蒼い✨️ さんの感想・評価
2.8
物語 : 2.0
作画 : 3.0
声優 : 3.5
音楽 : 3.0
キャラ : 2.5
状態:観終わった
“ドラ泣きマックス IMAX ‼”が虚しいです。
【概要】
アニメーション制作:白組、ROBOT、シンエイ動画
2020年11月20日に公開された劇場アニメ。
原作は、藤子・F・不二雄が『月刊コロコロコミック』『小学〇年生』
にて連載していた「大長編ドラえもんシリーズ」作品。
監督は、山崎貴、八木竜一。
【あらすじ】
前作のエピソード『のび太の結婚前夜』の続き。静香との結婚を翌日に控えて、
独身最後の夜をジャイアン、スネ夫、出木杉と飲み明かした未来の大人のび太。
だが、帰途についてひとりになった大人ののび太の表情は暗く沈んでいた。
舞台は戻って現代。
隠していた0点の答案を見つけたママに叱られたのび太は、
8月7日の誕生日のせめて今日だけは止してもらおうと話を反らそうとするも、
その態度に余計にママの怒りを買っては、鼻水を垂らしながら泣いていた。
実は隠している0点の答案は他にも山ほどあったので、のび太はお説教の後に、
ママに見つからないように他の答案を別の場所に隠そうとしたのだが、
そのときに、くまのぬいぐるみを見つけた。それはアチコチ破れては継ぎ接ぎだらけで、
幼稚園のときに亡くなっていたおばあちゃんとの大切な思い出の品だった。
いつだって優しかったおばあちゃんとの思い出に号泣したのび太は、
タイムマシンで過去に戻って会おうとした。ひきとめるドラえもんだったが、
遠くからこっそり眺めるだけにするというのび太の案に結局付き合って、
のび太が3歳の時代にタイムマシンで一緒に出発。
過去の時代で幼いときの自分やジャイアンやスネ夫ら相手に絡んでしまう不審者なのび太であったが、
逃げてるときにおばあちゃんに見つかってしまう。
隠れないといけないのび太を匿ってくれたおばあちゃんは、
彼が未来から来た小学生ののび太であることを疑うこと無く信じて受け入れてくれた。
願いを聞いてくれてランドセルを背負った姿ののび太を見せられたおばあちゃんは、
「あんたのお嫁さんをひと目見たくなっちゃったねえ」
もうひとつ、要望が出来てしまった。
そこで確認のためにタイムテレビで結婚式当日の式場・プリンスメロンホテルをみると、
何故か新郎で大人ののび太がいなくなっていた。
タイムマシンで未来に向かった、のび太とドラえもん。
大人ののび太は、逃げてしまったのか?
なんとか状況を解決しようと、てんやわんやと行動を起こすのび太とドラえもんなのだった。
【感想】
去る2020年12月1日の映画の日。『劇場版 鬼滅の刃 無限列車編』をTOHOシネマズに観に行ったら、
上映2週間目で売店では一番大きく扱われていた作品。
前作の興行収入83.8億円から今回は27.2億円と大きく落ち込んだものの、
今の御時世では回収できている部類に入るのでしょうね。
着席率が低いなりに上映館が多くてある程度の客入りが継続的にあった成果でしょうか。
youtubeで公開してる、『STAND BY ME ドラえもん 2』予告1 を事前に見て、
「あ、逃げた!のび太逃げた!」に脱力して、
「あ!これ見なくていいや!」な気分になったのが理由でもありますが、
私はスルーして鬼滅だけ観て帰りましたけどね。
脚本を書いた共同監督でもある山崎貴氏は、原作を下敷きに自分の作家性を思う存分に誇示したい、
自分のアイデアで強く爪痕を作品に残したい欲求が強いクリエイターであります。
『無理に大人になろうと思わずに肩の力を抜いて生きよう』
『三つ子の魂百まで』(人はそう変わるものではない)
この作品で語りたかったことは、年齢を重ねるだけ重ねて自分に自信が持てていない大人に対して、
幼稚なダメ人間として描かれた大人のび太の葛藤と成長物語を通して、
声援を送りたかったのかもしれません。
しかしながら、
『物語では、大人ののび太の「ダメっぷり」をとことん強調した。
これはかつて監督・脚本を手掛けた「ALWAYS 三丁目の夕日」シリーズの、
主人公茶川竜之介(吉岡秀隆) の人物造形をした時の教訓から。
山崎監督は「茶川さんを良い人にすると話がつまらないのに、
クズにしたらすごく面白くなった。ダメな男が頑張るから面白い」と愉快そうに話す。』
と、当の山崎貴氏が2020年11月21日に時事ドットコムニュースにて掲載された、
インタビュー記事で自画自賛している通りのび太をシナリオの都合で好きに弄くれる道具として扱い、
のび太を何歳になっても成長しない落ちこぼれと断定して徹底的に見下しながら話を作っている。
原作の描写と比較しても過剰なまでに愚鈍なのび太に、そこに原作への敬意があるのか?
