フィリップ さんの感想・評価
4.7
物語 : 5.0
作画 : 5.0
声優 : 4.5
音楽 : 4.5
キャラ : 4.5
状態:観終わった
悲しみは雨のなかに
アニメーション制作:新海クリエイティブ、
コミックス・ウェーブ・フィルム
原作・脚本・監督:新海誠、
作画監督・キャラクターデザイン:土屋堅一
美術監督:滝口比呂志、音楽:柏大輔
新海誠は若い頃、新宿に仕事場があって、
付近の店をよく訪れていたことを
飲み屋で聞いたことがある。
だから新宿が舞台の作品が多いわけだが、
この作品では、物語のほとんどが新宿御苑でのこと。
私も花見でよく訪れていて、
たまたま安倍元首相の「桜を見る会」の日と重なり、
入口の荷物チェックが長蛇の列になって、
緊張しながら酒を鞄の底に隠したのを思い出す。
新宿御苑を初めて訪れたとき、
多彩な植物群と広大なスペースには度肝を抜かれた。
元は、高遠藩・内藤家の下屋敷の敷地の一部。
その後に大蔵省によって買い上げられ、
海外からの植物の持ち込みを精査するために
「新宿植物御苑」となったのが始まりだ。
そんな経緯があって庭園として整備されたため、
ほかにはない雰囲気を醸し出している。
敷地内を歩いていると、とても美しい景観が広がり、
いつまでも巡っていたい気持ちになる。
ただ、広すぎるので、1度や2度では
とても回り切ることはできない。
そんな新宿御苑のひとつの四阿で、
梅雨の期間に男女が出会う物語。
雨の描き方がとても繊細で美しい。
小雨、小糠雨、天気雨、豪雨、驟雨。
多彩な雨の様子がしっかり描かれる。
雨の日の空気感まで表現されている。
匂い立つような絵作りだ。
将来への悩みを抱える少年、タカオ。
居場所を失ってしまった女性、ユキノ。
歩き続けることを難しいと感じたふたり。
雨のなかでただ佇んでいる。
いつかは歩き出さなくてはいけない。
しかし、それができなくなることもある。
似通った境遇のふたりが四阿でひとときを過ごす。
そして、少しずつ近づいていく。
ふたりの関係性は、天気によって左右されるのだった。
「庭」というタイトルは上手い。
普通に考えると新宿御苑のことを「庭」というのは、
違和感があるが、それを個人の心に当てはめて
もっと身近なものとして捉えている。
和歌がひとつのモチーフとして用いられる。
紀貫之によると、和歌とは人の心を種にして成長する
言の葉の茂った木のことだという。
つまり「庭」は、ふたりの言の葉の木が
寄り添ってゆっくり成長する場所なのだろう。
心地良いピアノの劇伴とモノローグによって、
時間の流れが表現される。
雨と緑の風景とふたりの関係性があいまって
観ている者に癒しの時間を与えてくれる。
{netabare}靴を作るために足を測るシーンがいい。
足を触る行為がふたりの距離感、
親密度をとても上手く表現している。{/netabare}
さまざまな部分がとても繊細に描かれる。
ファンデーションを落として
粉々に割れているのを見て、
ユキノが声を出さずに泣くシーン。
何かが上手くいかないときに、さらに追い打ちをかけるように
嫌なことを見てしまうことで感情があふれてしまう。
とても映画的な描写で悲しみが伝わってくる。
この作品を観ていて思い出したのは万葉集ではなく、
トム・ウェイツの『マーサ』という曲だった。
「悲しみをしまいこんで
雨の日にとっておいたものだった」
という詩の一節があったからだ。
初期の頃の曲だが、語るような
嗄れたヴォーカルと寂しげな詩が沁みる。
立ち止まってしまうこともある。
悲しみに暮れる瞬間も訪れる。
そんなときは、少しばかり逃げてもいいのだ。
好きなものにふれたり、お気に入りの場所に行ったりして、
何か素敵な出会いがあればいい。
人でもいいし、景色や芸術、食べ物でも。
そのことによって、歩けるようになることもある。
前に進もうと思える時が来る。
心に傷を負ったことのある人々にとって、
特別な感情を味わわせてくれる。
時間は止まることもあるけれど、
自分のなりのペースで、停滞しすぎないようにすればいい。
そうやって何かを掴むことができれば幸せなことだ。
(2020年11月14日初投稿)