フリ-クス さんの感想・評価
4.4
物語 : 4.5
作画 : 4.5
声優 : 4.0
音楽 : 4.5
キャラ : 4.5
状態:観終わった
『身体は子ども、頭脳は大人』だけど、パチモンじゃない本格サスペンス
結論から先に申し上げておきますと、
本作『僕だけがいない街』は、ほんとうに、おっそろしく出来がいいです。
年に数本レベルの『傑作』と形容してもいいかも知れません。
ざっくりとした筋だけご紹介すると、
いきなり過去に飛ばされる不思議な現象(リバイバル)が起こる青年が、
現在の時間軸で何者かに殺されてしまった母親を救うため、
苫小牧の小学生時代に戻って、
事件の出発点だと思われる児童連続殺害事件の阻止を図る、
というものです。
小さくなっても頭脳は同じ、の主人公が、
現在と過去を行き来(タイムリープ)して事件の解決を図るという、
それだけ聞くとキワモノっぽい設定です。
ですがどうしてどうして、
そんなことをまるで感じさせない、どっしりした骨太の作品に仕上がっています。
事件の犯人候補は最初から限られていますから、
犯人あてや謎解き中心のミステリーではなく、
主人公と見えない殺人鬼との駆け引きを描いたサスペンスものとご理解ください。
また、登場人物それぞれの人間像が緻密に描かれており、
一流のサスペンスの多くがそうであるように、
優れたヒューマンドラマとしての顔も、充分にもっています。
とにかく『人間』というものの掘り下げがすごい。
{netabare}
娘(加代)を虐待していた母親が、
そうなってしまった遠因でもある自分の母親に土下座され、
号泣してすがりつくシ-ンがあります。
ふつうの作品なら、そこで「ああよかったね」で終わりです。
だけどカメラがパンし、
虐待されていた加代が冷ややかに視線を逸らすさまが映されます。
すがって泣く母親をもたない加代は、そんな母をもう見てはいなかった。
この、残酷にして圧倒的リアリティのあるモノローグが、
児童虐待という行為が及ぼす傷の深さを浮かび上がらせます。
暴力の解決は確かに大きな一歩だけれど、本質的な救済にはならない。
もちろん、そのシ-ンに至るまでの虐待描写は、
目を背けたくなるほど苛烈なものです。
だけどそうでなければ、繋がらない。そして伝わらない。
加代が物置で声を殺して泣くシ-ンには、胸を締め付けられました。
日常的に虐待を受けている子供特有の泣き方。
大声で泣いたら「うるさい」とさらに痛めつけられるから、
自然と身についてしまう、声を殺す哀しい習性。
そしてそんな日常だからこそ、主人公(悟)の家に泊まった翌朝、
自分のために暖かな朝食が用意されているという、
ただそれだけのことに感極まって、加代はボロボロと涙を流します。
そして、その時ですら
責める者が誰もいない安心な環境下ですら、大声で泣けないんです。
もちろん、安心があるから物置のシ-ンよりは声をあげています。
だけど、それでも、大声では泣けない。
この繊細な演出に、僕は思わず鳥肌が立ちました。
{/netabare}
それはほんの一例に過ぎないわけですが、
物語の全編が、
そうした魂の込められた演出で貫かれています。
それをしっかり支えるA-1 Picturesの映像も、素晴らしいの一言。
卓越した映像と演出によって、
まるで劇場版を見ているかのように物語が進行していきます。
{netabare}
そして、殺される『はず』だった三人の児童を守り切った悟ですが、
そのことを真犯人に知られ、
車とともに真冬の川に沈められてしまいます。
悟は意識不明の重体となり、治療のため首都圏へ転居。
母親の甲斐甲斐しい介護を受けるも、
実に15年もの間、意識を取り戻すことはありませんでした。
ようやく意識が戻った時、悟は物語の最初と同じ、青年になっていました。
身体も満足に動かず、記憶も混濁する中、
小学生時代の仲間が次々と訪れ、
悟は徐々に自分自身を取り戻していきます。
そして、病院の屋上で殺人鬼と最後の対決をすることになります。
{/netabare}
11話後半から最終話はアニメが原作に追いついてしまったため、
オリジナルの結末になっているのですが、
充分に見ごたえのある、納得の結末になっています。
{netabare}
最終話で悟が語る『僕だけがいない街』というのは、
そこに自分は存在できなかったけれど、
全員の命と幸せを守れたという『誇りの証』です。
そしてそれは、
物語序盤で虐待被害者の加代が書いた『私だけがいない街』という作文、
血の滲むようなSOSサインの、対極に位置します。
最後に悟と加代がくっついて欲しかった的な感想をたまに見ますが、
