nyaro さんの感想・評価
5.0
物語 : 5.0
作画 : 5.0
声優 : 5.0
音楽 : 5.0
キャラ : 5.0
状態:観終わった
24年8月再視聴。いじめられるより辛い事は何か?
24年8月 再視聴。毎年夏に見る作品の一つです。
やはり忘れてはいけない名作ですね。2016年の奇跡の3本のアニメ映画、本作と「君の名は。」「この世界の片隅に」は毎年見ています。
今回、ちょっとネットで見かけたた意見に対する反論を含みます。
1,いじめられた相手は許せない。いじめっ子を好きになるところにリアリティがない。2、植野と川井が許せない。3,硝子が可愛かったから石田は好きになった。
に対して、少し言いたいことがあります。ですが、逆にこの意見を聞いて、この作品の構造を自分なりに言語化できたので、ある意味感謝です。
この作品、ネット記事やユーチューブの動画などで見ると、冒頭のいじめがあまりにひどい。いじめられた人を許すのが不自然だという意見があります。言っていることはわからなくはないですが、それは見方がちょっと違う気がします。
いじめに焦点が当たってしまいますが、むしろ硝子にとって辛いのは孤独だと思います。母親の父親に対する意地なのかわかりませんが、硝子は普通なんだという証明として、聾学校ではなく一般学校に入れられたことにより、コミュニケーション不全がひどい孤独を産んだわけです。
いじめられっ子が、いじめっ子についてゆく心理はそこにあると思います。一人になるよりはいじめられてもコミュニケーションがある方がいい。その描写が小学校時代だったと思います。だから、構ってくれる石田についてゆく。マイナスのベクトルですが、他の子たちと違って積極的に近づいてくる相手です。この描写に必要だったのが、教師であり、川井だったんだと思います。
だからこそ唯一のコミュニケーション手段であるノートを池に入れられたときのショックが大きかったのかな、と思います。
ですが、結局石田とのコミュニケーションも破綻します。母親が結果的に一般学校にいることをあきらめたのが大きいと思いますが、硝子の絶望もあったのでしょう。そしてその絶望とはいじめではなく、コミュニケーション不全です。
のちの再会時を考えるともちろん石田に対する負の感情は大きかったと思いますが、どこかで憎しみとか許せないというところまで行っていなかったのでは?と思います。
その状況証拠として、石田の手話とノートですよね。この2つが重要で硝子にとって、再びコミュニケーションが取れるのでは?という期待が生まれました。
一方で石田も孤立することにより、自死を意識します。硝子の飛び降りと対比構造になっていました。石田は母親に止められましたが、孤独は死よりも辛いということでしょう。
つまり、後半のあの段階で硝子は結果的に石田と気持ちが通じ合っていない、コミュニケーションが取れていない状況への絶望でした。祖母の件も、告白の件、補聴器の件もあるでしょう。そういうものが重なりました。
石田とのコミュニケーションが取れると希望があったことが大きかったんだと思います。デートの時に石田と硝子の気持ちが全然通じていない描写が顕著でした。
妹の結絃が硝子から死の匂いを嗅いで、死体の写真を撮っていたのは、何より周囲から硝子を守るよりも、姉の希死念慮をもともとかぎ取っていました。
これは原作を読むと感じますが、石田への告白が本当の恋心なのか?という問題も出てきます。石田しかコミュニケーションが取れる人間がいなくなった。だから生まれた疑似的な恋愛だったとも取れます。そして石田も同様です。もちろん、解釈はひとそれぞれだし、映画だとそこはハッピーエンド解釈でいいと思います。
植野が嫌いというという意見も多いですが、彼女は硝子を石田の恋愛のライバルとみなしている節があります。つまり、植野も硝子へのかかわり方が人間として見ている感じがあります。だから、植野は憎めないキャラになっていて、川井との対比がここでも効いています。ですから、川井が嫌なキャラなのは意図してそのような描写になっています。
病院の植野のシーンはその点で素晴らしかったです。石田をあんな目に合わせた硝子が憎いという感情に、植野の情の深さが見えてきました。
原作勢からすると登場人物が少なかったり、ラストの描き方がちょっとハッピーによりすぎだったりいろいろあるかもしれませんが、結果的に焦点が絞れてわかりやすくなっていたと思います。
また、硝子が可愛くなかったら、石田は相手にしてなかったという意見も見ましたが…うーん、本当にそうでしょうか?創作物なのでもちろん硝子は可愛いですけど、植野や川井との対比があるのでそういう読み方は違うんじゃないかなと思います。
