フリ-クス さんの感想・評価
3.3
物語 : 4.0
作画 : 4.5
声優 : 1.5
音楽 : 3.0
キャラ : 3.5
状態:観終わった
伝わらない、野島イズム
長いこと待たされた特別編、やっとOAされました。
野島伸司さんらしいというか、なんというか
う~~~~~ん…………
この人ぐらい『やりたいことが明確なのに理解されない』タイプって、
そうそういないのではないかと思います。
本作もそうなのですが、
野島さんの脚本の多くは重く、痛々しく、時には陰惨でさえあります。
彼は視聴者である若者に対して、
大人がひた隠しにするものを隠そうとしないんです。
(だからPTAとかにぎゃんぎゃん言われたりもするのですが)
人生、お花畑の中だけを最後まで歩いて行ける人はめったにいません。
挫折したり、理不尽な暴力や悪意に苦しめられたり、
努力を揶揄されたり、愛するものを奪われたり、酷い妥協を強いられたり、
騙されたり、裏切られたり、人間扱いされなかったり。
リアルに目をやれば、
いままさにそういう『裏の現実』にさらされている若者が大勢います。
野島さんは、そういう若者たちに中途半端な慰めなどせず、
むしろそういう現実を包み隠さず突きつけたうえで、
それでも生きろ
というメッセージを作品の中で叫び続けている方です。
{netabare}
本作のタイトルが、そのまま彼の『言いたいこと』に直結しています。
ワンダーエッグ、直訳すると『奇跡の卵』は、
作中に出てくる不思議な卵だけでなく、
なんにでもなれる『無限の可能性を持った若者』にかかっています。
そしてプライオリティ、その若者が最優先で成さなければならないのは、
作中でも明言されていますが
生きることです。
いじめ、裏切り、教師のパワハラ、同性愛、レイプ、性同一性障害、
まるで三面記事のオンパレードのごとく、
無慈悲な現実にさらされて自死を選んだ子供たちが次々と登場します。
だけど、何があっても野島さんはその死を肯定しません。
それを肯定する声を、断罪し続けます。
生きていたらこんないいことがあるよ、なんて無責任なことは言いません。
ただ『ミテミヌフリ』や『アンチ』をくだらない小者に描き、
次々と爽快にぶった切っていきます。
そしてフリルは『自死の背中を押す第三者』の具象化です。
その存在を前面に出すことによって、
あなたは本当に自分の意志で死にたいの、という問いを投げかけます。
パラレル・ワールドというのは、
あなたは今よりずっと良いようにも悪いようにもなる、なれる
という無限の可能性を示唆しているように受け取れます。
そして特別編では、ねいるが『あっち側』に行ってしまい、
桃恵は戦意喪失して白旗をあげ、
共にフリルと戦った仲間たちは自然消滅してしまいます。
それでも、アイは最後に『復活』します。
理不尽な自死に対し、
自分の意志で、たった一人で抗い続けることを決めたのです。
たとえ一人になっても生きろ、戦え。
それが本当に野島さんの言いたかったことではないかと、僕は愚考いたします。
{/netabare}
ねいるはどうなったのかとか、フリルとの決着、
四人組は復活するのか、小糸の自死の真相はなんだったのか、など、
特別編で積み残した課題はたくさんあります。
だから二期なり劇場版なりがあっても不思議ではありません。
むしろある『べき』なのでしょう。
だけど、野島さんはもう言いたいこと言っちゃってるので、
次が『ない』なら『ない』で、
それはもう仕方ないかなあ、と僕は秘かに思っています。
それに、たとえ第二期があったとしても、
野島さんが伝えたいことが
視聴者に届きそうな気がまったくしませんし。
届かないだろうと予想する理由は、大きく分けると三つあります。
{netabare}
ひとつめは『ギミック盛り過ぎ』。
アニメファンに関心を持ってもらおうとしたのか、
全体的なエンタメ性を意識したのか、
プラティだのAIだのパラレルワールドだのワンダーアニマルだの、
いろんなギミックが、これでもか、と詰め込まれています。
だけど、1クールものでここまで詰め込むというのは
やはり『盛り過ぎ』ではなかろうか、と。
実際、伏線すら回収しきれなかったわけですからね。
いかにもそれっぽいものを配置しすぎちゃったおかげで、
あっちこっち目移りして焦点が定まらず、
逆に根底にあるものが見えにくくなっちゃっている気がします。
ふたつめは『脚本の字数多すぎ』。
野島さんってネットドラマなどで30分枠ちょこちょこ書いてるんですが、
