薄雪草 さんの感想・評価
4.7
物語 : 5.0
作画 : 5.0
声優 : 4.5
音楽 : 5.0
キャラ : 4.0
状態:観終わった
あのころは、それくらい。
序。
{netabare}
初めてのキスは、常永遠のとばり。
この人の大丈夫になりたい。そんなトリガーを引かせるんだもの。
この人を大丈夫にできない。そんなハンマーを打ちつけるんだもの。
恋する心は、四季折々の初露。
ときに、自己愛の強欲な発露、自分かわいさへの貪欲な執着心です。
ときに、利他愛の無償の迷路、マスターキーを得たいとする聖なる祈りです。
縦を通せていた自分を、横に置かなければならないのが、恋のいざないです。
しかも、思春期の入り口にみられるジェンダー(社会的規範における性差)とセクシャリティー(生物学的性差)という二つのシナリオを同時に読ませるのです。
ステージの上の初心者たちは、難しい演出に戸惑いながら、終幕をめざして演じるのです。
恋のシナリオは、性と生の一致を求めようとします。
それは、螺旋するDNAを分かちがたく結びつけようとします。
それは、無窮の宇宙ですれ違う銀河の腕からこぼれた星のひと粒です。
初めのうちは何気ないニアミスだったのに、万が一の事態となれば、目も当てられない勢いでスパークします。
それが痛みに感じないなんてことはありえません。
いったんそのフェーズに入ってしまったら無視するなんて不可能です。
すでに制御不能なレベルになってしまっていることに八方塞がりです。
いくたびも焦がされ、時には燃えきって消滅してしまうこともあります。
でも・・・。
奇跡のようなタイミングで邂逅し、みずみずしい未来につながるときもあります。
そんな少年と少女らが見せる恋の入り口での繊細な心象を、秒速5センチメートルというシチュエーションで表現したのが本作品です。
初めてのキスは、惹きあう二人の気持ちを、秒速から光速へと一気に引き上げ、瞬時に引き剥がしてしまったようです。
手紙の通底にふれあう前に、いきなり大人の世界に飛び込んでしまった二人です。
キスの証をシェアしあえない距離に、不安と怖気が先に立ってしまったのは無理からぬことです。
それに、本心を手紙にしたためていたのなら、メールを交わさなかったのもやむを得ないことでしょう。
もしも、ともに歩む時間を、あといくらかでも持ちあえていたら、選択も結果も違っていたかもしれません。
そう、思いを馳せています。
かようなまでの恋心の離叛を、何ゆえに新海氏は、再び描いたのでしょう。
どうして穏やかな二人の魂を、すさぶ外界へと押しやり、あまつさえ隔てさせたのでしょう。
もしかしたら、ピカソが「青の時代」をくぐったように、新海氏にも「秒速5センチメートル」を必然とする心情がおありだったのかも知れません。
{/netabare}
~ ~ ~
rough。
{netabare}
桜の花びらが舞うシーンは、思春期への入り口。
思わしさをそっと心にすべり込ませるプロローグです。
初めてのキスは、心のむすびめと体のつなぎめ。
解きようのない問いを質し続けるボーダーラインです。
踏切の佇まいは、夢の渇きを序に置きかえる予兆。
自己耽美からの解放に胸を撫で下ろすエピローグです。
{/netabare}
~ ~ ~
願い。
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その面影に狂おしいほどに焦がされるのは、恋だからこそ。
跳ねまわる心の諫めように涙を涸らすのも、恋すればこそ。
耐え忍ぶ夜に真実(みち)を見いだすのも、恋なればこそ。
すべての選択肢が揃っているのも、恋ゆえにこそ。
ですから・・・
三つの短編の、ただのひと言も聞き逃さないでほしいのです。
四人のわずかな息づかいの一つにも耳を聳ててほしいのです。
どうか、からだを伏せませんように。
どうぞ、こころが折れませんように。
{/netabare}
~ ~ ~
それくらい ①
{netabare}
なんだか楽しげでいられたとき。
図書室の窓枠に凪ぐカーテンのささやく声は、それくらい。
踏切のうしろの君と、私とのわずかな差なんて、それくらい。
どんなにか待ちわびていたとき。
空っぽの郵便受けの扉にも、明日はきっとと祈るので、それくらい。
立つ湯気になぜか心は落ちるから、つのる望みも、それくらい。
恋しさをごまかしきれないとき。
かしこまる言葉づかいを演じても、お見通しだね。それくらい。
キスのあと無邪気もがまんできなくて、抱きしめていい? それくらい。
愛しさの行く末に震えたとき。
あてどなく温む毛布の湿りけは、だれの吐息か、それくらい。
うつし世につばくむ恋のかなしさよ。なぜ君なのと、それくらい。
{/netabare}
~ ~ ~
それくらい ②
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夏よりは近くに聞こえてくるひぐらしの声。
オフショアに立ちあがる波と私との息が合うなら、それくらい。