それは違うんじゃないかなあ、と僕は愚考します。
だってそれは、
加代が何の保証もない悟の覚醒を待って、
代償として『自分が幸せになることを留保する』ということですから。
そんなこと悟は望んでないし、
そうなると『僕だけがいない街』が『僕がいない街』になってしまいます。
加代が幸せな結婚をし、愛しい子供を抱いた姿を見せることが、
悟への最大の報償であり、
だからこそ『僕だけがいない街』という言葉が誇らしく、美しいわけで。
{/netabare}
そして、悠木碧さん、高山みなみさん、岡村明美さん、
この三人のお芝居は聞き逃せません。
{netabare}
虐待被害者少女の加代を演じた悠木さんのお芝居は、
まさに『名演』と呼ぶにふさわしいものでした。
日常的に虐待を受けている子供特有のかたくなさを表現するお芝居が、
この少女に刻まれた傷の深さを物語ります。
そして時折り見せる『真の子供らしさ』のお芝居とのギャップが、
その虐待がいかに理不尽なものであるかを無言のうちに糾弾しています。
この作品は、彼女の演技力なしには完成しませんでした。
その口から発せられる「バカなの」のバリエーションは、
役者のもつ『言霊』の力を充分に知らしめるものであったと思います。
その虐待する母親を演じた岡村明美さんのお芝居も、
まさに鬼気迫るものがありました。
やるやるとは思ってましたが、すげえじゃないかナミさん。
そして何と言っても、悟の母親役を演じた高山みなみさん。
大樹のように強く、寛容で、太陽のように暖かい。
ともすれば殺伐となりがちなこの作品において、
彼女の演じた母親像は間違いなく、
分厚い雲間から差し込む一筋の『希望の光』でした。
{/netabare}
なお、酷評する声が多い、悟役のダブルキャスト、
満島真之介さんと土屋太鳳さんですが、
少なくとも僕の耳には、それほど『ひどい』ものには聞こえてきませんでした。
{netabare}
満島さんについては、基礎声質か抜群によく、
苫小牧出身の朴訥な青年、という雰囲気がとてもよく出ています。
そして、きちんと『感情』が声に載っていると思います。
土屋さんについては、10歳という設定のわりに、
声が高すぎるし口調が幼すぎるかな、と。
正直、リアル子どもである賢也くんの方がよっぽど大人に見えるわけで。
まあ、そのおかげで聞き分けがしやすくなっていますし、
これはこれでアリな感じがいたします。
もちろん、アフレコ専門の役者並みに『うまい』ということはありません。
張ったところのお芝居なんかは、改善の余地おおいにありです。
だけど、伝えるべき感情はきちんと伝わってくるし、
少なくとも、芝居のアラが気になって作品のやりたいことが見えてこない、
という『ぶち壊し』レベルではないんじゃないかな、と。
他の俳優で言うなら、たとえば神木隆之介さんの場合、
16歳で演った『サマーウォーズ』は聴くに堪えなかったけれど、
その7年後に演った『君の名は。』では、
もちろん本職の役者さんには遠く及ばないものの、
作品を大きく損なうレベルではなかったんじゃないか、みたいな。
本作は実写映画とほぼ同時公開であり、
その絡みでねじ込まれたキャスティングであることは容易に想像できます。
だけどそのわりにがんばった。音監さん、えらい。
まあ、それ以前の話として、
高山みなみさんの前で『頭脳は大人、身体は子ども』なんて役、
本職は誰もやりたがらないんじゃないかと思いますが。
{/netabare}
僕的なおすすめ度としては、Sランクの作品です。
犯人の目星がつきやすいという点で、
ミステリーとしての満足感はそれほどでもありません。
しかし、
最後まで目を逸らすことができないサスペンスものとして、
そして心を揺さぶられるようなヒューマンドラマとして、
一級の仕上がりになっております。
ED曲が、作詞・作曲梶浦由記さん、歌唱さユりさんという、
珍しい組み合わせなのも、おすすめ度が高いかも。
半音を多用した、絡みつくようなメロディと歌声が斬新です。
なお、この曲はシングルとアニメでバージョンが違います。
シングル盤は単体楽曲として完成度が高いのですが、
けっこうアクの強い仕上がりの為、
アニメではVo.のdB上げて前に出したアレンジに変えています。
こういう細かな配慮は、さすがSMEだな、と。やればできるじゃないか。
ちなみにこの作品、
同じ原作で劇場版実写映画と実写連続ドラマが製作されています。
僕は映画版しか見てないのですが……
腰が抜けたわ。
ちなみに監督さんは『約ネバ』実写版と同じ方です。
精神的に自分を痛めつける性癖のある方、
お時間がございましたら自己責任で、どうぞ。