それってだいたい、実尺22~3分ぐらいあるんですよね。
だけどアニメの30分枠って、
ABパ-ト合わせても、実尺20分しかないんです。
それなのに、これまでと同じ分量書いちゃったのかな、と。
だから「テンポがいい」と言えなくもないのだけれど、
どうしても『タメ』と『余韻』にとれる尺が少なくなって、
重い話がさらっと流れちゃっているんです。
作品が扱っているテ-マの重さから考えても、
最低一割、あるいは思い切ってぐらい三割ぐらい字数減らし、
ダイナゼノンぐらいの『間』でやった方が、
どっしりと見ごたえのある作品になったと思います。
ただし、これは野島さんのせいではなく『監督の責任』です。
野島さんは、あくまでもアニメは初めての方です。
彼の言いたい内容を表現するには何枚(文字数)ぐらいが適切なのか、
あらかじめきちんと伝えておくか、
上がってきた原稿にリテイクをかけなければなりません。
決定稿の責任は、すべて監督にあります。
若林信さんは、この作品が初監督だそうです。
だからそこまで気が回らなかったのか、
あるいは野島伸司という名前に気後れしたのかはわかりませんが、
はっきり言って、大チョンボです。
そしてみっつめ、これが最大の要因なのですが、『ミスキャスト』。
はっきり言って、
メインヒロイン四人では楠木ともりさん以外、
野島さんの脚本を演れるだけの実力がありません。
主役の相川さんは、まだ高校生。
別に若いからダメだということではありませんし、
『ちはやふる』の瀬戸さんみたいに、
回を追うごとに目覚ましい進歩を……と期待したのですが、
最後まで『ちょっとカンのいい高校生』のままでした。
あとの二人、斎藤さんと矢野さんは、
年齢こそ楠木さんより上だけれど、もろ、歌手・アイドル寄り。
テンプレに毛が生えた程度の芝居しかできてません。
ただ『それっぽい』だけで、
少なくとも僕の耳には、痛みもつらみも伝わってきませんでした。
野島さんの脚本にこのキャスティングは、ないわ。
ただでさえ、前述のように文字数が多くて『タメ』の作りにくい作品です。
ゲストで入った実力派の役者さんたちも苦労していました。
それなのにメインを彼女たちに任せるのは、荷が重すぎました。
ですから正直、誰に対しても感情移入しづらかった、です。
それぞれが『痛み』や『やりきれなさ』を抱えているのはわかります。
だけどそれが全部、軽く感じられるんです。
それはそっちの話だよね、みたいに割り切れちゃう。
最後、アイが復活したときも「あそう、よかったね」みたいな。
せめて楠木さんをアイにあてていれば少しは違ったのでしょうが……
四人が会話していても全然引き込まれないし、
なんかもう作品全体が『他人事』みたくなっちゃっていました。
これも、監督の大チョンボです。
楠木さん含め、四人ともみんなSMEがらみのキャストですが、
グループ会社なんだから、
楠木さん以外はぜんぶ蹴っ飛ばしちまえばよかったんです。
それをせず首を縦にふった段階で、
この作品の失敗が決してしまったと言っても過言ではありません。
{/netabare}
おすすめ度としては、限りなくCに近いBランクです。
映像はすごく素晴らしいですし、
大切なことを伝えようともしてくれているのですが、
いかんせん、伝わりにくい、伝わらない。
ふつうに流して見てたら
野島は結局なにが言いたかったんだ
みたいな感想しか出てこないだろうと思います。
いろんな伏線を投げっぱなしジャ-マンのまま話を畳んじゃったのも、
アニメなれした方にはマイナス要素かと。
もしも二期があれば、それは回復いたしますが……どうなんだろう?
ただ、レビューでは野島さんを非難する声が多いようですが、
それは違うだろ、どう見ても監督責任じゃん。
初監督で経験不足だったのか周囲の圧力にびびったのか、
詳しいところはまったくわかりません。
だけど監督は、出来上がった作品が全てです。
野島さんの世界を届けるだけの力量がまだ備わっていなかった
という評価は、避けることができないんじゃないかと。
これに懲りず、
野島さんにはこれからもアニメに挑戦して欲しいと思います。
もうね、人のカタチすらしていない『マンガ映画』はうんざりなんです。
もちろん、アニメ専業の作家・脚本家さんのなかにも、
素晴らしい方がたくさんいらっしゃいます。
野島さんにも、時々でいいからその輪に加わってもらい、
ジャパニメーションの発展に貢献していただきたいと、
心から願う次第であります。