鰺鱒 さんの感想・評価
3.2
物語 : 1.5
作画 : 5.0
声優 : 3.0
音楽 : 5.0
キャラ : 1.5
状態:観終わった
意識高い系
dアニメの新着一覧で見つけたので鑑賞してみた。
15分ほどのショートアニメ。1997年公開の、劇場公開アニメ映画だそうです。
鑑賞後にdアニメの説明欄を見て、スタッフリストに錚々たる面々を発見。いろんな面で納得。
アニメ映画というよりは、Music Video (Animation)という認識。
作画の細かさと美しさ、映像(アニメーション)としての流麗さ、音響・劇伴、音楽と映像の当て方・はめ方など技術・技法には非の打ち所がありません。すばらしい映像美だと思います。
決して「商品」ではない作品、ちゃんというなら「商品」になり得ない作品と思いました。(賞賛しているわけではありません、あしからずご了承ください)。
以下、どこまでも僕個人の主観であると、強く言い訳したうえで・・・・
{netabare}
――「鼻につく」
{netabare}僕が本作品から感じたのは高尚さを被った下衆さでした。
○○庁メディア祭とか、○○省文化賞とか、そういうのをスナイプレベルで狙った作品のような印象を持ちました。もちろん実際はどうだか知りませんが、そういう意図、意識を感じました。
芸術祭とかに出品される作品って、技術・技法の高さを暖かさや神聖さ、無垢さといった「なんかいいもの」でふわっとくるんだお話をつけてくるものが多いと思っています。裏を返せば、制作者の中に自身の技術・技法以外に「伝えたいもの・見せたいもの」が存在しないことの現れだと考えています。本作品の物語面から感じたのは、まさにこのような「伝えたいもの・見せたいもの」の欠如でした。{/netabare}
――台詞を「言わせない」演出
{netabare}上とも関連しますし、おそらく「台詞も音楽の一部」とする上での演出なのだと思いますが。端的に言って、「何言ってるか聞き取れない」台詞が多かった。劇場で鑑賞したら、違ったのかもしれません・・・?
{/netabare}
――総じて
{netabare}つまんない。
上では商品たり得ない、みたいなことを書きましたが、本音は「作品」ですらないと思っている。これは、制作スタッフたちの(ArtやDesignの世界で言う)ポートフォリオ。技術・技能のカタログ。
もちろん凄い映像、凄い技術であることは疑いようがない。その技術と技法そのものに価値があることも確か。でも、僕にとってそれらは「手段と目的」の「手段」です。目的の伴わない、むき出しの手段に金は出せない。
「作品」に僕が求めるのは制作者が伝えたいもの。それは物語であり思想であり、制作者の情念・思い。この作品から感じることが出来た唯一の「思い」は、「(おそらくは湯浅さんの)立体感の表現を極めたい」という技法に対する思いだけだった。{/netabare}
{/netabare}