退会済のユーザー さんの感想・評価
4.1
物語 : 4.5
作画 : 4.0
声優 : 4.0
音楽 : 3.5
キャラ : 4.5
状態:観終わった
ぼっちが織りなす痛快な群像劇。アニメ史に名を残す怪作にして傑作。
「自己肯定感が低い者は自己の能力を高く見積る」
を地で行くぼっちの主人公、八幡。
家庭環境が機能不全家庭かどうかの言及はないが
他者からの否定にさらされて育った者は
「好かれると不安になり嫌われる事で安心する」
他人の行為を素直に受け取れないばかりか、
好意を寄せた相手を疑いすらしてしまう。
こじらせまくりの八幡は自己防衛に終始する。
卑屈な八幡や傲慢な雪乃のふたりのぼっちは
「周りの人間はバカばかり、自分はまだマシ」と
自己防衛に徹する余り明らかに認知が歪んでいる。
それでも彼らが物語の主役足り得るのは、
不揃いながらも手持ちのカードで勝負するところ。
不器用を自覚し傷つき傷つけようとも、
自分はこういう人間だと主張することを厭わない。
スクールカーストの中での彼らの生存戦略は
オタクよりヤンキーのそれに近い。
つまり先制攻撃。
八幡は虚勢、雪乃は威嚇によりサバイブを試みる。
歪んだ認知はますます強化され、
ぼっちの座はより不動のものとなる。
当然これは間違っているし、
結衣の周りに調子を合わせヘラヘラした態度も
もちろん間違っている。こちらは回避行動。
八幡の態度は殆ど虚勢で、言葉はすべて屁理屈だ。
そんなやつが劇中ではリア充を差し置いて
大活躍なのだから、痛快の極みである。
だがタイトルにもある通り「間違っている」のだ。
八幡は確実に自覚している。
俺は「間違っている」と。
だが八幡はただ、こうする他なかった。
手持ちのカードを切る他に、手段がなかったのだ。
八幡の態度で見習うべきはただ一点。
自分の手持ちカードを認識し、自己を肯定する。
虚勢でも偽物でも、それでも自己を肯定する。
肯定とはこのままでいいと諦めることではない。
それはどんなにクソカードしか持たなくても、
自分の意思でカードを切るという事だ。
この作品はぼっち側とリア充側の両端の視点から
見ることも可能な懐の広さをもっている。
八幡から見れば葉山はウザいし、
葉山から見て八幡ウザいとも感じる事が出来る。
人は自分に無いものは表現できない。
つまり両方の立場を描写出来る作者は、
ぼっちを卒業できた人なのだと思う。
その作者からこめられたメッセージは
けして「ぼっちのままでもいい」ではない。
「お前らアニメばかり見てんじゃねえ」であり
「人と関わる事を恐れるな」である。
これは多分間違ってないと思う。多分ね。
この作品に学生で出会えた人、本当に羨ましい。
アニメみてやり直したいと思ったのは初めてだ。
八幡の言葉は気持ちいいだろうが真似しちゃダメ。
他人を拒絶して孤立してしまう事と、
自ら孤独を選ぶという事は決して同じではない。
1期か2期か忘れたけど、私がこの作品で好きな言葉
「それしか選びようが無かったものを選んでも
それを自分の選択とは言わないだろ」
間違っていいんだ。
大事なのは自分で決断すること。
もし見返す機会があるなら、
雪乃や結衣、葉山視点で見て欲しい。
ビックリするくらい印象が変わるはず。
スカッとする話にはなりませんけどね…。
オープニング、エンディングまでも素晴らしい。
実写化しないかな…。
一般人にも見て欲しいテーマ。
アニメ史に名を残すとてつもない怪作にして傑作。
1番間違ってるのはタイトルだった。