かがみ さんの感想・評価
4.2
物語 : 4.0
作画 : 4.0
声優 : 4.5
音楽 : 4.5
キャラ : 4.0
状態:観終わった
「世界をやり直す」という欲望
本作の原作となるゲームはかなり特異なスタイルを取っている。本作の原作ゲームは見かけは典型的な「美少女ゲーム」のインターフェイスを踏襲している。美少女ゲームの歴史は1980年代に遡るが、いわゆる「葉鍵」以後の美少女ゲームはもっぱらシナリオ分岐型の恋愛ADVが主流となる。そこでプレイヤーは「トゥルーエンド」を目指し、何度も同じ時間を繰り返す事になる。
この点、本作では典型的な「美少女ゲーム」における選択肢によるシナリオ分岐が発生しない代わり、昭和58年6月の雛見沢村という同一の場所と時間を舞台に異なる物語が何度も反復され、そのほとんどの結末が惨劇で終わる。
これは典型的な美少女ゲームにおける数々のバッドエンドに相当する。すなわち本作は形式的には美少女ゲームではないが、その物語の中に美少女ゲームの構造を内在させているのである。
これは東浩紀氏が「ゲーム的リアリズム」と呼ぶ制作手法である。「ゲーム的リアリズム」とは、あるキャラクターから複数の物語が分岐する可能性を読み取る想像力をいう。こうした想像力はゲームやインターネットといった「コミュニケーション志向メディア」が産み出すメタ物語が小説や映画などの「コンテンツ志向メディア」を侵食する境界線上で発生する。
そして、このような作品が読まれる「環境」を現実と作品の間に挟み込む読解技法として、東氏は「環境分析的読解」を提唱した。従来の素朴な「自然主義的読解」は作品に内在する「物語的主題」を読み解いていく。これに対して「環境分析的読解」は物語的主題を超えたメタ物語的な「構造的主題」を読み解いていくのである。
この点、美少女ゲームとはゲームを通じプレイヤーが擬似的に「父になる」という欲望を叶えるメディアである。こうした美少女ゲームにおける欲望をより純化したものが、ゲーム的リアリズムを駆動させる「世界をやり直す」という欲望である。
そして、本作はこの「世界をやり直す」という欲望を真正面から無邪気なまでに肯定する。これが本作における構造的主題である。
こうした想像力を現実逃避の夢想として片付けることは容易いだろう。けれども一見して荒唐無稽な奇跡への祈りがむしろこの現実を生きていくための処方箋として機能することもまた確かである。
たとえば認知行動療法には「シナリオ法」という技法がある。これは認知の歪み(自動思考)を適正化する為の技法の一つで、全てが破滅に向かっていくというシナリオと奇跡が起きて全てが好転するというシナリオを考える。
シナリオ法とはこうした極端なシナリオの両方を考えてみることで、その中間にある現実的なシナリオが見えてくるというものである。こうして認知の歪みを適正化していくのである。
こうした意味で奇跡への祈りは決して無駄ではない。たとえこの世界が救いなき世界であったとしても、次の世界はきっと素晴らしい世界なのかもしれない。そして、この世界で積み重ねた努力は、きっと次の世界につなぐ事ができるかもしれない。人は時としてこうした御伽噺に救われるのである。