雀犬 さんの感想・評価
3.5
物語 : 2.0
作画 : 4.0
声優 : 4.5
音楽 : 4.0
キャラ : 3.0
状態:観終わった
PSYCHO-PASS 3 FIRST INSPECTORを見たら俺の色相がドロドロに濁ったという話
『駄作係数オーバー200、酷評対象です。
セーフティを解除します。
酷評モード、ノンリーサル・パラライザー。
慎重に照準を定め対象を評価してください。』
じゃ始めるか。
{netabare}
サイコパス3の評価として「分かりにくい」という意見が多い。これはストーリー構成の問題で、設定の開示を全く行わず、ストーリーのフックとして引っ張り続けているからである。ビフロストだのコングレスマンだのインスペクターだのラウンドロビンだの「ちょっと何言ってるのか分からない」単語が飛び交う。その上に、常守朱が拘留されている理由だとか状況説明も不足している。劇場版で一部の謎を除いて明かされるものの、この構成は非常に問題だと考える。劇場版商法自体は問題ではない。従業員の生活を守るため、企業は利益を出さなければいけない。しかし視聴者が消化不良のまま大して面白いと感じなくても途中で切ることができずズルズル最後まで観てしまうのはいただけない。
本作は一見して難解で高尚な作品に見えるが構成が不親切だから分かりにくいだけである。最後まで観て真相を知ると拍子抜けする。ビフロストの連中の目的はただの金儲け。コングレスマンの一人、法斑静火の目的はビフロストの破壊だったというが自らマネーゲームに参加して勝利するという手段と目的は一致しているだろうか。普通に公安局と協力して潰せばいいじゃないか。
梓澤廣一の最終目的はシビュラの一部になることだったが、その目的とテロ行為という手段は本当に繋がっているのだろうか。シビュラの正体をほぼ推測で突き止めていながらシュビラの構成員となる条件を全く把握していないという状況にはどう考えても無理がある。シュビラから拒絶され狼狽する彼の間抜けさは脚本の間抜けさでもあり、見終わった後に果てしなくがっかりさせられる。
そもそも、間接的に手を下せば色相が濁らないというのは都合が良すぎる設定だ。実際、六合塚弥生は犯罪を行わずとも音楽活動だけで色相を悪化させ潜在犯として収容されてしまったではないか。それだけならまだ目をつぶることができるが、梓澤は劇場版になって拉致監禁・脅迫など犯罪行為を自らの手で堂々と実行する。これで色相がクリアなままとか、視聴者を馬鹿にしているのだろうか。
姿の見えない悪の組織の正体を暴くというのが今シリーズの見所だろう。それが劇場版になって、梓澤ご本人が直接乗り込んでくるのだから笑えない。事の真相も、ペラペラと本人がしゃべってくれる。あるいはメンタルトレースなる超能力で解決してしまう。一番面白い所をなぜ一番くだらないやり方で終わらせてしまうのか。駄作と名高い「バビロン」も間接的に人を殺してしまう罪を問えない難敵がいきなり目の前で公開殺人を行うというちゃぶ台返しをやってのけたが、駄目なシナリオライターとはそういうものなのだろう。
サイコパスシリーズはだんだん攻殻機動隊化してきているように見える。格闘・狙撃・ハッキング・推理・交渉。厚生省・外務省に各分野のプロフェッショナルが集まり、彼らの活躍をスタイリッシュなアクションで描く。その格好良さが魅力のSF刑事ものとして両者は接近しつつあるように思える。しかし、そうなると気になるのがキャラ立ての弱さである。
慎導灼は実は免罪体質者という裏設定がある。しかし、シュビラが欲するような特異な思想が彼にあっただろうか。どっからどう見ても善良な一般人である。極めて優秀で、時折ピョンピョン跳ねる驚異的な身のこなしを見せるがそれは免罪体質とは関係ない。むしろロシアの紛争地帯で無秩序な世界の地獄を経験した外国人、炯・ミハイルの方がシュビラが求める人材のように思える。どちらが免罪体質者設定にしても、狡噛と顔合わせしたときに、なぜか槙島の顔が思い浮かんだ、といった伏線があっても良かったのではないだろうか。
灼に免罪体質者の要素がまるでないので、シュビラシステムの前で梓澤と揉み合っても茶番にしか見えないし、フィジカルで梓澤に押されている姿はギャグの域に達している。なんで陰でコソコソやってた梓澤がそんなに強いんだよ。急に灼を弱体化させるなよ。
冲方脚本は設定を羅列するばかりで、バックボーンを全然書けていないよね。サイコパス2期の霜月美佳も評判悪かったけど、それは彼女がシュビラ信奉者である理由が全く描かれていなかったからなんだよ。例えば、マイノリティリポートの主人公が犯罪予防に執心するのは最愛の息子を誘拐され失った悲しみからだったように、主役であれ悪役であれ、キャラの心情は視聴者から一定の理解を得られるようにするべきではないか。次作も冲方丁がシリーズ構成ならもう見ないだろう。
サイコパス(1期)は正義とは何かを問う作品であると同時に、自由とは何かを問う作品でもあった。サイコパスの世界がユートピアではなくディストピアだと僕たちが感じるのはそこには自由がないからだ。しかし今の世界を見回せば中国がテクノロジーの力で増長し、欧米諸国がコロナに畏怖し自由を制限する強権をあっさり認めたように、自由の意義は衰退を始めているように見える。
そんな時代なのに、サイコパス続編からは何の思想も感じられない。あるのは刑事ドラマを作りたいという意欲だけ。そのために毎回頭をひねって、なんとかシュビラシステムの穴を突いた敵を考え出そうと涙ぐましい努力をしている。できるあがるのは攻殻の劣化版。移民だのAIだのはテーマではなくただの雰囲気作りの要素でしかない。最後の土壇場になって、正義問答をキャラが口先だけで語り始める流れは夏休みの宿題を8月31日に始める小学生のようで悲しい。本当に訴えかけたいことがあるなら作品のトータルで語って欲しい。
{/netabare}