薄雪草 さんの感想・評価
3.9
物語 : 4.5
作画 : 3.0
声優 : 4.5
音楽 : 3.5
キャラ : 4.0
状態:観終わった
アレゴリカル・ファニー
ちょっと風変わり(ファニー)で、寓喩(アレゴリー)を匂わせるようなお話でした。
"つんつんさん" と "ねんねちゃん" 。
露命を見つめ合った2人の旅路です。
そして
「なんなんだろう?」
そう問いかけるOPがありました。
それを知りたい。
そう思いました。
~ ~ ~ ~ ~
森の神様は、なまじに名前と、勤倹を流儀として供与し
小さなソマリは、底なしの願いを放出しつづけます。
手八丁の上手を行く口八丁な振る舞いの果てに
松の葉ほどの安居がかまびすしい喧騒に綾どられ
いつしか生への嘱望が、お作法の因由となりました。
ファニーな二人が通いあわせた "何か"は
日々の架け橋が切り結んだものです。
その "何か" は血よりも濃いのかもしれません。
「なんなんだろう」。
この不確かな感覚の動因は。
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誰にとっても、命や時間は、平等?
それとも不平等?
客観でみると、平等に感じられます。
主観でみたら、不平等に思われます。
立つ位置によって、
逆もまた、真なり。なのかもしれません。
「なんなんだろう」。このアレゴリーが訴えるものは。
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ゴーレムのポリシーは、頑なに閉じられています。
変えてはならないという摂理を背負っているのでしょうか。
「かくあるように、かくあれかし。」
(そうであるように、そうであってほしいと願いたいものだ。)
ならば "森の神様" にも知り得ない「かくあるもの」があるとしたらどうでしょう。
森のそとの「かくあるもの」。
きっと、意外なもの。
そして、望外のこと。
無知で、強がりで、あえかで、泣き虫で、可愛らしい。
ソマリはいつだって天真爛漫さを "森の神様" に見せてくれます。
その先に芽生えてくるものは「なんなんだろう」。
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"神様" は気づいているのでしょうか。
中立の立場で座していては守れないものがあると。
傍観するだけでいいような命は一つもないのだと。
幼弱なはずのソマリの存在が、
新しい知識と
新しい実相と
新しい判断を、彼に与えていく。
"神様たる" 彼の信ずる「森のなかの摂理」。
不要不及であるはずの「森のそとのカオス」。
それぞれの『聖と俗』が融合されていくのです。
昨日と今日と明日しか分からない悪戯(いたずら)っ子ソマリ。
そんな少女が、幸せを探すことの意味を教えてくれます。
探すこと自体に、幸せがあることを気付かせてくれます。
いったい「なんなんだろう」。気づきのはたらきというのは。
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価値観の違う人がいます。
捉え方が違う人がいます。
受け付けない人がいます。
変えられない人がいます。
出口も入口も探し出せなくて生きづらいときがあります。
そんな場面にも思いを寄せられたらどんなにいいでしょう。
一歩近くに立てること。
二歩一緒に歩くこと。
その関係性のなかに、共存する手段を見いだせるのかもしれません。
「なんなんだろう」。サスティナビリティの先に見えてくるものは。
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宗教の本質は魂の救済にあります。
生者でも死者でも、それぞれのアニマを捉えると同じに見えてきます。
ですから、血肉があるとか、ゴーレムだとか、それは見かけ上のささやかな違いにしか思えません。
日本人は、針一本にも供養を施すような宗教的文化性を有しているのですから。
「なんなんだろう」。
アニマに付与される宗教的価値観に馴染んでいる私たちは。
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見逃してはいけない、忘れてはいけないものがあります。
容姿、生い立ち、文化性に囚われず、どの立場にもコミュニケーションが成り立つことです。
心的に同列としてシンパシーを持てること。
時間を同軸にしてエンパシーを熟せること。
行動を同胞として、ともに温め合っていけること。
「なんなんだろう」。
共存しあえる何かをコミュニケーションに見いだせるなら、得られるものは「なんなんだろう」。
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なんなんだろう。
持たざるソマリの、豊穣なる未来と
持ち得るゴーレムの、千古たる摂理に
埋めあわされていくものは、なんなんだろう。
私たちは、みな等しく水平気動に存在する命。
なのに、なんなんだろう。
私たちの『今の世界は』。