ナルユキ さんの感想・評価
4.6
物語 : 5.0
作画 : 3.5
声優 : 4.5
音楽 : 5.0
キャラ : 5.0
状態:観終わった
因果を積み重ねた完璧に近い脚本
みんなは「魔法少女」という単語を聴くとどんなイメージを持つだろうか?普通の女の子がひょんなことから魔法を使えるようになり、お供の妖精を肩に乗せて身の回りの事件を解決する──程度の差はあれ、このテンプレートが王道の魔法少女モノと言えるだろう。
そんな固定観念を悉く破砕していくのがこの作品だ。
【ココがすごい!:邪道過ぎる魔法少女設定と凄惨な展開】
{netabare} 先ず本作の魔法少女は死ぬ。それも戦闘ヒロインの脱落のように勿体つけずアッサリと殺ってしまう。それが本作、魔法少女になった者に課される狩猟対象・魔女という怪物なのだ。作家ユニット『劇団イヌカレー』による幻想的かつグロテスクな表現でデザインされた怪物たちはそれはもう凄惨に魔法少女を食い殺してしまう。そのシーンを投入した第3話を皮切りに本作は“魔法少女”という化けの皮を脱ぎ捨てる。 同時に解禁されるED・Kalafinaの『Magia』の不気味さも相まってアニメ史上、最も衝撃的な1話と言っても過言ではないだろう。
とは言っても、魔法少女モノでキャラクターが死んでしまう描写自体は「魔法のプリンセス ミンキーモモ」や「美少女戦士セーラームーン」にもあるのでそこをオリジナリティあるものだと主張するのはアニヲタとして若い証拠だ。
だが元来、魔法少女の味方であるマスコット妖精が実は感情がなく、魔法少女になった女の子を魔女にする宇宙人だという設定は本作が初ではないだろうか。まあキュウべえが直接魔法少女を魔女に変えるわけではないが、契約のシステムとして組み込まれている以上、それが狙いであることに変わりはないし本人も自白している。
契約の際にはまるでそれを説明せず、後でバレても願いは叶えたという対価を正論として主張し魔法少女の気持ちに全く寄り添わない姿に愛くるしいマスコット妖精とは似て非なる存在感を嫌というほど思い知らされてしまう。{/netabare}
【そしてココが面白い:傍観者の立場を甘んじて受ける主人公・鹿目まどか】
{netabare} 本作の魔法少女がこんな設定なので、主人公・鹿目まどかは中々魔法少女契約を交わすことができない。先輩魔法少女の死を目の当たりにして臆病風に吹かれることもあれば、いざ契約しようとすると謎の魔法少女がそれを先読みで邪魔してしまう。
そんな紆余曲折なストーリーのおかげでまどかが平凡な中学生のまま、この物語のスポットライトを浴び続けることに妙な納得ができてしまう。そして「次回は魔法少女になっちゃうのかな」と不安と期待のない交ぜになった感情を抱いて次週を待ち遠しくしていたものだ。
主人公が非戦闘員のまま関わる展開にはやや不満を感じるだろうが、鬼畜でもなければまどかに対して「さっさと魔法少女になれや」なんて苛立ちを募らせる訳がない。魔法少女の残酷な真実が明かされる度、彼女が契約を結ぼうとする描写には取り返しのつかないことをしでかしかけるような緊張感が強まっていく。{/netabare}
【そしてココが面白い:影の主人公・暁美ほむら】
強まった緊張感を解すのが、全ての事情を手に取って理解してるかのような魔法少女・暁美ほむらの活躍だ。彼女はなぜ強く、全ての事情を理解し、これから起こる事態も予測して場を収めることができるのか。それもまた物語を追う楽しみであり、この物語の始まりとなる重大な伏線である。
10話を観た後はもう一度最初から見直すのもオツだ。初見では巴マミら正義の魔法少女たちの敵にも見えていたほむらが本当は何者なのかが明らかになった時、彼女こそ本作の影の主人公だと思える。
【他キャラ評】
巴マミ
{netabare} 彼女の脱落は視聴者に衝撃や哀しみを与えるだけでなく、まどかの契約を思いとどまらせるストッパーとして働く。そして彼女が4話以降も存命していれば、さやかが契約し杏子と争うことも無かったのではという可能性の喪失も表している。今では「物語に必要だから殺した」と言える。
マスケット銃とリボンを使った戦闘は序盤を飾るにこれ以上のものはない、と言った華やかさがあり、だからこそ3話の終わりまで往年の魔法少女モノだと信じて疑わなかった。{/netabare}
美樹さやか
{netabare}本作の魔法少女システム最大の犠牲者。惚れた男のために願いを使い、「後悔なんて、あるわけない」と言ってのけた彼女は魔法少女の真実で後悔して終わった。
強気な発言と冷静ではない正義感からネット上では「不人気だ、カスだ」と好き放題言われてもいるが、従来の魔法少女のように正しくありたいと考える美樹さやかこそ私は1番好きなキャラクターだ。{/netabare}
佐倉杏子
{netabare}美樹さやかのライバル。カラーリングから物事の考え方まで、ありとあらゆる面で彼女と対極だ。たった1つ、“他人のために願って契約した魔法少女”という共通点を除いては。
契約した切欠とそれが全て無に帰した悲しい過去があるからこそ、杏子は敵対から一転、同じ轍を踏まんとするさやかをフォローする立場に回る。この健気さまでが書かれて初めて、この物語に悪い魔法少女なんてのがいないことがわかるだろう。{/netabare}
【総評:因果を積み重ねた完璧に近い脚本】
奇抜な設定が魔法少女というジャンルの固定観念を破砕したのは間違いない。散々と“夢と希望の魔法少女”という偶像を嘲笑いながら壊していく鬱展開に、自分は他作品でも「魔法少女~」というタイトルを聴けば身構えてしまうようになってしまった笑
しかし最終話にはその往年の魔法少女モノが掲げる“夢”、“希望”、“奇跡”といったワードに花を持たせている。人によっては「まどかがキュウべえに願っただけ」とさもデウス・エクス・マキナを取り入れたように言うかも知れないが、全体のストーリーを観れば彼女がそう願うに至る原因と結果……“因果”が積み重なっているのがよくわかる筈だ。{netabare} 上記でも触れたがマミが死んだことでまどかはその時点での契約を諦めている。一般人のまどかが魔法少女になったさやかを止めるには隙を見つけてジェムを取り上げるしかない。それをやり遂げたら1つ、魔法少女のカラクリが顕になる──{/netabare} 原因と結果が数珠繋ぎとなって物語を形成しているからこそ、それを追いやすいし楽しいのだ。
ここまでの展開を描くにはやはり脚本の構成力が大事であり、その点がずば抜けて高い作品だと評する。その脚本を彩る美術背景や音楽も申し分なく、各キャラクターに命を吹き込む声優陣もベテランの女性声優ばかりで台詞を聴くのが心地いい。
強いて欠点を挙げるなら、キャラクターデザインが原案からかなり劣化していて一部のキャラが「顔面ホームベース」と言われてしまうくらいか……勘違いするなよ……あれは作監が悪いのであって蒼木うめ先生は人の顔をあんな極端な五角形では描かん!
とは言え、飽くまでも強いて挙げるレベルである。この作品に好き嫌い以外で否定できるような非の打ち所は全く存在しない。小説・漫画・アニメ・ゲーム……どの媒体でも1番重要視されるのは脚本であり、そこが完璧であればそれは素晴らしい作品なのだ。魔法少女まどか☆マギカは間違いなくその部類に属している。