「ヴァイオレット・エヴァーガーデン(TVアニメ動画)」

総合得点
94.3
感想・評価
2566
棚に入れた
10485
ランキング
6
★★★★★ 4.2 (2566)
物語
4.1
作画
4.5
声優
4.1
音楽
4.1
キャラ
4.1

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ネタバレ

nyaro さんの感想・評価

★★★★☆ 4.0
物語 : 3.5 作画 : 5.0 声優 : 3.5 音楽 : 4.0 キャラ : 4.0 状態:観終わった

作画がいいアニメなのか?画面が美しいアニメなのか?

 何度もレビューを繰り返していますので内容についてはいいです。今回は作画についてです。いい作画の作品を研究中です。

 本作を見て思うのが「作画がいいとは?」と考えてしまいます。本作はTVアニメとして「画面の綺麗さ」では最高峰でしょう。とにかくヴァイオレットも背景美術も美しい。異常なほどです。その点では群を抜いています。
 当初映画版用だったという話もありますしその点では最高の作品の一つでしょう。

 タイピングのシーンにおいては手が動きます。そして風にたなびく髪もいい。瞳の光も美しいです。
 が、それ以外はどうなんだろう?と思います。表情の作り方が正面や横顔固定ではないか。戦闘シーン、感情が高ぶったシーンなど決めのシーンは良く動きますが会話シーンの動きが単調ではないか?と思ったりします。衣装チェンジは楽しめたでしょうか?

 もちろん、内容が静かな場面であれば必要以上に動く必要はないですが、ちょっと動きがないところは極端に少ない気がします。

「サマータイムレンダ」なども同系統かなと。もちろん、作画のカロリーが高いシーンは良く動きます。女子が美しい。でも、単調なところは単調すぎるくらい単調です。予算とか作業とかあるのかもしれませんけど。

 なので「作画が凄い」というより「画面が美しい」アニメの気がします。まあ、我々素人からすると下手にキャラを崩して動かすより、本作のような作画が見やすいかもしれませんけど。


以下 22年4月に書いたレビューです。

やっと原作を入手できたので、結論です。

 やっと原作を読めました。本屋にはなくアマゾンでは定価の倍ださないと手に入らない状況でがまんしてましたが、どうしても読みたくて買いました。

 まず申し上げたいのは、京アニで作成したアニメの美しい映像と物語、なによりキャラクターとしてのヴァイオレットを見せてくれた本作には非常に想い入れがあります。そして作成した京アニには感謝しています。

 一方、本来13話で綺麗にそして自然に完結できたはずの本作を映画版につなげた部分が私としてはどうしても許せませんでした。映画版は明らかに不自然です。原作を読むまでもなくわかります。
 ですので本作については厳しい評価をせざるを得ませんでした。そういう経緯で本作については愛憎半々という感じで、それってすっかりのめり込んでるじゃん、という事でしょう。

 で、原作を見ました。

 ヴァイオレットの人生…戦闘人形から自動書記人形に変わってゆくプロセスを丁寧に描いていました。登場人物のゲストキャラを中心に涙を誘う物語というより、ヴァイオレットが本当に殺戮のための機械だった存在から、心を得てゆく過程、そして人を死なせたくないという気持ちなどが丁寧に描写されていました。
 特にどれだけヴァイオレットが危険な存在だったのかの描写が紙面のかなりを占めていました。

 比較して思ったのがヴァイオレットの美しい部分の上澄みを吸い取って、ヒューマンドラマに仕立てたのがアニメ版、ヴァイオレットのダークな部分、どん底からどうやて心を得ていったのかを描いたのが原作版と言えそうです。

{netabare}  宗教の話や囚人の話などかなり暗い話も削除していましたね。囚人の話はハンニバルレクターにつながるような感じですが、ヴァイオレットの中の負の部分を表現するのに必要だと思いますが、なぜ削除したんでしょうか。

 全体としてヴォリュームは原作のほうがありますね。結末以外はアニメが引き延ばしをしたという感じではなかったです。アンの回だけはやはりアニメ版が良かったです。あの露出過多の手紙会社のドールたちは前半は全く登場せず本当に脇役でしたね。
 アニメはエピソードエピソードの「涙」にこだわりすぎて、ヴァイオレットの内面に迫る話をカットしているので、ヴァイオレットの成長に唐突感があったんだと思います。

 戦う…という事に関しては、私はヴァイオレットは義手を使って戦うべきではないと思っていましたが、結構原作でも戦っていました。ただ、原作が語りたかったのは、人を死なせないという部分でした。そこが明確に表現されていたのでやはりアニメ版とは違います。その違いは、ヴァイオレットの過去が明確に描かれていたからです。
(戦斧を持って戦うヴァイオレット…アニメでやったらそれはそれは美しかったと思いますが、残念です)

 不自然な11話の答え合わせ…なぜ雪山で依頼主を見つけられたか…企業秘密だそうです。アニメでは沈黙でしたね。

 そして、ギルベルトがヴァイオレットの元から去った意味は、原作版のほうが圧倒的に説得力はありました。ヴァイオレットを人として活かすためには自分の命令を待つだけの存在であってはいけない、軍の内部でヴァイオレットが戦わなくていい様手を尽くすということですね。だけどヴァイオレットが事件に巻き込まれた。だから助けに…そして、再会という感じですね。{/netabare}

