Fanatic さんの感想・評価
3.2
物語 : 3.5
作画 : 5.0
声優 : 1.5
音楽 : 1.5
キャラ : 4.5
状態:観終わった
惹かれ合う二人の描写が圧倒的に足りない
鬼滅ほどではないですが、本作も公開当時は社会現象となった作品です。
話題になっている只中で視聴していたら、捻くれ虫が疼いて斜に構えた見方をしていたかもしれませんが、今は素直に作品と向き合えたと思っています。
その上での素直な感想ですが……。
「まあ、つまらなくはないけど……」という程度のものでした。
とりあえず、何も考えずに「泣ける作品なんだろうな」と思って観始めたところ、全く泣けないどころか、心が動く部分すらほとんどなかったんです。
後付け講釈にはなりますが、自分なりに「なんでだろう?」と分析した結果が下記になります。
まず、のっけから違和感を感じたのが、声です。
まあ、観ているうちに慣れてはいくのですが、あくまでも慣れるという程度であって、決して演技に心を動かされるわけではありません。
話題作りのために有名な俳優を起用するのはよくあることですが、あの演技に声優アワードの主演男優賞・主演女優賞まで贈るのならば、もう本職の声優さんなんて要らないですよね?
さらに「あれ?」と思ったのが、主人公の二人が惹かれ合っていく描写が圧倒的に足りないことです。
入れ替わりという現象が起きていることを自覚して、お互いの生活を守るためにルールを決めていく二人。
その過程でお互いに惹かれていくのでしょうから、本来であればこの辺りをじっくり描くことこそ、恋愛モノとしてはマストでしょう。
なのに実際は、RADWIMPSの曲に合わせてダイジェスト編集のようにさらりと流して終わらせただけ。
なぜあんな雑な見せ方になったのか――。
{netabare} それは偏に、二人の生きている時間に三年間のズレがある、という設定のせいに他なりません。
正確に言えば、そのズレを中盤のサプライズとして機能させるため、主人公の二人にも観客にも、同じ時代を生きていると思わせるようミスリードする必要があったからです。
そもそも、二人でルールを決めるのに、電話ではなくメモでやりとりするのは不自然です。
週に二、三回も入れ替わっていて、三年の時差があったことに気づかないなんてこと、あるでしょうか。一日に一度くらい、普通に暮らしていても日付くらい確認しませんか?
電話で連絡を取ろうとした時も、隕石の落下で三葉が亡くなっている世界線なら、電話の応答は『電波の届かないところに~』ではなく『現在使われておりません』になるはずです。
知らない女子高生にいきなり渡された紐を、お守り代わりに三年も身に付けている瀧も気持ち悪いですし、隕石落下なんていう世紀の大惨事をきれいさっぱり忘れて岐阜を訪れているのも無理があります。
三年という時間軸のズレを隠すために、演出上の矛盾があちこちに見受けられます。
ただ、その矛盾が問題の本質ではありません。
矛盾があっても、面白ければエンターテイメント作品としては成功だと思うので。
問題は、入れ替わりエピソードの大部分をダイジェストシーンのようにしてしまったことです。
あの表現がベターだからそうしたのではなく、あの辺りのイベントを詳しく描写するとどうしても三年のズレを隠しきれなくなるので、あのような見せ方にして誤魔化したのだと、私はそう考えています。
二人の交流が流されたせいで、最初はバイト先の奥寺先輩を好きだったはずなのにいつの間にか三葉を好きになっている瀧に、かなり唐突な印象を受けました。
いつの間にそんなことになってたの?と。
当然、そんな恋には感情移入も上手くできません。
時間軸のズレはこの作品のアイデンティティなので外せないでしょう。
であれば、残された選択肢は、演出上の矛盾に目を瞑ってでも、三年のズレをサプライズギミックとして利用するか、あるいは、時間軸のズレは早々に明示して、その上で入れ替わりを繰り返している二人の交流を丁寧に描くか……その二者択一だったと思います。
ただし、後者の場合、隕石衝突に絡む三葉の消失を印象的に描くことができなくなりますから、このままではデッドロック状態。大きく脚本を変える必要があるでしょう。
興行的にどちらが良かったのかは分かりませんが、私は、二人が惹かれ合っていく過程をもっとじっくりと堪能したかったなぁ。{/netabare}
もう一点、私が没入感を削がれた原因は、頻繁に挿入されるRADWIMPSの楽曲です。彼らの楽曲が悪いというのではなく、使われすぎで音楽の自己主張があまりにも強すぎました。
一般的に、映画で歌付きのボーカル曲を使う場合、ほとんどがOPかEDで一回、さらに、挿入歌として使う場合は、クライマックスシーンに一回程度ではないでしょうか。
しかも、その場面に合わせて、アーティストも変えてくることが多いと思います。
歌付きの、しかも同じアーティストの曲を映画の中で四回も使う作品なんて、ラブライブかマクロスくらしか記憶にありません。
恐らく、RADWIMPSのプロモーションも兼ねた構成なのでしょう。
ファンの方には良かったかもしれませんが、RADWIMPSを好きでもなんでもない私にとっては、文字通り没入感を阻害するノイズでしかありませんでした。
この程度の作品なら、新海監督でなくても十分に作れたのでは?
「言の葉の庭」では、女性の感情が動く瞬間について、多くのアンケートまでとって心情描写に拘られた新海監督。
その良さが、本作ではまったくと言っていいほど見られませんでした。
人格の入れ替わりにタイムリープと世界線の概念を組み合わせたプロットも、多少捻った感はあるものの、とくに目新しさを感じるほどではありません。
拾うべき部分は、作画……特に、美術面のみでしょうか。
何も考えずに観るならつまらなくはない……という程度だと思いますが、かなり商業臭の強い作品だけに、社会現象にまでなったというのはある意味納得です。
これも一つの成功の形なのでしょうし、好きな方も沢山おられるので否定をするつもりはありません。
ただ、個人的には、非常に残念な作品となりました。
PS:
「言の葉の庭」に出てきた雪野百香里がどこかで登場しています。
(へんてこなCV陣の中で、いきなり花澤香菜さんが喋るのですぐに分かりますが笑)
本作の視聴前に観ておくと、少しだけ楽しみが増えるかもしれません。