ひろぞう さんの感想・評価
3.4
物語 : 4.0
作画 : 3.0
声優 : 3.5
音楽 : 3.5
キャラ : 3.0
状態:観終わった
これでいう無一物はあくまで玄奘三蔵が言う無一物で
この作品で広まってしまった言葉で
「無一物」という言葉があるんだが
この作中でいう無一物と仏教世界で説かれる
「本来無一物」では実はまったく逆の意味という得る
この作品内ではすべてを捨て去るということが無一物の意味のようにいわれているが
仏教世界でいう「本来無一物」は全く逆の意味で
この三千世界にありといらゆる森羅万象が存在し
そこには清濁もない善悪もない
そのすべての事象を受け入れることこそ「空」であり
本来無一物という言葉は、悟りの境地「太悟に至る」過程で、この世の森羅万象のすべてを受け入れよと言う意味になる
だから仏教世界でいう本来無一物は「すべてを捨て去ること」ではなく
真逆の「すべてを受け入れよ」となる
大体正確に言うと「玄奘三蔵法師」ではなくて「三蔵法師玄奘」の表記のほうが正しいと言えるので
あの東京新聞の論説から言葉全部借りていた「空」ではなくて
すべてが「無」だった三流キャスターがいった言葉も
本職の人に聞いたら笑い飛ばされた
「人が生きていくのには執着は必要、だがその限りを知るということ、つまり今持っている幸せを大切に噛みしめなさいとお釈迦様は説いているだけ」
本来の「執着を捨てる」ということもすべてを擲っていいという意味ではない
今持つ幸せを大切にしなさいと言う教えなのに
あの三流は本当にすべてが「無」だったから、言葉の上っ面だけ取ってドヤ顔で大嘘語っていたから本職の人たちからは嘲笑されていた
これは本来の意味の解釈としては間違っていても、作品としておもしろいから
活劇として見ていておもしろいから存在が許されるが
あの三流はすべてが「無」だったから、その後今全く仕事がない
本来人が目指すべき頂は捨てることではない、歩み続ける限り拾い続けることだ
字画はよく似た一字だが、それはあの三流のような「無」と、太悟に至る過程の「空」ほどの天と地の差がある。