 原作を読んで、変な言い方ですけど、結末を映画に引き延ばしたアニメに対するわだかまりはもういいかなあという気がしてきました。
 映画版はやはり納得できるものではないので、リピートするつもりはないですけど、TVというかネット版の方はリピートしようかなあと思います。

 で、最後に。アニメ版は、キャラ萌えとヒューマンドラマにこだわり過ぎましたね。過去のアニメでも泣けるだけのアニメはその時の評価が高いし、その時感情移入したファンからはかなり長期間支持されるとは思います。私もその中の一人でヴァイオレットのキャラにはやられた方です。だからこれだけダラダラレビューを重ねているんだと思います。

 でも、世間的に言えば、数年後に残っているかは疑問です。いやもちろん優れた作品だから一定以上の評価はあるでしょう。でも、一回見て泣けるアニメで終わりな気がします。原作のテーマ性と感動をくみ取れませんでしたね。






初回のレビューです。

{netabare}  話題の10話をはじめ、本当に感動します。泣けます。絵も美麗、音楽の使い方もうまいです。そのほか、兄妹の話とか王女さまの話とかもとてもいいです。だから、ここでの評価ポイントは高いです。

 でも、後で振り返ってみて、じゃあ、何かをこの物語から得られたか、ですよね。もともと個々人の中に持っていた情動を揺さぶるのはものすごく上手だと思います。
 考えさせられるか、というえばそうではありません。つまり、死と家族と愛という言葉を人質にとられて「さあ、泣いてごらん」「うん、泣けた」という感じです。

 愛がテーマです。でも、言葉だけのような気がします。少佐からバイオレットの愛って、何なんだろうって思います。拾った犬を兄が虐待してるのを見て可哀想だから飼ってあげた。みじめだなあ、かわいそうだなあ、大切にしたいなあ、で情が移った。でも戦争だから、利用しちゃおう、だって犬なんだから、みたいに見えます。それで別れ際に愛してるって…どういうこと?と思ってしまいます。

 バイオレットから少佐への愛情は理解できますが、これ、子供の親に対する愛情みたいなものですよね。別れ際に愛してる言葉を初めて聞いて、男女の愛情を手紙を通じて理解して、それが少佐に当てはまるということでしょうか。なんか、お話のためのお話というか…。

 あと、ちょっと引き延ばしがありました?原作知らないのでわかりませんし、どれがとはいいませんが、要らない話もあって2,3話削れたのでは、と思います。
 京アニ作品は、物語としては本当にいい話をつくりますよね。作画も群を抜いて奇麗ですし。しかし、他作についてはここでは述べませんが、今後の方向性に気を付けて欲しいところです。{/netabare}



 以下追記となります。主に物語の構成の10話以前の出来の良さと比べて、11話以降のストーリーのどこが良くないのかと、義手の意味について少し考えてみました。

{netabare} 11話以降がよくわかりませんでした。雪山で兵士に手紙を届けに行く話は、エピソードそのものがおかしかったです。なんで彼が届け先だってわかったんでしたっけ?また彼だけ生き残ったのはなぜ?この話の出来が全然良くなくてなぜ11話という場所にいれたのか?この話が話題になっていないは結構いろんな人がそう感じているのではないでしょうか。
 それと、列車の上の戦いですが、あそこでヴァイオレットが戦っては駄目だろうと思います。一応殺したくないとは言ってますけど戦うこと自体がおかしいでしょう。そもそもあの状況で誰も殺さないで事をすませられるはずもなく、殺してしまった上で彼女が戦闘マシーンとして絶望するとかの内面があるならいいですが。

 なぜ義手なのか?というのは戦闘マシーンであった=非人間的であったヴァイオレットが機械化された手でタイプライターと繋がり手紙を書き届ける存在になります。ヴァイオレットは手を失う=戦えなくなったからこそ、言葉=心=手紙を通じて人の気持ちを理解し人間性を取り戻すという、心のインターフェイスとして使うから義手が活きてきます。つまり義手になったヴァイオレットは戦闘してはいけないのです。
 本作は要するに義手→タイプ→手紙→人とのつながりで、人間性を取り戻すという意味でヴァイオレットの成長ストーリーがテーマになっています。葛藤があるにせよ戦闘しているということは彼女は問題解決として戦う事に躊躇がない=まだ戦闘マシーンであるという意味になってしまい、義手の意味がなくなります。つまり少なくとも言葉で解決する必要があったと思います。

 また、その後人間性を取り戻したヴァイオレットが少佐と触れ合ううちに家族愛だったものが、手紙で書いていた男女の愛情の意味を追体験することで本当の愛を知るというなら、読み取れるものも深みもあったと思います。

 兄弟、親子、男女の愛と繋がって行き、死別した子供を想う気持ち、天文台では一期一会のほのかな恋心や10話では愛の永遠性を表現したわけです。これ以上の愛の種類を重ねても意味があまりありません。なのに11話以降、ラストと劇場版が駄目なせいで何も残らなくなりました。

 11話をカットして、最終話は戦闘をしないあるいは戦闘をしても、そこを少佐に引き戻されるような話なら良かったと思うのですが、このラストの数話で本当におかしな話になったと思います。

 だから、引き延ばしがあったのか?と疑問を持ったわけです。少なくとも義手の設定を考えた原作者ならこうはならないとおもうのですが。{/netabare}

投稿 : 2023/12/15
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サンキュー:

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