蒼い✨️ さんの感想・評価
2.5
物語 : 1.0
作画 : 3.0
声優 : 3.5
音楽 : 4.0
キャラ : 1.0
状態:観終わった
監督が主役!
【概要】
アニメーション制作:Drive
2021年2月14日、3月14日に2回に分けて各プラットフォームで配信された全12話のwebアニメ。
原作・総監督は押井守。監督は、西村純二。
【あらすじ】
高校2年生の女子高生・絆播 貢は、変態的献血マニア。
自分の血液が美少女の体内を巡るのを想像すると喜んでいるのである。
だが、 貢の血液はキメラ型であり、どの血液型とも共存できない攻撃性のため、
献血に赴いては、 常に血液採取を断られているのだった。
そして、いつものように献血車で女性看護師にあしらわれていると、
か弱そうな金髪の美少女が『血!血!』と呟きながら入ってきた、
おばさん看護師が検査採血をしようとした瞬間に金髪の美少女は豹変し暴れ、
輸血パック数個を握りしめていた。そして、献血車は爆発炎上。
金髪の美少女の名は、マイ・ヴラド・トランシルヴァニア。
名門・トランシルヴァニア一族の血を引く吸血鬼だった。
見た目が好みで惚れた貢は、吸血鬼のマイを家に連れ帰り保護。
血を求めて空腹のマイと自分の血液を役立てる機会を得た貢。
二人の同棲が始まるのだった。
【感想】
『現代のアニメーションはどれも毒にも薬にもならない』
『じじいを怒らせたらどうなるか思い知らせてやる』
『自分たちが面白いと思ったことを存分にやった』
と、リップサービスがあるもののトークで語った、古希(70歳)手前の押井守総監督。
今回はアニメ映画でも実写でもなくオリジナルwebアニメであり、
シリーズものアニメの演出をするのは約30年ぶりですね。
スポンサーである不動産会社「いちご」が全額出資して押井さんの好きに作って良いとのこと。
原作・総監督・シリーズ構成・脚本・絵コンテと押井守らしさ120%のアニメなのでしょうね。
このアニメでよく批判されている、「昭和アニメのノリ」「ネタがわからない」は、
『理解されることは期待していないし、理解する必要もない。
ドタバタと楽しいことをやった気分になれば良い』。
と自分で言っている通りに意図的に作ったものらしいです。
しかしそれらも、時代に取り残された自分を予防線を張って守っているに過ぎないという感じ。
今どきの深夜アニメ視聴者はシナリオがどうたらキャラぶれがどうとか、
薄っぺらいとか矛盾がどうとか、とにかく厳しいダメ出しが多いです。
それは大ヒット人気アニメでも名作と呼ばれるアニメでも例外ではありません。
そこに『自分のやりたいようにやる!おまえら笑えよ!!』でアニメを作れば、
よほどネタアニメとして傑出した楽しさが無ければ非難の集中砲火を浴びるのは不可避でしょう。
結果として、「ぶらどらぶ」は一般的には低評価なアニメに終わってしまいました。
『ちゅどーーーん!』
『だっつううううの!!』
『たわけえええええええ!!!』
『○○だと言っとろうがあああああ!!!!』
いざ見てみますと、会話のノリと大仰なリアクションが、
自身が初監督を務めた出世作の「うる星やつら」のそのまんま焼き直しで、
押井ギャグアニメでおなじみの、ガニ股で顎が外れそうなほど口を開けての高笑いもあります。
主人公の貢は諸星あたるをミニスカ少女にした感じではあるし、ヒロイン吸血鬼マイの二面性はラン。
サクラ先生をイメージしたボディコン年増保健医に若本規夫喋り(CV:朴璐美)をさせているわ、
千葉繁が演じたラム親衛隊隊長を女性化したようなメガネ少女もいる。
キャラクターデザインは現代風といいつつも、
今どきのアニメはムチムチとした足の太さをも可愛さとして描いているのとは逆に、
このアニメの少女たちは肉付きが悪く不健康とも言えるガリガリさで微妙に価値観が古い。
更には美女設定の赤毛の露出狂年増保健医のデザインは頬がコケた厚化粧で首筋が気持ちが悪い。
キャラの多くが女子高生ではあるが、押井守の友人たちがモデルであるためか、
仕草や行動に若さも愛嬌もなく、そもそも女子高生が死に設定と言えるキャラ付けと行動は、
ヒロインのマイ以外を全員男性キャラに差し替えても問題がないレベル。
キャラの皆がパワフルなエゴイストであり、きららアニメみたいな仲良し描写はないです。
一名だけマスコットキャラ的な存在もいるにはいるのですが。
「うる星やつら」のメガネ(CV:千葉繁)のごとく大声の早口で長広舌を繰り返せば、
個性的でパワフルと持て囃された昭和の成功体験を令和の今になっても引きずっていて、
過度の暴力に人権無視な展開。顔面殴打で歯が折れても瞬時に元通りになるギャグ時空で、
スラップスティックアニメだからハチャメチャでいいだろ!お前ら笑えよ!なのですが、
アニメの世界にも一定の倫理観が求められている時代に昭和の過激なノリが苦戦するのは必至でした。
うる星やつらが当時ウケてて、ぶらどらぶがダメだったのは、
高橋留美子先生が生み出したラムちゃんなどのキャラクターとの魅力の違いが大きいでしょう。
「機動警察パトレイバー 2 the Movie」「拷問研究会」など自身の過去作ネタのパロディ尽くしに、
