Fanatic さんの感想・評価
3.9
物語 : 3.5
作画 : 5.0
声優 : 4.0
音楽 : 3.5
キャラ : 3.5
状態:観終わった
メメントモリ(死を忘るなかれ)
「アニメミライ2013」の1作品、『デス・ビリヤード』が元になって制作されたテレビシリーズです。
制作は「ちはやふる」「オバロ」「ノラゲラ」「魔法科高校の劣等生」等のマッドハウス。作画は、特に崩れることもなく、最初から最後まで非常に安定しています。
立川譲さんは本作が初監督ですが、この後も「モブサイコ」や「デカダンス」の監督、「幼女戦記」の演出などを手がけられていて、躍動感のあるダイナミックなカメラワークが得意な印象です。
知幸(ちゆき)役の瀬戸麻沙美は「ちはやふる」の主人公・綾瀬千早を演じた方ですね。まだ若い声優さんですが、葛藤シーンなどでは、熱のこもった魅力的な演技をされる方だと思いました。
裁定者と呼ばれる存在が二人の死者に〝命を賭けたゲーム〟を強制し、極限状態に置かれた彼らの言動を観察して〝転生か虚無〟へ送り出す、というのが、本作のメインプロットです。
どちらへ送られたかは、死者が最後にのるエレベーターの上のお面で分かります(白い能面=転生、般若の面=虚無)。
裁定を受ける死者は死の前後の記憶を失っており、裁定者の元を訪れた時には自分たちが既に死んでいることすら分かっていません。
デスゲームを進めるうちに、少しずつ生前の記憶を取り戻し、徐々に極限状態へと陥っていきます。
ヒロインの知幸は、例外的に最初から自分の死に気がついていたため、デスゲームによる極限状態に陥れることができず、代わりに裁定者の一人である〝デキム〟の元で、しばらく裁定の手伝いをすることになります。
しかし、この計らいにはデキムとは別の裁定者・ノーナの、『本来は感情を持たない裁定者がもし人間の感情を持ったらどうなるのか』と言う目論見があります。
この手の設定ですと、大抵は超然的な存在が、人間のイドとエゴを暴き出して大岡裁きのような公平な結論を下す……という展開が多いと思いますが、本作における裁定者は人間と同じくかなり不完全な存在で、人間の心情までは推し量ることができません。
極限状態の人間が見せる表面的な言動だけで裁定していくので、不条理な結末になる場合も多々あります。
裁定者、とくにデキムの変化を描くのもプロットの一つなので仕方ないのですが、モヤッとする展開が多いので、信賞必罰の合理的な結末じゃないとダメ!という方には向いていないかもしれません。
{netabare} また、少し「あれ?」と思ったのは、感情がないはずなのに妙に人間味のあるデキム以外の裁定者たち。
一方、徹底的に無感情に描かれていたのに、最終話でいきなり感情爆発させたデキムに関しては、内面の変化を推し量る描写も皆無だったので、少し面食らいました。
このあたりは、かなり脳内補完しながら視聴する必要がありそうです。{/netabare}
最終話手前、11話のサブタイトルにもなっている「メメントモリ」とは、ラテン語で『自分が(いつか)必ず死ぬことを忘れるな』、『死を忘るなかれ』という意味です。
古代では「どうせ死ぬなら今を楽しもう」という趣旨の言葉でしたが、その後のキリスト教界では人間の欠陥や過ちを思い出させる言葉として徳化されています。
本作においても、後者の意味が全編を通してのメインテーマとなっているのではないでしょうか。
死者たちの重厚な人間ドラマがメインプロットなら、その裏で進行する裁定者たちの思惑がサブプロット?
あるいはそちらの方が物語の根幹かもしれません。
この二つのプロットが複層的に絡み合い、エピソード毎のメリハリもあって、最後までダレずに観られる佳作でした。