かがみ さんの感想・評価
4.3
物語 : 4.5
作画 : 4.0
声優 : 4.0
音楽 : 5.0
キャラ : 4.0
状態:観終わった
「つながり」のエネルギーと限界性
2010年代前半とは「動員の革命」の時代であった。スマートフォンとソーシャルメディアが普及は、人々の消費傾向をモノからコトへと変化させ、そこから新しいビジネスモデルや市民的連帯の形が生み出された。本作にはこうした時代の気分が見事に反映されている。
迫り来る「廃校」を回避するため「スクールアイドル」となり「ラブライブ」を目指す--古き伝統を持ちながら今や廃校の危機に瀕する音ノ木坂学院が経済的凋落と少子化に喘ぐ現代日本の象徴だとすれば、今をときめくUTX学院はグローバル資本主義の象徴のようだ。この点、音の木坂側に和菓子屋、神社、弓道といった「日本的なもの」を配置する事で、このコントラストがさらに強化されている。
こうした構図の中で、動画配信を駆使したアイドル活動で母校の危機に立ち向かうμ'sはさながら「動員の革命」の時代における新しい市民運動のスタイルを体現するかの如き存在である。抵抗運動としてのスクールアイドル。様々な個の物語による「つながり」への信頼こそが本作の中盤までを駆動させた想像力に他ならない。
ところが本作は後半において一転して「つながり」の限界性を描きだす。ラブライブにさえ出れば奇跡が起きる。「つながり」で世界は変えられる。こうした究極的には無根拠な「つながり」の幻想が機能不全に陥った途端、μ'sは瓦解し、穂乃果は自分を見失ってしまう。
その後、さまざまな紆余曲折を経て穂乃果はラブライブの手前にあった自らの歓び--歌うことが好き--に立ち返る事で自分を取り戻す。こうしてみると本作は「つながり」の持つエネルギーを体現した作品であるとともに、その限界性までも描き出した作品ともいえる。