そして10年以上昔のシャフト演出の多用と、
『今の若い人が好むものって、ほぼほぼ知らない』とインタビューで答えていて、
芸風が故意だと言っていても実はそういう話ではなくて、
知識や教養の使い方がどれもセルフパロディの焼き直しや薀蓄自慢でしかなく、
ゴダールだフェリーニだワイダだ言ってる自らの映画教養や文学趣味の羅列で作品を作ってきたのが、
たんなる懐古趣味とひけらかしで終わっていてキャラの魅力に貢献することなく、
また、その尖った独りよがりな作風になっているのが、
今になって視聴者との意識の断絶となって押井守本人に跳ね返ってきていますね。
映画大好き青年であった押井守に芸術を愛でる心があるならば、
やるべきことは引用や知識披露ではなくて、
作品を鑑賞して得た感動を咀嚼して自らの演出表現に昇華することでしょう。
○○監督のあの映画は名作で素晴らしかったとアニメの中で紹介することには、
単なる情報の羅列以外の意味が全くありません。
シリアスな物語であれば、押井ファンが勝手に考察して脳内補完して盛り上げてくれるのですが、
コメディであれば、愛着を持てる可愛らしいキャラがおバカなことをしていて、
キャラ同士の横の関係に楽しさを感じるのが主流となっている今、
個人主義で仲がいいわけでもないキャラたちによる、
ナンセンスで暴力的な内容が視聴者の好みとかけ離れていて、
総監督の趣味だけでアニメを作ってしまったのが、
自己満足どまりという当然の結果をもたらしたと言えますね。
今のコメディアニメで重視されている要素である「萌え」を媚びるための人形であるとか、
まるで悪徳のように語る人もたまにはいますが、
萌えとは上目遣いで尻を振りながら媚びを売ることではなく、
人から好かれるキャラクターを作り出すこと。
あざといサービスシーンなどで媚びるためだけに作られたキャラは今どき流行らないですよね。
考えて作り出された、人から愛されるキャラは笑っているだけでも人を幸せにする。
嫌いな人間が笑っているより好きな人間が笑っているほうが心が和んで楽しいのと同じですね。
我が強く若い頃からしょっちゅうスタッフと喧嘩してた理屈屋である押井守自身の人情への疎さが、
他人と一緒に笑い一緒に泣くことできない共感能力の薄さの持ち主ということであり、
笑いであれキャラの心で人の心を動かすことが難しく、
今回は発酵したネタで乾いた笑いしかもたらせなかったという結末。
『その押井節が良い!楽しかった!ねじ式のパロディには笑った』というファンもいて、
スポンサーも内容に文句を言っているわけでもないので、
本人たちが満足していれば、それはそれで良いのでしょう。
“駄サイクル” by 石黒正数著「ネムルバカ」 の閉じた関係でしかないですけどね。
まあ、『1本当たれば4本は(外れようが)好き勝手できる』と言っている通り迷作を度々生みながら、
たまに絶賛される名作を作ってしまうのが押井守スタイルであり、それで成功してきたので、
今更やり方を変える必要はないのでしょう。
しかしながら、映画マニア以外には意味をなさないであろう映画雑学解説の多用で尺稼ぎ。
クール後半になってはアニメで動かすことを諦めた、ノロノロとした紙芝居展開の多用。
つげ義春の「ねじ式」を読んでないとちっともわからないパロディ回。
などなど押井守と既存ファンには笑えるギャグの数々も、
わかる人にだけわかればいい代物であり、視聴者は真顔で困惑するしかなく、
そのマニアにしかわからないものを武器に今のTVアニメへの喧嘩腰の発言も、お粗末ですよね。
今はお客さんに理解されて届くものが喜ばれる風潮があり、
そのために最前線で研究して努力してアニメを発表している人たちに対して、
自分の世界だけでアニメを作っていた人間がとやかく言う資格は無いでしょう。
どっちが上だの下だのはどうでもよくて、結果が全てですね。
このアニメに見ごたえがあるとすればOPとEDでしょうか?
本編の作画がヘタれていますが、OPとEDだけはカッコイイので点数に色を付けています。
後半のダレ方が酷いですので、まだ見てないという人は一話目で無理だな!と思いましたら、
面白くなることを一切期待せずに一話切りするのが妥当だと思いました。
最後に!
このアニメを見て思ったことは、押井守監督の過去の成功体験をパロディという形で羅列していて、
自己顕示欲が強めであり、その目は未来を向いていませんね。
アニメの未来を拓くのは過去の成功体験に縛られずに貪欲に研鑽をして今を生きている人間です。
何十年前のあの作品は良かった、それにひきかえ今どきのアニメは!
と演出やレイアウトの違いを口にして過去の人気作品をお手本に推奨する人もいますが、
実地で磨いてきた技術や作品のテーマに沿った演出方針の違いもあるでしょう。
当人やファンらにとって大事な過去の栄光を否定する気はないですが、
それにすがりついて美化するあまりに今讃えられているものを認められない!
そのことに何の意味があろうか?と疑問に思いました。
これにて、感想を終わります。
読んで下さいまして、ありがとうございました。