nyaro さんの感想・評価
4.3
物語 : 4.0
作画 : 4.5
声優 : 4.5
音楽 : 4.5
キャラ : 4.0
状態:観終わった
輪廻転生、梵我一如、衆生済度という話?思い付きですが。
以前書いていたものに加えて、仏教の本を読んでいたらふと思いついたので。
この話、魔女とかワルプルギスとかいう西洋的なものに見えますし、パラレルワールドの要素もあるので気が付きませんでしたが、最後の救済のところって、ひょっとしてウパニシャット的な話なんでしょうか?
円環の理とはつまり輪廻転生で苦行のことですね。で、まどかは梵我一如。で、衆生を救済する「衆生済度」ですね。
ほむらは時間に閉じ込められているので、そこからの救済があると思いきや…というのが映画版かなあ。まあ、確実にウパニシャットとか釈迦の話というわけではなく、そこを下敷きにしている感じでしょうか。
新しい目線でもう1回見てみようかなあ、などと思っています。
初回レビュー ヒモに貢ぐ風俗嬢の話と世界系。違和感のある2本の主題。(円環の理についてちょっと追記しました)
設定やストーリーに新味はありませんが、演出と構成、個々のエピソードの見せ方が上手く、非常に面白かったです。
いうなれば、ぼくらの+ハルヒ+幻魔大戦+シリアルエクスペリメントレインという感じですかね。いろんな設定や演出を詰め込んで構成したみたいですね。
テーマは単純。8話で明かしているとおり、男に貢ぐキャバ嬢の話です。コスチュームもキャバ嬢?よく知りませんが。いやマイルドにキャバといっていますが風俗の事でしょうね。あえて魔法少女には似合わない銃とか槍とか男性の象徴を持って戦ってますし。
つまり、キュウベイに口八丁で乗せられて魔法使いになって感情を集めて貢ぐ。風俗堕ちしてヒモを養う世間知らずの少女を魔法少女に置き換えたようなものです。あのバイオリンの少年の話(貢いでいても2号だった)もあって、2重にそれを見せています。
風俗で働いているそのストレスがソウルジェムに溜まってゆき、それを浄化するには他人を搾取するしかないわけです。それが他人のストレスになる悪循環ということでしょう。女たちしかいないのもそういうことでしょう。
先生の適齢期の講義や、お母さんのコメントを拾っていれば、辛い出来事に耐えて、それでも地道に頑張っていれば大人になれるとわかります。始めは馬鹿にすべき対象として滑稽に描かれますが、結局はキチンと成長できているわけです。
でも、華やかな魔法少女=風俗という安易な道に進めば転落の道へ。事件に巻き込まれてホテルで死体で発見されます。(ここも分かりやすいですね。少女の死体がホテルで発見されれば、イコール風俗嬢か援助交際娘です)
ここまでのテーマは面白く分かりやすく、一直線でした。ワルプルギスに向かうまどかに対する母親の説教は、友達を救うために援助交際に向かうみたいに見えます。
ただ、ここで物語の方向がずれます。タイムリープものになります。ほむらがまどかを救おうとする苦労の繰り返しとなります。
どちらが本題か、といえばこっちなんでしょうね。終わり方から言って。ここの伏線はまあ時間の繰り返して因果が積み重なったから、まどかが強くなったというのはわかるのでストーリーが破たんしているわけではないのです。
ただ、そうなると、風俗嬢の話(風俗にこだわっているわけではないです。魔法少女になる理由・不幸そして悪循環を指します)をストーリー展開の中心に置いた理由がわかりません。まどかが世界を救う部分とまったくリンクしないわけです。つまり、世界をリセットしないかぎり、今風俗で働いている少女には救済がないわけです。とにかく救いの方向が全然わかりません。
要は少女たちが、魔法少女になる原因を何も解消していません。魔法少女はキャバ嬢、アイドルなんでもいいです。女を売って男性に搾取されている象徴なのでしょう。
ほむらたちは結局闘い続けているので救済ではなく、ワルプルギスだけをなんとかしてほむらを循環から救い出した、という事ですかね。なら魔法少女の救済などという理屈にあっていない部分はいれず、そういう演出にすべきでした。
私たちすべての希望になる、自分を信じてなどの美辞麗句はでてきますが。
ここがものすごく違和感がありました。途中は非常に面白いストーリーで、なかなか考えさせるエピソードだっただけに、んんん?となりました。そもそも単にほむらを救う世界系ならまだ違和感も軽減されるかもしれないのですが、過去の魔女全員を神になって救う?これは何を象徴している?何を言いたい?いや、本気でわかりませんでした。
タイムリープはあまり好きではないですが、話はよくできていたとおもいます。ほむらの部分だけとれば。ただ、風俗嬢(少女の堕落)の話も非常に面白かっただけに、この2つを結ぶ解決が全然リンクしないので、そこが納得ゆきませんでした。
追記 レビュー用に映画を見返したので改めて。
{netabare}魔法少女が力を得る。でも、闇墜ちする前に円環の理の一部になるという結末を考えたとき何を感じ取ればいいか、ですね。
円環という単語は円の訓読みの「まどか」につながるんでしょうけど、タイムリープ的な世界観はほむらの力ですからね。どこに円の要素があるのか正直良くわかりませんでした。
もし円環の理の一部になる=救済でないなら、魔女になることとどう違うのか正直わかりませんでした。普通は愛憎に執着がない存在になることは救済だと思うのですが。それにしたって輪廻という概念がなければちょっと円環の理の仕組みが良くわかりません。輪廻がないから悲劇になる気もします。これはまどかが世界の改変を失敗しちゃったということ?
さやかが消えた後、ヒロインたちは誰も納得していなかったみたいですよね。さやかはまだ利他的な要素があるから奇麗ごとになりそうですけど…
火の鳥的な悲劇性をまどかに見出せばいいのでしょうか?ラストを見るとほむらは悪魔になって神(のような存在つまり円環の理でしょうか)と戦う姿のようなシーンでしたので、劇場版はこの部分を説明したんでしょうけど…そうなると魔法少女は円環の理では救済されず、まどかの自己犠牲は無駄だったということ?でしょうか。
まどかマギカは11話までは大変面白いのですが、私はこの仕組みのせいで、12話でポッカーンでした。11話まで積み上げたテーマ性のちゃぶ台をひっくり返して、所詮は愛憎ということが言いたかった?{/netabare}