かがみ さんの感想・評価
4.6
物語 : 4.5
作画 : 4.5
声優 : 4.5
音楽 : 5.0
キャラ : 4.5
状態:観終わった
「ばらばら」の肯定
社会現象にまでなった初代の「ラブライブ!」はゼロ年代的「つながり」の想像力から出発しつつ、いち早くその限界性を描き出し「つながり=セカイ」を解体するオルタナティブとしての想像力として「みんなで叶える物語」を掲げた。
そして続く「ラブライブ!サンシャイン!!」においては「つながり=セカイ」に回収されない差異が「輝き」という言葉で名指され深化を遂げた。そして同作劇場版において「輝き」は「虹」というモチーフで示された。すなわち「輝き」は一つではないということです。ここで示された「虹=輝きの複数化」というテーマを全面的に展開したのが本作である。
本作は前二作と異なり「廃校」という外的な障害がない。そのため「廃校を阻止するためにラブライブで優勝する」という例のモチベーションが本作では生じない。各人のモチベーションは各人ばらばらである。
けれどもラブライブを目指すには、こうしたばらばらのモチベーションを一つへとまとめければならない。ここにニジガクの同好会が一度廃部となった原因がある。せつ菜が後から後悔したように、それは自分の大好きで他人の大好きを否定するわがままでしかない。そしてこれはまさに「つながり=セカイ」がもたらす「動員と分断」の病理そのものでもある。
けれども侑はこのアポリアをたった一言で解決してしまう。これがあの「ラブライブなんて出なくていい」という、ある意味でシンプルだけれども、ある意味ではアクロバティックな解決である。
こうした解決を可能としたのが侑の「観客」としての視線である。侑自身はスクールアイドルではなく、他のスクールアイドルを応援するという「観客」の立ち位置にいる。「観客」としての侑にとって重要なのはラブライブなどではなく、あくまで目の前のスクールアイドルを応援することである。ゆえに侑はラブライブをめぐるコミュニケーションの誤配をそのままニジガクの価値として肯定するのであった。
こうしたことから、ニジガクメンバーはソロアイドルとして活動する。本作ではたびたび「ばらばら」という言葉が肯定的に使用される。
ばらばらでいい。もちろんそれは互いが無関心でいると言う事ではなく、むしろ「仲間だけどライバル、ライバルだけど仲間」である。それぞれがばらばらな輝きを追求する事よって、そこに新しい共鳴が生まれてくる。つながりの物語の外で手を取り合うという事。ばらばらな輝きがコラージュしていくという事。本作が肯定するこうした価値は、まさに「動員と分断」の病理を乗り越える可能性の在り処ともいえる。