以下 以前のレビューです。
何年経ってもいろいろ考えてしまう。22年9月 再視聴・追記しました。
この作品のテーマは、障碍やいじめではないですよね。硝子がなぜあんな選択をしたのか。それは、自分の存在が人を傷つけるからですよね。耳が聞こえないから辛いのではなく、人の言っていることが理解できない、自分の気持ちが伝わらないことで、人に迷惑をかけ、人の争いの原因になることに絶望したわけですよね。
つまり、人にとって一番つらいのは気持ちをつたえられないこと、または、どうやったら気持ちは伝わるか、がテーマなのでしょう。まあ、作者が似たようなことを明示しているので間違いではないと思います。作者については最後にちょっと一言言いたいことがありますが。
だから、人の顔に×が付くわけですし、植野にひどい事をされても、硝子は怒りませんよね。むしろ、植野の言いたい事がわかったと喜んでいた場面もあるくらいです。妹の写真にこめた気持ちも硝子には伝わってませんでした。
「硝子」は「しょうこ」でもあり「ガラス」ですもんね。透明で繊細で壊れやすくて、人を傷つける。
この映画の素晴らしいことは、とにかくずっと考えてしまうということです。「月」の場面。予告編にもありました。
{netabare} 硝子は耳が悪くなっていることを知らされます。そして、そのタイミングで植野が登場します。将也と植野がじゃれついているのを見てヤキモキしたのか。障碍が進んでいることに焦ったのか。ポニーテールにしたのも、障碍を気にせずにという気持ちなのか、植野のサラサラヘア―に対抗したのか。そして、手話を使わないで告白です。気持ちを声で伝えたいと思ったのでしょうか。{/netabare}
1例ですが、こういうことを映画を見てから何年たっても考えてしまいます。しかも、正解の解釈がどうこうではなくて、硝子の気持ちって本当はどうなんだろう、いろんなことがあってどうやって揺れ動いていたんだろう、などと考えてしまいます。この映画の凄さなんだと思います。
まあ、この作品は他で皆さんが語っているのでこれくらいにして、作品外の感想を2つ。
この作品は感動ポルノか。感動ポルノとは、人の感情を直接揺さぶる題材を全面に出して泣かせることを目的にした作品だと思います。死、別れ、障碍、イジメ、愛、けなげ、家族、子供・動物等々。この作品に関しては、障碍が要素になっていますが、上述の通り、障碍の苦しみで感情を揺るがして、泣かせているわけではありません。なので、感動ポルノとは全然違うと思います。
むしろこの作品以降、京アニ作品に感動ポルノ化の傾向がでていることが気になります。
もう1つは作者のインタビューです。作品は一度世に送り出したら、視聴者や読者に委ねるべきでしょう。もう少し節度を持って語って欲しいです。
どうもマンガや映画から読み取れるのとは違ったことを言っています。あえてずらして言っているのか、なにかひねくれているのか。そんな印象です。
追記 22年9月 5点満点の作品は極端なので評価見直し中です。再視聴しましたが、本作は5点のままとします。
本作については、見れば見るほど個々の心の動きに説得力があって、闇の部分を丁寧に描いているので、心をえぐられますね。だからこその名作なんでしょうけど。
さて、以前、原作者のインタビューはよろしくない主旨のレビューをしました。原作者が一旦作品を外に出した以上、作品に解説を加えるのは良くないというレビューを書きました。
原作者が言っていたのは、今後、硝子と石田が付き合わないだろう、というコメントでした。それはおかしいだろう、と反発した感じです。
今でも、原作者が一般人に対して作品解説をするのは下品だし良くないと思います。
が、結論として、硝子と石田は付き合っちゃ駄目でしょうね。この2人はお互いに傷がある状態でお互いが寄り添うしかなかった状況でした。つまり共依存ですもんね。2人ともお互い以外の人間と今初めて本当の意味で、コミュニケーションが始まったわけで、当然住む場所、生活基盤が変われば、恋愛対象の選択肢は沢山でるでしょう。
なんとなくですが、東京で硝子は寂しがり屋だし流される性格だから、出来ちゃった婚とかしそうですよね。
で、石田は家業ついで何となくマイルドヤンキーで地元で暮らして。硝子が離婚して出戻って、30歳くらいで石田とコブ付きで再婚するとかの方が上手く行く気がします。
それぞれが家庭を持って親友として集まる、でもいいですけどね。いろんな作品に触れて、レビューを書いているうちに、やっとこのまま2人が付き合わないだろう、という意味は分かってきた気がします。