フリ-クス さんの感想・評価
4.2
物語 : 4.5
作画 : 4.0
声優 : 4.0
音楽 : 4.0
キャラ : 4.5
状態:観終わった
汝らの中、罪なき者、まず石をなげうて
あの名作『氷菓』原作者の米澤穂信さんの作品に、
『さよなら妖精』
という、紛争直前のユ-ゴスラビアから日本に来た少女の物語があります。
もともとは『氷菓』シリーズの続編として執筆されたものの、
同シリーズの読者層に対し重たすぎる、という理由で全面改稿になり、
別物として出版されることになった作品です。
(その後、本編から派生して大刀洗万智シリーズが始まります)
謎解きものとしてはあまりおすすめできませんが、
中盤までのお話は楽しく美しく、さくさく読み進んでいけます。
そして、結末には一片の救いもありません。
リアルな戦争とは、そもそもそういうものだと僕は思います。
ご存じの方も多いと思いますが、
ユ-ゴスラビア紛争は米澤さんが高校時代に関心を抱き、
大学の卒論テーマとするほど研究を続けていた内戦問題です。
ユ-ゴ紛争そのものは本編に関係ありませんし、
アニメのレビューでリアルな戦争を語るのもなんだかな、なので、
ネタバレで隠しておきます。
面白い話ではないので、興味のない方は読まないでくださいね。
{netabare}
ご記憶の方も多いと思いますが、
ユ-ゴスラビア紛争は
あまりにも悲惨な、何の救いもない内戦でした。
ほんの少し前まで笑顔で挨拶を交わしていた隣人たちが、
民族対立を煽る勢力によって分断され、
銃を取って殺し合い、美しかった街並みはことごとく破壊されました。
大量の民間人を含む100万人以上もの国民が生命を失いました。
ボスニア・ヘルツェゴビナにおいては、
民族浄化という狂った大義のもと、
二万人以上の女性が妊娠するまでレイプされ続けました。
もっとも救いがなかったのは、
この紛争の真因が実は『経済問題』であったのに、
国民を扇動するため、
それが『民族間のイデオロギー対立問題』にすりかえられていたことです。
(この点は米澤氏も『さよなら妖精』の中で、指摘しています)
旧ユ-ゴの人々は憎む必要のない相手を憎み、
殺す必要のない相手と殺し合い、
戦いの後には、本物の憎しみだけが残されました。
この紛争が一応の終結を見たのは2001年、つい20年前のことです。
ユ-ゴスラビアがバラバラに解体され、
それぞれの民族が一応の平和を取り戻した現在でも、
その爪痕が消えることはありません。
{/netabare}
本作『86-エイティシックス-』においても、
根底にあるのはサンマグノリア共和国国内における『民族問題』です。
それも、イデオロギーの対立など何もない、
自国の利益を守るためにでっちあげられた『有色種=劣等種族』という、
不条理で救いようのない民族問題がベースになっています。
{netabare}
劣等種族と決めつけられた人々は、
市民権剥奪のうえ、何の安全も保障されない『86地区』に強制移住させられ、
それがゆえに『エイティシックス』と呼ばれます。
そして、大国であるギアーデ帝国との戦闘に駆り出されます。
市民権を返して欲しくば、兵役で国に尽くせ、と。
もちろん共和国はそんな約束を守るつもりもなく、
戦わされるエイティシックス達もそれは飲み込んだ上で、
悲惨な死地へと向かっていきます。
なぜエイティシックスたちが反乱を起こさないのかという声もありますが、
86の居住地区と戦闘地域は遠く離れており、
同胞全員を人質にとられているのと同じ状況下にあります。
{/netabare}
物語に登場する人間は、大きく三つのグル-プに分かれます。
ひとつは、共和国で多数派のアルバと呼ばれる白系種で、
他民族に対する差別・迫害に疑問すら抱かない人々。
エイティシックスを豚と蔑み、
戦場で命をなくしても戦死者としてすらカウントしません。
軍属の多くや市民は、このグループとして描かれます。
もう一つは、同じアルバでありながら、
エイティシックスもまた同じ人間であると考え、
その迫害を人道的罪悪だと考えるグループ。
ヒロインのミリ-ゼ少佐など、
ごく少数のキャラクターがこのグループに属します。
そして最後は、エイティシックスと呼ばれる被迫害民族。
戦場で実際に戦い消費される兵士は、このグループに属します。
物語は、アルバとエイティシックスの不条理な迫害構造、
