退会済のユーザー さんの感想・評価
4.6
物語 : 5.0
作画 : 4.5
声優 : 4.5
音楽 : 4.5
キャラ : 4.5
状態:観終わった
🎖SURVIVAL STRATEGY
★★★★★
当たり前に賛否が別れる作品。
「美しい純愛」から「胸糞誰得」まで。
殺人=サイコパスと連想されるだろうが、ステレオタイプのサイコパスのイメージは好戦的で冷酷で狡猾な猟奇殺人鬼だろうか。さとうがこのように描かれなかった事に違和感を覚える視聴者も多かったと思う。こんなミスするなんてありえない、とか。
さとうは紛れもなくサイコパスと表現されている。
「早く帰りたい。早くしおちゃんと触れ合いたい」
「あ、今日誓いの言葉やってない」
サラッと吐くセリフに背筋が凍る思いがした。
とてもあの場面で言うセリフではない。
「私何か悪いことをした?」
「脱ぎたての靴下、誰のかわかる?」
特有の認知特性、これで確信した。
ガチガチのサイコパスだ。
私にとってサイコパスとはただの性格の表現で悪口でも差別用語でも何でもない。安置に精神疾患だの精神障害とか言うのは簡単だが、そういう人は自分は違うとでも思ってるのだろう。
安心したまえ。診断の根拠、DSMの評価基準で言えば、
「NOと言えない日本人」はもれなく障害者だ。
彼らは「怒られ」を非常に恐怖する。それは自己の存在そのものの否定になるからだ。未熟な発達段階からの「怒られ」の連鎖により怒られるか、怒られないかが行動原理となる。怒られ続けたものにとって他者からの介入は全て攻撃である為、自分から他者への通信手段もそれしか知らない。優しさや温もり慈しみを知らないのは、それを受けとったことがないからだ。
だからこそ他人にも一切興味がない。
しおちゃんですらも最初は愛玩対象でしかない。その段階ではまだニンゲン扱い出来ていない。だが触れ合う度に、さとうには色んな感情が生まれてくる。しおちゃんは本来母親の役目である最初の他人、世界の全てとしての代替品として機能した。
最初の一歩でつまづいていたさとうにとって
しおちゃんがさとうの存在証明そのものになる。
「普通」はここをクリアした後に父親等と繋がることで世界を拡張する。繋がりが2点の線から3点の面になることで世界の広がりを認知する。さとうはまだ世界と繋がれる可能性はあった。しょうこの存在にかすかな希望はあった。
だがしょうこの拒絶で世界への扉は完全に閉ざされた。
(やっぱりしおちゃんさえいればいい)
さとうは殻を破る機会を永遠に失った。
店長、先生、同僚、チンピラ。
つまづいた子供たちしかいないこの世界は現実と全く違うと言い切れるのだろうか。言い切れる人は本当に幸せだ。その狭い世界から絶対に出ないほうがいい。今の幸せを噛みしめていて欲しい。
常に心の平穏を求め、怒られない環境を目指す。怒られる状況は是が非でも回避しようとする。その手段としての逃避や支配、操作、削除。彼らの行為は攻撃ではない。あくまでも自己防衛にすぎない。
さとうと絡んだ人間は皆破滅したが、さとうからすれば降りかかる火の粉をはらっただけだ。イジメにはいくらでも堪えられる。自分さえ我慢すれば済むからだ。だが手に入れた生活を奪おうとする者には仕方なく対応せざるを得なかった。
この物語は2人が飛び降りる場面から始まる。最終話にこのダイブシーンへと繋がるのだが、これがもう筆舌に尽くし難いほどの美しさ。これもアニメだからこその表現。これまで見た事のない斬新な演出。
さとうは結局飛び降りるまで愛を知らなかった。
眩しい未来を想いながら、さとうは気づく。
「ああ、そうか」
「これはもっと深い、しおちゃんへの想い」
「ようやく…私は…。」
こんなのオカシイ、普通じゃないって?
さとうはただ生きようとしただけ。
ただ、それだけの物語。
D20200803
F20201017