Ka-ZZ(★) さんの感想・評価
4.1
物語 : 4.0
作画 : 5.0
声優 : 4.0
音楽 : 3.5
キャラ : 4.0
状態:観終わった
「イノセンス それは、いのち。」
本作品は、初作となる「GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊」の続編に位置する作品です。
物語の内容に繋がりがあるので、前作未視聴の方はそちらからの視聴をお勧めします。
舞台は、人々が電脳化され、声を出さずとも、コンピューター端末を打たなくとも、
ネットワークを通じたデジタルコミュニケーションが可能になる一方、
肉体の機械化も進み、人とサイボーグ(機械化人間)、ロボット(人形)が共存する、2032年の日本。
魂が希薄になった時代である。
主人公は、続発するテロ犯罪を取り締まる政府直属の機関・公安九課の刑事バトー。
彼はサイボーグで、腕も脚も、その体のすべてが造り物。
残されているのはわずかな脳と、一人の女性、“素子(もとこ)”の記憶だけ。
ある日、少女型の愛玩用ロボットが暴走を起こし、所有者を惨殺する事件が発生。
「人間のために作られたはずのロボットがなぜ、人間を襲ったのか」。
さっそくバトーは、相棒のトグサと共に捜査に向かう。
電脳ネットワークを駆使して、自分の「脳」を攻撃する“謎のハッカー”の妨害に苦しみながら、
バトーは事件の真相に近づいていく。
破壊されて何も語らないアンドロイド、人間の姿をしたロボットの女性、
禍々しき祭礼の中で人間に焼かれる人形たち、自ら死体となって、人間であることを超越したと自惚れる男。
バトーは、捜査の過程で様々な、人形(サイボーグ)たちと出会い、
<人形>に托された<人類>の想いを繰り返し自問自答することになる。
「人間はなぜ、自分の似姿(=人形)を造ろうとするのか」。
古来より人は、人の形を模した<人形>を造り続けてきた。
「人はなぜ、人形を必要としているのか」。
身体のほとんどが機械と化したバトーは、いわば、人間と人形の狭間を生きる存在。
そんな彼にとってその謎を解く手がかりは、自らが飼っているバセット犬と、素子への一途な想いだけだった。
それはバト-が人間として生きている証でもある。
そしてその想いこそが、事件の驚愕の真実を明らかにする。
KINENOTEのあらすじを引用させて頂きました。
イノセンスを直訳すると、潔白、純真、天真爛漫、無知、無害等を意味する言葉です。
レビューのタイトルで使わせて頂きましたが、この作品のキャッチコピーは糸井重里さんの「イノセンス それは、いのち。」なんです。
視聴前は、言葉のニュアンスがずれていると思いましたが、視聴後はこのキャッチコピーが腑に落ちた気がしました。
何故ならこの作品は一貫して「魂の在り方」を突き詰めていたから…
この世界は生身の人間や完全にサイボーグに義体している人も存在するのですが、それぞれの境界線が曖昧で相互補完し合っている感じなんですが、それぞれ自分の命に関する感覚が少しずつ違うんです。
最初から義体の人なんかいません。
だから、本来なら義体化に至った経緯を知らなければなんとも言えないのですが、義体化した人は総じて自分に負荷をかけるのを厭わない傾向が見られます。
もしかして、替えが効くから…?
誰もが替えが効くわけじゃありませんし、防衛本能だって欠落する気がするんですよね。
ここが義体化の少し怖いところなのではないでしょうか。
あ、決して少佐やバトーのことを非難するつもりはありませんので…^^;
作品のあらすじにも記載されていましたが、バトーの一途さは個人的に大好物ですし、何より少佐は格好良いですし…
純真無垢な人間なんて赤ちゃんくらいでしょうし、サイボーグだって綺麗事ばかり立ち回れる訳じゃありません。
だから個体として活動を積み重ねていくうちに潔白や純真さは少しずつですが失っているんだと思います。
でも、生の根幹である「いのち」だけは綺麗なまま無に帰していくと考えると、キャッチコピーも腑に落ちるんですよね。
自分がそうあって欲しいと思っているだけかもしれませんけれど^^;
この作品を語る上で触れておきたいのが背景です。
ボキャブラリーが貧困なので良い言葉が思い浮かびませんが、緻密って領域を遥かに凌駕していました。
キャラが映らなかったら実写と見間違うくらいと言っても過言ではありません。
今、2020年にこの作品を視聴しての印象なんです。
これが実際に上映された2004年当時、あまりにも衝撃的な出来事だったのではないでしょうか。
wikiに沢山の受賞歴が記載されていましたが、納得のクオリティだったと思います。
気になる方は是非本編でご確認頂ければと思います。
私は思いきり堪能させて貰いました。