そしてその構造に葛藤を覚えながらも、
彼らを使役した帝国との戦争に加担せざるを得ない軍属のミリ-ゼ、
という構図で進行していきます。
救いようのない世界観を持つこの作品において、
ミリ-ゼの成長譚だけが、
一筋の光でした。
{netabare}
物語序盤、彼女は単なる『勘違いお嬢さま』でした。
砲弾の決して届かない場所から担当するスピアヘッド隊と交信し、
友好を深めるつもりで
「退役して共和国市民に戻ったら何がしたいですか?」
「こちらは一晩中灯りが消えないので星なんて見えないんです」
などと、悪気なく、相手の気持ちを逆なでする言葉を口にします。
そこにあるのは『差別・迫害はよくない』という単純な倫理観であり、
そして『私は差別なんかしない』という薄っぺらな博愛精神。
もちろん、だからと言って彼女を責めることはできません。
彼女はその段階において、
『この作品を見る誰もが成りうる存在』に他なりませんでした。
むしろ、何も知らないアルバとしては『マシな方』だったわけで。
そして、カイエの戦死を契機として突きつけられる、
埋めようもないほどの深い溝。
リッカの口から浴びせられる、身を引き裂かれるような断絶の言葉。
ふつうの人間なら、そこで挫折します。
むしろ、挫折するのがあたりまえ、としか考えられません。
しかし彼女は、折れた心を引きずるようにして
それでもスピアヘッドのメンバーと交信を続けていきます。
そして、それによってもたらされたのは『救い』などではなく、
彼らには最初から『戦死』以外の選択肢が与えられていなかった、
という耳をふさぎたくなるような現実でした。
彼女は懸命にそれを阻止しようとしますが、
もちろん、一介の少佐にそれを覆すことなどできません。
第10話、ようやくほんの少し心が通わせられた彼らは、
「いかないで」という彼女を振り切り、
代わりに「先に行きます」という言葉を残して最後の行軍に出立します。
その「先に行きます」という言葉は、
彼らから彼女に贈られた最大限の賛辞でした。
ただ、だからと言ってそれは、彼女への『救い』にはなり得ません。
もう、どれほどボロボロになってもおかしくない状況です。
人間の『生命』を駒にした戦争ゲ-ムに加担させられ、
しかも、計画通りに全員を死地に送り出してしまったのですから。
それでも、彼女は『折れない』んです。
少なくとも僕は、彼女のようにはなれません。
故・梶原一騎先生が晩年に
「俺は矢吹ジョ-のようには生きられない」
と思い苦しんでいたそうですが、それに似た感覚です。
何の救いもないまま、物語は第一期のエンディングを迎えます。
そのどうしようもない終幕の中で、
彼女の折れていない、むしろ新たな決意を宿した瞳だけが、
次章につながる希望の光でした。
{/netabare}
おすすめ度としては、ほぼSに近いAランクです。
ただ悲惨だったり不条理だったりする戦争物は少なくありませんが、
それに向き合う『人間』をしっかり描いたという点で、
ひさびさの良作と呼べるものではないかと愚考いたします。
映像にも演出にも役者さんのお芝居にも、
欠点らしい欠点は見当たりません。
むしろ、ほとんどの領域でかなり高いレベルを維持しています。
長くなるのであえて触れませんでしたが、
被迫害民族であるスピアヘッド戦隊の生き様も、
実に緻密に、そして共感を得られるよう描かれています。
第10話、ファイドの記録映像として映される彼らの日常風景には、
思わず胸が締め付けられました。
重たい話はちょっと……という気分のときは控えた方が無難です。
また、他作品との類似点をあげつらったり、
設定の細かなアラを探しだして悦に入るタイプの人は、
そもそも見るだけムダではないかと思われます。
アニメで戦争を語ることに必然性があるのかないのか、
僕にはまったくわかりません。
ただ、語る限りは『語るべきこと』があるだろう、と。
そしてこの作品は、そこから目を逸らさずに語り続けています。
いまでも現実世界では、
世界上のあちこちで非道な弾圧が繰り返され、
無慈悲に自由や財産、生命までもを奪われている方がたくさんいます。
一見平和に見える日本でさえ、
現実的な軍事的脅威にさらされています。
エイティシックスを豚と蔑み、
壁の中の平和が恒久的に続くものと考え、
それを享受して楽しく暮らしているサンマグノリアの市民たちとは、
実は僕たち自身のことであるかも知れません。