なばてあ さんの感想・評価
4.8
物語 : 4.5
作画 : 5.0
声優 : 4.5
音楽 : 5.0
キャラ : 5.0
状態:観終わった
熾天を押し込める七つの円環
[Ⅱ.lost butterfly]のレビューの続き。
劇伴は「むだに」荘厳な梶浦音楽。とにもかくにも「重み」をゴリ押しするのだ、・・・とでもいうように、シナリオと作画と背景と撮影と音楽と音響が一致団結している。見事に統率の取れたプロダクションで、完成度はきわめて高い。わたしは原作の一番の魅力は「重たさを出そうとして出し切れていない脇の甘さが、不思議な風通しの良さにつながっている怪我の功名感」にあると思っていたので、昨今の「Fate界隈」のバブリーな全面縦深攻勢には、すこしだけ白けてしまう。たとえば『{netabare}Fate/EXTRA Last Encore{/netabare}』は神前音楽で、それはやっぱりおもしろい効果を発揮していた。もちろんあちらとこちらでは、同根であっても異なる世界観と言われればそれまでなのだけれど。
CV的な観点でいうなら、ワカメが退場してから、やっぱりちょっとトーンダウン。神谷さんはやっぱりすごくて、あまりにもすごすぎるので、他のCVと比べて浮きすぎてて、ワカメの嫌味というスパイスの効き具合が圧倒的。その意味で[Ⅲ.spring song]はすでにクライマックス後の物語とさえ言えるのかも。もちろん半分は冗談だけれど。神谷さん以外の声優陣はもう安定安心の出来で、全員がしっかりとキャラクタに奉仕する演技。ワカメだけが、ワカメから神谷さんがだだ漏れになっていて、それが良い方向に機能していたのだけれど。その文脈でいうと、ワカメと切嗣の掛け合いが見たかったな。。。そんな与太話は措くとして、セイバーオルタがとどめを刺される直前、士郎の名を呼ぶ声はちょっと忘れがたい響き。あれは名演技だし名演出だった。
[Ⅲ.spring song]のハイライトはその「ライダー&士郎 vs セイバーオルタ」のバトルシーンであることに異論を差しはさむ余地はないだろう。この劇場版シリーズの日常芝居を絶賛してやまないわたしではあるが、ことこの第三作に限れば、それを押すことができない。[Ⅰ.presage flower]のようなしっとりとした日常シーンがあまりないこともある、・・・というかそれが大きい。[Ⅲ.spring song]が「大感動を呼び起こすフィナーレに相応しい大作」という世評を否定するわけではないけれど、ちょっと[Ⅰ]や[Ⅱ]と比べると、大振り感が否めない。ただ、すべてのバトルシーンのなかで、わたしは[Ⅲ]のライダーの描写がいちばん好きだ。圧倒的な戦力差。一撃くらってしまったら即敗北。その絶対的不利の状況下でほのかに見える勝ち筋をたぐり寄せるために自分にできるすべてをやるという覚悟は、あまりにもうつくしく、凜々しい。
このあたり、原作のテキストもかなり熱の入った描写だったけれど、あのほとばしる熱量がそのまま作画的情報量に還元されている。洞窟内の限定的な空間を、空間としてフル活用するライダーの作戦が、きちんと伝わるレイアウト。そういう意味で[Ⅱ]の広大な野外で戦った「バーサーカ vs セイバーオルタ」の描写は、無限の空間が想定されたがために、逆説的に「空間感」が減少していたにちがいない。ボリュームは限定されて始めて、ボリュームとして機能する。だからこそ、わたしは劇場版『heaven's feel』における最高のバトルシーンに[Ⅲ]のこれを推す。縦横無尽に飛び交いながら、すこしずつダメージが蓄積していくライダーの姿は、感動的で、正直、本作でわたしが一番泣いたのは、この場面だった。ライダーかっこいい。次に好きなバトルシーンはおなじく[Ⅲ]の「綺礼&イリヤ vs アサシン」だったりする。アインツベルンの魔術はなぜだか涙腺にクル。
さて。
総括するとすれば、結局のところ、「開き直って居直ったファンサ」 の是非ということになりそう。月厨であれば、これ以上のご馳走はない。20年追いかけた古参にとって、この劇場版三部作を鑑賞することは福音以上の福音、もはや被昇天にも比せられる経験だろう。『FGO』バブルがあったからこそ実現した物量作戦は、そのことごとくが実効的に機能し、すばらしいフィナーレを迎えたのだった。・・・と、頷けるヒトと小首をかしげるヒトを分断してしまう装置が、コレである。わたしは新海誠はそこまで支持できるわけではないけれど、すくなくとも新海作品が、そのときどきの時代に向き合っていることだけは肯定せざるを得ない。もちろん、アナクロニズムは即「悪」というわけではない。全然ちがう趣だけれど『{netabare}天気の子{/netabare}』、それからテレビアニメでいくなら『{netabare}SSSS.GRIDMAN{/netabare}』などはアナクロ感満載であり、けれどもそのアナクロ感が逆説的に時代を射貫く企みとして機能していた。でも、本作は、ちがう。「良いものは良いのだ」と開き直った居直りのもとに、古色蒼然とした作品を彩度高めの極彩色で上塗りした作品である。
結果、彩色層はたしかに美麗。けれども、構造や構成自体の古さは覆い隠せていない。わたしは『{netabare}Unlimited Blade Works{/netabare}』の士郎には、じつはちょっと、現代性があったと思っている。士郎の空しさ、士郎の虚ろさ、士郎の哀れさには、いまというこの瞬間にも、しっかりと刺さる射程があったと思う。それはむしろ「Fate」が世に出た20年前にはなかった射程である。あの綺礼ばりの否定神学の問いただしの結果「・・・でないもの」としてしか定義できない自己の持ちようというのは、どこまでも弱く情けないけれど、だからこそ、このご時世でもちゃんとわたしたちのなにかに着地する感触があった。けれども『heaven's feel』には「・・・でないもの」という否定神学的手続きが排除され、代わりにその位置に据えられたエンジンはメロドラマである。そしてこのメロドラマは、『{netabare}天気の子{/netabare}』のそれとは完全に出力が異なる。その出力の多寡の差は「閉じられ/開かれ」という条件に帰せられる。クローズドサークルでメロドラマをやったところで、セカイ系のセカイたる広がりは得られないという当たり前の事実、である。
わたしが言いたかったことはだいたいこんなところ。劇場版『{netabare}エヴァンゲリヲン{/netabare}』シリーズと、劇場版『heaven's feel』シリーズは、上記の文脈でとても似通っているのかもしれない。それぞれ快楽と愉悦はたしかに充ちている。けれども快楽と愉悦に広がりが、ない。本作は月厨としてのわたしと、アニヲタとしてのわたしを分割してくれた作品で、その分割の経験はとても刺激的で、しんどかったけど、興味深くもあった。ひさびさにアニメでちゃんとモノを考えられた気がするし、これからも月厨は続けていきたいし、その観点とアニヲタの観点を混ぜることはしないようにしようとも思えた。そういう、ニッチな狭い小さな場所で、わたしはこの作品を賞賛するのである。
衝撃:★★★☆
独創:★★
洗練:★★★★☆
機微:★★★★
余韻:★★★★