シールドを叩きつける雨粒が、止めどもなく不安を掻き立てる。
だからってカブの背中にはしっかり付いていきたいからメーターの誤差は、それくらい。
大気を震わせる轟音が、心臓の鼓動を一瞬、奪い取っていく。
蒼天をキャンバスとして往く一閃を、瞳に映せば、それくらい。
眩しすぎた 液晶の灯り。
寡黙すぎた 星の瞬き。
初めから気づいていた。
分かっていた。それくらい・・・。
誰もが、コスモナウトに選ばれるわけじゃない。
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それくらい ③
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あなたに届くようにと願った営みは、きっと千回を超えていると思います。
でも、指一本分の隔たりが、大きすぎる抜け殻に育ってしまったのです。
だから・・・。
携帯の指先の困りようは、いつからか、それくらいです。
携帯に触れたがる疼きようは、いつまでたっても、それくらいです。
{/netabare}
~ ~ ~
それくらい ④
{netabare}
桜葉の賑やかな季節は、どんなに待ってもやってこない。
踏み出せず。
踏み越せず。
一歩めの気持ちはいつだって "秒速5センチメートル"
置き去りにしたまま手放せなくて。
見切れないままに降りられなくて。
戸惑いに手を焼きながら、境界に永くまごついていた。
僕という人間が、僕という存在に、赦罪を与えるための膨大な時間。
本心を蒙昧と扱った僕が、君への真心を憚った罪を、あがなうための遠大な途のり。
逡巡に費やしたエネルギーを、もう一度入れ直すなら、それくらい。
不実を断ち、利他愛の豊穣に満たされるまでは、それくらい。
{/netabare}
~ ~ ~
結。
{netabare}
思春期の淡いつまづきをモチーフにして、すれ違う仄かな切なさを、前作とは比べられないほどにリアルに寄せて描いた作品です。
高樹と明里は、二人きりの世界に内向することにシンパシーを感じています。
同時に、情緒的に深く結ばれ、精神的に愛着しあう間柄として表現されています。
ところが、現実の振る舞いは強大で、その圧力を世界からの拒絶として、中1の高樹は受け止めてしまいます。
その決心が頑ななバリアを築き、明里と交わした約束さえも、幻影のお作法の中に押し込めてしまいます。
その後の高樹は、愛着そのものにふたを被せ、春のめぐりにも気づこうとしません。
澄田花苗にも水野理紗にも、真冬の凍りの空気をまとい、ただ遠くを見つめるばかり。
愛することも、愛されることも拒み、あたかも世界は自分を愛さない、自分は愛されない存在として、自縛を強め、心の潤いを涸らしてしまったかのようです。
初めてのキスは、内向していた2人のセカイをガラリと変革させるほどのトリガーを強く引かせたと思うのですが、同時に、外の世界に立ち向かう高樹の決意を打ち砕くハンマーにもなってしまったのですね。
そんな彼の心は、明里への思慕の想いを上回る焦燥に炙られ、深いトラウマを抱えてしまった埋み火と言えるのかもしれません。
もう一度火を熾すには、利己愛に偏ってでもそれを希求する先鋭がまず先に立ち、ついで利他愛の不足に畏縮する反動にも向きあい続けるという、アンバランスな煉獄に身を置かなければならなかったでしょう。
恋のターニングポイントの瞬間がナーバスなものになってしまうと、芽吹きにも、あるいは落葉にすら気づかないほどの強いバイアスをかけてしまうことだってあるかもしれません。
そうなれば、星を追うことも、雨情に泣くこともなく、ムスビという神契も忘れ、晴れ間にだって無関心になってしまいそうです。
高樹は、明里の言葉を二重に縒り合わせてしまったのだと思います。
「秒速5センチなんだって。桜の花の落ちるスピード。」
その物理的な速度は、彼の身体を心ごと、閉じられた踏切に括りつけてしまったのだと。
「高樹君はきっとこの先も大丈夫だと思う。ぜったい。」
その背中を押す励ましは、彼の心を身体ごと、迎えることのない春に縛りつけたのだと。
高樹の心は、明里の言葉に回帰するまでに15年を要しました。
それは、踏切に断ち切られた12歳の心が、渡り終えた身体に追いつくための、どうしても必要なプロセスだったのかもしれません。
彼のこころ根は、とても誠実で、そして愚直です。
岩舟駅の根雪は、待ちわびていた春の色を、白日夢の幻影に埋もれさせてしまいました。
種子島の南風は、弓引く想いを舞い上がらせ、無窮の狭間へと運びさってしまいました。
でも、東京での暮らしは、幻にばかり生きてきた渇きの兆しを少しずつ受け入れていきます。
ですから、私は、高樹の微笑みがとても嬉しいのです。
「あのころは、それくらい・・・。」
彼がそう思えるのなら、花びらも、違う速さで舞いはじめると信じたいのです。
P.S
{netabare} Tulipの "サボテンの花" 、聴きたくなります。 {/netabare}
{/netabare}