ウェスタンガール さんの感想・評価
4.8
物語 : 5.0
作画 : 4.5
声優 : 5.0
音楽 : 4.5
キャラ : 5.0
状態:観終わった
二つ目の角を右にまがって、それから朝までまっすぐ!
非常に感動した。
そして、全てのキャスティングに意味を持たせた原作と構成脚本にスタンディングオベーションを捧げたい。
全ては本編、おうぎダークに収束(!!)してゆく。
それ以上は語る言葉を持たず、語るべきではないかもしれない。
そんな訳で、回りくどく、穿った感想に留める。
二つ目の角を右にまがって、それから朝までまっすぐ!
ご存じ、ネバーランドへ至る道順、いや合言葉である。
ピーターパンとウェンディは、リアルよりも確信的な“ごっこ遊び”の世界に旅立つ。
そこには、母のいない子供たちがいて、ピーターパンはウェンディに“母親のようなもの”を期待するのである。
そして、ずる賢い大人を演じるのがフック船長であり、遊び相手でもある。
しかし、遊びには必ずルールがあり作法があり、それから外れることは許されない。
それをするということは、退場を命じられるということであり、大人になるということだ。
フックは最後、ピーターの剣に突かれワニに飲み込まれる。
その時の台詞が怖ろしい。
「は、は、は。ついに作法を軽んじおったな」である。
(松岡正剛、千夜千冊『ピーターパンとウェンディ』より)合掌
そんなことを思いながら、登場人物に被せながら、“終物語”を観た。
遡って、“化物語”の始まりはこうある。
「高校二年生カラ高校三年生ノ狭間デアル春休ミ-僕ハ彼女ニ出會ッタ」
そう、阿良々木暦と羽川翼もまた吸血鬼との出会いを契機に、物語の世界に踏み込むのだ。
そこにはリアルな意味での大人は存在しない。
存在は仄めかされても、あるいは間接的に登場したとしても、登場人物の親、特に母親との交流は存在しない。
阿良々木暦を含め、ネバーランドと同じく、皆が母性を喪失した存在、“ロストチャイルド”として描かれれている。
これは、阿良々木暦と羽川翼の関係性が、最終的に、どのように描かれるかにもつながってゆく。
一歩先を行く羽川に対して、阿良々木暦は何を感じていたのかが語られる。
核心である。
終盤、月火ちゃんと撫子ちゃんの興味深い会話がある。
将来何になりたい?
何がしたい?
という他愛もないものだが、怪異である月火ちゃんの答えには深いものがあった。
これまた核心である。
青春の終わりについても語られていた。
それは大人になることと同義ではないにしても、軸足を定めることの大切さを、今更ながら教えられたのである。
そして、この世界で敵役である“臥煙グループ” が、大人としての役割を演じ切る時、“輪廻の蛇”はその輪を解くことを許されるのである。
以下は、未視聴の方は絶対に開けてはならない。
今も涙が止まらない。
{netabare}「お前様が あさって死ぬのなら、儂は しあさって迄生きて、誰かにお前様の話をしよう。わがあるじ様の話を、誇らしく語って聞かせよう」{/netabare}