と改めて問いたいですね。
のび太はたしかにドジでオッチョコチョイではあるし失敗だらけで、
おとなになって治ったのは近眼だけ!と、父親になった更に後の時代ののび太が語っているのですが、
思い出せば、1998年から2002年までの間に発表された5本の短編ドラえもん映画では、
善意の行動をするが判断力が未熟であったり優柔不断で感情が整理できずに失敗をしたりする。
優しさ故に傷ついたり後悔したり涙が止まらなかったり自分に対して怒ったりする。
その心理描写の丁寧さから人間臭さが愛おしく思える、小原乃梨子さん演じるのび太。
てんとう虫コミックス第18巻に収録されている「あの日あの時あのダルマ」
では、幼いのび太がおばあちゃんとの最後の約束を交わします。
「ころんでも ころんでも ひとりで おっきでる ダルマになるよ」
の言葉通りに旧映画ののび太は生きてきた。
確かに頼りないかもしれない。おとなになっても失敗をたくさん繰り返すかもしれない。
それでも、くじけない心の強さ、懸命に生きて人の器を育んできた形跡が見られます。
小学生時代から結婚する青年期の間に、のび太なりに人と交わりいろんな事を経験して考えて、
何度も転びながら少しずつ成長してきた旧作映画の青年のび太の人格の陶冶と比較すると、
山崎貴の操り人形と化したこっちのはのび太は子供時代なら『まあ子供だから』で済んでいたことが、
おとなになっても『まるで成長してない』どころか、人の気持ちがわからないから会話が成立しない。
身勝手で「美味しんぼ」の富井副部長レベルに単に頭が悪くて無神経で、
疫病神と言っていいほどの痛々しさが悪目立ちします。
日常生活に支障ありげに酷く幼稚な姿に反感を抱いた人間が映画レビューサイトでは少なからずです。
その、人の心がわからないトラブルメーカーのおとなのび太が、
今の自分が情けないのが過去の自分のせいと責任転嫁をして昔に戻ってやりなおしたいと、
わがままを言い出し、現代で一時的に子供時代を再体験するために入れかえロープを使って、
身体を交換した子供のび太の姿ではしゃぎまくってはドジを踏んで、
不良中学生トリオを相手に上から目線でイキリ散らしたせいで、
小学生のくせに生意気だ!と怒りを買って喧嘩になり、
助けに来たジャイアンやスネ夫と共闘して撃退して、
その後に道具・入れかえロープの重大な欠陥でのび太が気を失ってしまい、
気合で深刻な危機を脱して目が覚めると何故か子供静香との感動シーンになって、
「そのままでいい!」と静香から涙ながらに言われてしまいます。
頭に血が上った不良中学生が割って入った静香を脅そうとしたのを庇った行為に対して、
「僕、しずかちゃんを守れたかな」「無理しないでいい」と続くのですが、
そもそも喧嘩の発端がおとな(姿は子供の)のび太の数々の発言が、
不良中学生を逆撫でして激怒させたことにあり、静香は巻き込まれた被害者。
心配で動転していた子供静香にはその意図がないとしても、
幼稚で人に迷惑かける行為が危機を招いたのに「のび太さんは、そのままでいいの」とは、
バカで無責任なトラブルメーカーのままで良いということになります。
原作では50代半ばののび太が小学生のび太に会い、未来の彼の時代では失われたノスタルジーに浸り、
過去の自分に未来への希望を語った名作として知られている「45年後… 」を元に、
青年のび太の人間的痛さが増すばかりで、彼の極端なトラブルメーカー話として魔改造された末に、
中学生との諍いに発展してしまったその顛末はお粗末であり、
更にはのび太を徹底的に愚者として描き、成長を放棄させて赤ん坊のように甘やかす静香の台詞は、
某ディスニー映画の「レット・イット・ゴー~ありのままで~」の影響なのでしょうか?
