ウェスタンガール さんの感想・評価
4.6
物語 : 4.5
作画 : 4.5
声優 : 4.5
音楽 : 5.0
キャラ : 4.5
状態:観終わった
メメント・モリ -死を忘るなかれ-
心の奥底に畏怖の感情と共に刻まれたイメージが浮かび上がった。
“進撃の巨人”を観た時も、漠然とした情動に駆られたことは確かであったが、思い出しはしなかった。
病弱であった頃、きっと小学校の保健室、または主治医の診察室かは定かではないが、一枚のおぞましい図が額に入れられていた。
幼少で気弱な性格であった私の目をくぎ付けにしたものこそ、今日の脳科学の基礎を作ったペンフィールドの手になる脳内ホムンクルス図である。
大脳皮質に張り付くように描かれた体の部位、目や口、指などの感覚器がデフォルメされた姿が生々しく、一種のトラウマとなっていたようだ。
頭の中には脳ミソがあって、それが自分である、心であるというのが怖ろしかった。
同時に、自分って何だろう、他人は見ることができるのに、自身は鏡にでも映さない限り見ることのできない寂しさと言おうか不安を感じていた頃だ。
死への根源的な恐れは、年齢を重ねた今より、自我が目覚めた幼少の頃が強かったように思う。
前置きが長くなった。
このアニメは死を意識することで生を構築してゆくことの重要性を改めて教えてくれる作品だ。
主人公の太郎くん、彼の親戚で新興宗教の長男である大神信(まこと)、東京から転校してきたウザい奴、中嶋匡幸(ゆきひさ)、彼らは全て身近な人の死を受け入れられず苦しむ存在として描かれている。
しかし、ネタバレは避けたいので、ストーリーには触れないが、今までの小中千昭作品のような、ある意味実験的ともいえる展開に終始するようなことはない。もちろん、それも大好きであり、前半は脳科学、生命科学、オカルト、量子物理学、古代神道などのレクチャーが延々と続くことは覚悟してほしい。
それでもこれは、スピルバーグ印の作品や、ハリーポッターをイメージするような、親の世代が犯した過ちを繰り返さない決意、冒険と成長、仲間を思いやり、傷ついた心を癒す固い絆の物語でもある。
ただし、中村隆太郎監督である。
仄暗くアナログ的な映像に混じるノイズ、感情の高ぶりを抑えた台詞回しとローテンションなユーモア感覚が魅力だ。
今作においても、それらが変わることのなく全編を貫いていることが何よりうれしく、もう彼の作品を観ることができないことが悲しい。
カギとなる人物はたくさんいるが、中でも、神社の巫女でありこの物語の語り部でもある都ちゃんが可愛い。地獄少女の岡真理子さんのキャラデザと矢島晶子さんの声、最高である。
この年にして、実存主義的アプローチを獲得してゆく少年少女たち、勇気溢れる痛快成長譚である。
最後に、OPとEDの素晴らしさを付け加えなければ。
他の中村作品にも共通するが、その選曲と併せられた映像が抜群に良いのだ。
オープニングは小島麻由美さんの“ポルターガイスト”。
オールディーズのジルバのようなサウンドがらつながる彼女のジャージーな歌声に痺れる。
被る映像の自在な動き、魂抜けした太郎くんの浮遊感と何かが下りてきた都ちゃんの鬼気迫る姿、校門前で他の生徒が流れてゆく中で、太郎たち三人が静止する。
エンディングは、和製サラ・ブライトマン、3オクターブの歌姫、Yuccaさんが透明感あふれる歌声を披露する“風鳴りの丘”である。
太郎君の思い出が流れる映像は上下が逆転しており、脳内をイメージしたものに違いない。