二郎的な感じ?)を出すのに、声優では駄目だと思ったのではないでしょうか。
菜穂子との愛情。切なかったですね。技術者の冷たいところではなく、なんとか菜穂子に何かをしてやりたいというジレンマが良かったです。簡単に書きましたが言葉にならないからです。宮崎駿作品では一番愛情が伝わってきました。
風立ちぬの題名からラストは当初からわかります。最後の菜穂子の笑顔。無垢とみるか作り物みたいとみるか。今も考えている部分です。
これは見る人に夢を与えるための宮崎アニメではありません。宮崎駿は、先ほどは遺書といいましたが、リアルな歴史や人物と組み合わせることで、おそらくは自分が生きた証として、自分の見てきた夢を、自伝を残したかったのでしょう。そうするためには、宮崎アニメを捨てなければならなかったのだと思います。