蒼い✨️ さんの感想・評価
2.4
物語 : 1.0
作画 : 3.0
声優 : 2.0
音楽 : 4.0
キャラ : 2.0
状態:観終わった
評判通りの出来。
【概要】
アニメーション制作:白組、ROBOT
2019年8月3日に公開された103分間の劇場アニメ。
『ドラゴンクエストV 天空の花嫁』を原作とした3DCGアニメ映画。
山崎貴が総監督と脚本を手掛け、八木竜一と花房真が監督を務める。
キャッチコピーは、『君を、生きろ。』『君は、何者だ。』
【あらすじ】
少年リュカは父パパスに連れられて、
魔物に連れ去られた母親を探す旅を続けていた。
子供ながらの冒険でビアンカ、フローラ、ヘンリー王子らと知り合っていく。
そして、母を連れ去ったゲマの戦闘でリュカとヘンリー王子が人質にされ、
勇敢で強かった父パパスは殺されてしまった。
リュカとヘンリー王子は教団の奴隷にされて強制労働の日々を10年間過ごした後、二人は脱出に成功。
かつて父と過ごしたサンタローズの村の家に戻ったリュカは、
父パパスの遺品の日記を発見して書かれていた内容に従い、
天空のつるぎと勇者を探し出して母を救う目的の冒険の旅にでるのだった。
【感想】
プレイしたことが無いので原作DQ5に全く思い入れがないのですが、
・鳥山明では無いキャラクターデザイン。
・ジャパニメーションに愛着があるゆえの3DCGアニメへの抵抗。
・鳥山明のイラストと比較しても優柔不断でへなちょこな主人公であったり、
そのキャラ付けからくる表情芝居に対する拒否感。
・佐藤健による主人公や有村架純によるビアンカらの俳優による演技。
などなど自分の感覚に合わない部分がたくさん。一番解せないのが、
・登場人物から主人公の娘(勇者の妹)を削除。
これは、ファン向けアイテムとしては失格ですね。
普通にプレイすれば50時間はかかるであろう内容を103分間にまとめるために、
キャラやシナリオの整理はやむを得ないという大義名分があり、
ダイジェスト展開もわからないでもないですが、
アニメ映画なのに序盤にSFC版のゲーム画面を流用して、開始5分で父親が死ぬ。
杜撰なカットによって構成された映像から提示される情報のあまりの少なさに、
この映画作品は視聴前にゲームをプレイして予備知識が備わっていることが前提ですね。
監督が何を考えて作ったのか?ドラクエ5の物語、そして名シーンの感動を、
プレイヤーたちに再び味わってほしい。と純然なるものなら良かったのですが、
前述のキャラ付や展開を含めてシナリオ全体に仕掛けがあったのですね。
山崎によれば、ゲームの映画化に懐疑的だったため当初はオファーを固辞していたが、
「劇場版アニメの成否をも左右するような、ラストシーンのあるアイデアを、
「思いついてしまった」」ことから、ゲームを映画にする意味を見出し、
引き受ける気になったという。
(wikipediaより)
と、自らのクリエイターとしての欲で、視聴者に驚きとメッセージを残そうとしたのですが、
それが既存のドラクエユーザーには、余計なことと受け取られて非難轟々のようですね。
それは、母に会ったことがない幼少~少年期を過ごし、敵であるゲマによってを父を殺され、
自らは奴隷や石にされて、妻を奪われ我が子の幼児期を一緒に暮らせなかったなど、
過酷な人生を歩まされた主人公が数々の艱難辛苦を乗り越えて、
遂には大魔王を倒すという原作のストーリーを、サラリーマンがDQ5の主人公になりきって、
バーチャル・リアリティのゲームをプレイして追体験しているというオチの道具に落とし込んだ。
(主人公がへなちょこっぽいのはプレイヤーによる、なりきりプレイのため)
そして、DQ5にかつて夢中になっていた視聴者たちを、
映画の悪役であるウィルスの口を借りて主人公に説教して、
『おまえら、なに作り物であるゲームにマジになってるの?』と嘲笑する話。
そもそもフィクションとして承知の上で皆が物語を楽しんでるのに、今更それを言う?感がしますね。
ドラクエが好きでいつまでも楽しみたい大人が少年の心でアンチウィルスを使って、
ウィルスを滅ぼして大団円。もうこれ映画内ではプレイヤーである主人公以外、
すべての登場人物が非実在というメタフィクションでDQ5のストーリー全部が血の通わない虚構オチ。
人間たちの物語じゃなくてゲーム世界万歳というメタな話のどこに感動があるのですかね?
これがドラクエでないオリジナルRPGの設定の作品だったり、
『勇者アベル伝説』や『ダイの大冒険』のようなオリジナルストーリーならともかく、
人の褌で相撲を取って僕すごいでしょ!みたいな造り手の精神性で、原作ゲームへの冒涜ですよね。
そもそも完全オリジナル作品ならドラクエファンが観に来ないですね。
このアニメの監督は、以前より原作に対する敬意の無さがやたら目に付きます。
『STAND BY ME ドラえもん』にて、“成し遂げプログラム”でセワシの命令に従わないたびに、
ドラえもんの体に高圧電流を流すという刑罰設定で無理やり感動シーンを作ろうとした前歴のある、
監督の山崎貴は、毎度のことながら作品を自分のオモチャにすることには定評があり、
それが毎回蛇足として批判されていて、原作のある作品を手掛ける資格があるのか?
と疑念が持たれる汚点を今作品でも追加しましたね。
それは、主人公による花嫁選択の話でも、
主人公がフローラを選びたいという気持ちは実は「自己暗示」による偽物という映画独自の設定で、
なぜフローラでなくビアンカなのか?との理由付けになる幼少期のイベントが、
数秒間のSFCゲーム画面で処理されていてゲームをプレイしてなければ全くの説明不足で説得力不足。
さらには「自己暗示」をかけないとフローラを選ぶ気にならない(それでもビアンカを選んでしまった)
というフローラ派に喧嘩を売ってるに等しい三角関係?の描写に関しても、
ダブルヒロインに対して失礼な内容になっています。
インパクトとかアイデアを見てもらいたいがためにフィクションであれ人の情を解さない。
そこが、この監督の最大の欠点であると自分は思います。
原作に誠実につきあい作品作りをするクリエイターが好きな自分としては、
作品に対しての支配欲に満ちた監督による悪い意味で記憶に残るこの映画は、
人には、なかなかおすすめしにくいなと思いました。
これにて感想を終わります。
読んで下さいまして、ありがとうございました。