支え合える人間がいるから無理に頑張らなくて良いというより、
害を与えながら人に依存して甘えて生きる、
成人していて五体満足で健康なのに歩行器なしに歩けないようなダメ男と、
さらにそのダメ男を甘やかすのが生きがいの奇特な女の話であり、
それは本来のドラえもんのストーリーである、
「のび太の成長を促して未来を変えるためにドラえもんがやってきた」とは相反していますね。
こうしてのび太を見下した山崎貴氏の手で作られた挑戦的なストーリーではあります。
静香の言葉で心の整理がついた、おとなのび太は未来に戻って結婚式場に向かい、
未来ののび太と静香の結婚式の感動スピーチと、
おばあちゃんの子供のび太へのご褒美じみた暖かい言葉で終わるのですが、
そこまでのトラブルの数々がどう見てもおとなのび太の過失による悪影響が各所で甚大なせいで、
美しく飾った言葉で〆て感動させようとする割に、ちっとも良いストーリーではなかったですね。
場面の前後関係を無視すれば感動の名スピーチと言えるのですが、
そこまでの経緯が酷すぎるので、のび太の変わりように違和感を禁じ得ません。
創作はストーリーやキャラクターで感動するのではなくて、
キャラクターの気持ちや行動に共感できた時に人は感動をすると思っています。
ドラえもん短編映画では思いやりの気持ちや行動で泣かせてくるのですが、
こっちは行動が伴わないのび太の口先でドラ泣きさせようとしていますね。
物事の優先順位をつけられなかったり単に能力不足でドジをやったりするのですが、
のび太の人の良さと心の成長を描いてきたのが旧来の短編映画ののび太なら、
こっちは本当に頭が悪くて無神経な姿を見せびらかしただけ。
それが結婚式のスピーチの場面だけ別人のように美辞麗句を並べだすのですが、
それだけの知性があるなら中学生に無自覚に喧嘩を売って殴られたりしないだろと!
いう気持ちになりました。
展開の都合で、のび太の頭が良くなったり悪くなったりする整合性の無さ。
某アニメ会社が人の気持ちは言葉だけでは表現できないという主義で作品作りしてるのと逆に、
この映画の場合はキャラが台詞に振り回されていますね。
とことんダメ男として描かれたのび太をさんざん見せつけた挙げ句に幸せなオチにしたのですが、
これを見せて視聴者にどんな反応を期待していたのでしょうね?
自信を失いがちな大人に勇気?笑い?希望?を与える?
それこそ、てんとう虫コミックス23巻収録の「ぼくよりダメなやつがきた」
の多目くんの位置にのび太を持ってきて散々醜態を見せておきながら、
こんなダメのび太でも幸せな結婚できたんだ!お前らも頑張れ!なのでしょうか?
原作を部分的に拝借しながら、意図的に「あの日あの時あのダルマ」を無かったことにする脚本。
のび太を弄くり回したりでこれだけ好き勝手やるなら、オリジナルでやってください!と。
それは、山崎貴氏が関わる原作付き映像作品でしょっちゅう思うことです。
“ドラ泣きマックス IMAX ‼”のキャッチコピーも虚しく一度も泣くこともなく、
自分は一体何を見ているんだ!という気持ちになりました。
それは、単に趣味や考え方が作品に合わなかっただけかもしれません。
世の中には、この映画を見て感動したという人もいます。
しかし、どうしても受け入れがたい内容であった!これが自分にとっての事実でした。
言いたいことは終わりましたので、これにて感想を終わります。
読んで下さいまして、ありがとうございました。