nyaro さんの感想・評価
5.0
物語 : 5.0
作画 : 5.0
声優 : 5.0
音楽 : 5.0
キャラ : 5.0
状態:観終わった
人間が幸せに豊かに暮らせる文明水準は1900年である。
黒歴史…モビルスーツが発掘されるのはなぜか?ターンXはなぜシャイニングフィンガーを撃てるのか。その辺がクロスボーンガンダムを読んでわかった気がします。
クロスボーンの結末は、 {netabare} 地球に帰る。人類には地球の重力と酸素と水が必要である。地球以外で育つと人ではないものになる。核はいらない。主人公はニュータイプになることを拒絶した上で、ニュータイプはそれぞれの環境に適応して生きることであって宇宙で発現したニュータイプは地球で暮らすには必要がない、ということに気づきます。戦いではなくて男女で暮らせということだったと思います。
また、けがれた地球と歪んでしまった人類が再生するためには、長い休みが必要である。それが何万年かかろうともという話でした。
機械化されクローン化されて生き続けるドゥガチの思想は、特権階級の論理です。F91、クロスボーンと貴族を描いているのは、ノブレスオブリージュというより、資本主義的な成功が特権意識を産み、人を人と思わなくなる。自分のエゴで他人を殺せるということでしょう。行き過ぎた資本主義が人と社会を歪ませて、選民思想になってゆきます。
が、むしろ感じるのは、醜悪な形で生き続けるドゥガチは、メタ的な意味つまり富野氏(あるいは逆シャア以前の富野氏)でもあり、バンダイやサンライズの事ではないでしょうか。{/netabare}
ムーンレイスが地球に帰還するのは、人類は地球に帰るしかない。でも、そこに過度な文明を持ち込むと、再び戦争が起きます。ターンAにおいて、地球が1900年前後くらいの文明であるのは、地球と人類が調和できる文明の進化はそこが限界だということだと思います。核兵器が唐突に出てくるのも、核兵器あるいは原子力発電も含めて人類には扱えないということ(モビルスーツの電源にしてるし)。ターンAの地球はまだ放射能汚染地帯は残っているけど、再生がかなり進んだ状態でした。そこにまた文明を持ち込むと再び人類は逆戻りするのでしょう。
月での科学の温存については、ちょっとまだ見方が分かっていません。本作においては文明の再融合の初手は上手くいかないストーリーなのでその必要性はわかります。
が、結果的にちゃんとできるのかどうかわかりません。ディアナとソシエが入れ替わったことに意味があるのかないのか。グエンとメリーベルが一緒にいるのはなぜか。2つの文明の融合も見えるし戦乱の予感もします。
ただ、やり方を間違えると人類は2度と立ち直れないでしょう。ここは富野氏に頼るのではなく、自分で考えたいところです。
さて、ここからはメタな視点になるのですが、モビルスーツが発掘される理由ですね。これは富野氏が地球の再生の方法論を提示してVで描いた結末に対して、まだガンプラやモビルスーツオタクがその視点でしかガンダムを見ていない。これがモビルスーツが発掘されるメタファなんだと思います。
ターンXがシャイニングフィンガーを撃てたり、黒歴史の映像に宇宙世紀以外のガンダムが含まれるのは、要するにガンダムというIPは滅ぼして葬っても、また、発掘されて復活する。つまり、富野氏が発明したモビルルーツという呪いです。ターンXを逆さにしてもXです。なぜか。元の木阿弥ということでしょう。
ターンAが発掘させれたのは、ファーストでガンダムは一度壊したじゃん、だから、またガンダムを壊すよという意味にとりました。
ディアナ様が千年も生きているのも同じ意味かもしれません。歳をとれない永遠の19歳。成熟した女性の物語をお前らはそろそろ見ろよ、と。クロスボーンのドゥガチが富野氏、サンライズ、バンダイなら、ディアナ様はアニメに登場する不自然に若い萌えキャラだと思います。そしてミリシャの愚かな脳筋の兵士はモビルスーツとガンプラオタクでしょう(だからザク=ボルジャーノンな気がします。カプールの滑稽さも皮肉が効いています)。発掘しているシドとジョセフは新しいアナザーガンダムを作っている人たちかもしれません。
本作の結末はガンダムは石になる。そして、ディアナ様もあの山小屋で自然を眺めながら老化して老衰するのでしょう。それは、ターンAという意味に重なってくる気がします。
まあ、そうなってくると「水星の魔女」は非常に上手く富野マインドを掬っているし、逆にジークアクスのようなオタクマインドの2次創作的な遊びは本来なら富野氏は許容できないということになりますが…もう自分のIPじゃないから好きにしろという開き直りもあるのかなあ。
以前のレビューです。
ガンダム作品NO1に推したいです。ものすごいSF的な作り込みでした。過去の複数のガンダムとの連続性を発掘とナノマシンという設定でうまく処理しています。
原作(亡国のイージスの福井晴敏)にあったのかアニメで説明があったのか記憶にないですが、文明の発展度が故意に抑えられていて、第1次世界大戦の前くらい1900年ごろの文明の人間がモビルスーツを扱うという話になっています。ここが非常にSF的に面白かったです。デストピアものでもあります。
資本家または領主と労働者、農民、軍人たちなど様々な人々が丁寧に描写されており、興味深く、面白くこの物語世界が活き活きと描かれていました。
これら地球で暮らす人々がが、本人たちは真面目にやっているんでしょうが、圧倒的な文明度・戦力の差が理解できない部分などは、コミカルでもあり、滑稽でもあり、また、悲しくもありました。
月側の人間たち。こっちも高度に発展しているようで、実は地球と同じく進歩はしてないみたいですね。女王は冷凍睡眠を活用して超長命なのでしょうが、それも限界にきています。その女王サイドと武闘派の地球進出への思惑の差が物語の中心といえます。ただ、複雑な話ではないので、素直にストーリーを楽しめばいいでしょう。
ガンダムの特徴である戦争物における人の死、という要素もあるにはありますし、物語にも入ってきますが、主題の比重としては少し弱い気がします。
本作においてその代わりに、生きること=生活の中のガンダムという主題に転換していて、前半はここが大変面白くストーリーになっていて、新鮮な視点が生まれると思います。
黒歴史という言葉の語源にもなった、過去の地球のモビルスーツの歴史の終焉というか滅びの切っかけから、月、地球に分かれた人類の時を超えた邂逅がもたらす戦乱と、それを見守ってきた女王の戦い、そして、安らぎ。最終話は本当に文学的で素晴らしく、そして、悲しみというか、終焉というか、非常に心に残る作品でした。
ガンダムという概念はここで一回終わらせるべきなんだろうな、という感慨もありました。
美しいモビルスーツのデザイン。味のあるセリフ回し。古き良きアメリカの人々の暮らしと自然の風景。そんな舞台の中、少々デフォルメされて癖がある登場人物たちが、活き活きと活躍します。
SF設定、物語性、文学性、アニメの出来、OPED等々、総合的に考えると、ファーストよりも上、ガンダムシリーズNO1だと思っています。
絵の好みがわかれるでしょう。私も初見ではえっとなりましたが、見ていると物語の雰囲気にあって、段々その出来の良さが楽しめるようになりました。
ガンダムかどうかは考えなくてもいいです。物語として普通に面白いです。
ですが、ガンダムファンこそぜひ、ガンダムの行き着く未来の物語を体験してほしいです。なんと、シャイニングフィンガーもでてきます。