kurosuke40 さんの感想・評価
4.1
物語 : 4.5
作画 : 4.5
声優 : 4.0
音楽 : 3.5
キャラ : 4.0
状態:観終わった
等身大の精神的成長
とても良い作品でした。
以前に一期二期を通して見た際はそこまで強く印象に残らない程度でしたが、三期は圧倒的に濃度が濃く一番好きです。
優れた小説家が捉えられる日常の機微と、その中での私たちの精神的な成長・変化を、ごちうさの三期は捉えられていると思います。
日常系というジャンルは、昨今は以前と比べて下火になった感じがありますが、今を書く物語として貴重なジャンルだと思います。
というのも、例えば世界滅亡と個人的な話を天秤にかけられてしまっては、
世界が滅亡しない方に舵を切るのは往々にして当たり前の選択肢になってしまいますから。
そんな選択肢が存在しない日常で、私たちの心はどう変わっていくのか。
ごちうさの一期と二期の簡単な流れとしては
一期は居候のココアが、チノに対して「姉」という関係性を持ち込み、チノに家族として認められていく話で、
二期はなぜココアが(居候にもかかわらず)姉と言う位置にこだわっていたのかという疑問が、ココアの出来る姉(モカ)という存在から解き明かされ、モカにココアが認められるという話でした。
三期は一話から、”チノ”が「お姉ちゃん」として振る舞うことを求められ、良いところも一部悪いところもココアに似てくる。
高校進学も、チマメ隊の一員としてのチノと、ココアの妹としてチノという立ち位置に板挟みになりつつも、自分で主体的に選んでいく。
気づけば――
引っ込み思案だったチノが、(ココアたちなどの影響で)千夜やシャロに手助けを求めるなど、自分から他人を巻き込んでいけるようになっており、
自ら輪に入れないシャロが当たり前のように輪の中に入っていけており、
リゼは無理に女の子らしく振る舞おうとすることがなくなり、自分らしく振る舞うようになっている。
最終話で、チノが個人個人に話しかけていくのがとても印象的でした。
ココアはココアで(自分)勝手にやりたいことをやっているのではあるけれど、
聡いチノは自分の変化がココアによるものだと気づいている。「その一歩は君を見ているから踏み出せる」
三期の最終話の、ココアの姉(モカ)の話は、あるべくしてある位置の話だったと思います。
最初から出来る「姉」なんていない。姉と言う立ち位置を求められたり、周りから見られたりして「姉」になっていくということ。
それは「怪盗」だったり、「先生」だったり、あるいは「〇〇学校の生徒」だったりでも同じこと。
(「自分のことを王だと思っている王は、自分のことを王だと思っている乞食と同じくらい狂っている」というのはそういうことです)
一期二期では原作には食指が動かなかったですが、
三期を見終わった後は、しっかりと変化を描いており、素直に彼女たちの今後も見守っていきたいと思える余韻が心地よい作品でした。
ぴょんぴょんより、しっとりでした。
蛇足
怪盗をシャロに似せたのは青山先生なりの愛でしょう。遠回りすぎるけど。