waon.n さんの感想・評価
3.9
物語 : 5.0
作画 : 4.0
声優 : 4.0
音楽 : 3.0
キャラ : 3.5
状態:観終わった
(まだメモ代わりまだ途中)叶うのなら、もう一度
原作を読んで、メアリーシェリーの『フランケンシュタイン』を読んで、スターリングとギブソンの共著『ディファレンスエンジン』も読んだうえで再視聴しました。
屍者の帝国は共作という形に残念ながらなってしまったのですが、ディファレンスエンジンもスターリングとギブソンの共作なのでちょっと運命を感じる部分でもある。ディファレンスエンジンの上巻解説を二人で書いているあたり実は最初からこの作品は二人で書くつもりだったんじゃないかと邪推してしまうのは軽いファンとしては仕方ない事だろう。
メアリーシェリーの『フランケンシュタイン』ではこの作品『屍者の帝国』の前日譚のように読めてしまうほど、また今作品のの主人公とフランケンシュタインが重なって見えてしまったりもした。どちらの作品においても年代は重なってないので、この主人公が、フランケンシュタインと同一であることはありえない。
本作品を観た人ならわかっているだろうし、フランケンシュタインの作品を読んだことがある人は分かっているだろうが、一応補足すると、フランケンシュタインは怪物作り出した人間で、怪物ではない。私自身あの怪物の名前がフランケンシュタインという名前だと勘違いしていたので一応ね。
スチームバンクの世界観。蒸気と電気の両方が扱われている時代。
チャールズバベッジが世界最高の解析機関として存在する。
このチャールズバベッジは現実なら実在の人物でコンピューターの父と言われている。そんでもってディファレンスエンジンにも登場する人物である。今作品ではフィクションで誕生した人物や、実際にいた人物を採用し採リアルとフィクションの混同を恣意的に行っているように感じられる。
主人公のワトソンは『シャーロックホームズ』。ハダリーは『未来のイヴ』で登場する。他にもニコライとアレクセイはロシア繋がりだろうか『カラマーゾフの兄弟』だし、ザ・ワンは『フランケンシュタイン』の怪物だ。
調べて知ったところだと、フライデーは『ロビンソン・クルーソー漂流記』に登場する。Mはシャーロック・ホームズの兄でマイクロフト・ホームズらしい。
そして、調べて分かった事だけれどフレデリック・ギュスターヴ・バーナビーと山澤清吾は実在の人物。
原作の屍者の帝国ではもっと多くの登場人物がフィクションで聞いたことのある名前だったりする。ヘルシングとかね。この辺りは物語を楽しむうえで知っておくとより面白く感じるポイントになるだろう。
この作品(原作とアニメ両方)のすごいところは、屍者技術というSFのマクガフィンとスチームバンクを掛け合わせるという着想のすごさと難しさを見事にクリアしてくれた点にある。
パンチカードがパラパラと飛び出して、それを読み解こうとする描写なんかもうディファレンスエンジンのそれ。頸椎に直接デバイスをぶち込みプログラミングを施し、そのなかで生命を求める。これは一見矛盾した行動だったりするのだが、突き詰めると、完璧なAIと人間を間違えることなく認識できるのかとなるので実は同じことなのかもしれない。ただ、そこには大きな壁があってそれを壊すのは容易ではない。
屍者技術によって見せたいものは何なのか考えてみた。
魂はあるのか。
屍者の帝国「思考は言葉に先行する」
虐殺器官「思考は言葉によって規定されない」こに対しそんなことはないと言ってるのが虐殺器官という作品だったりする。
例えば感情というのは思考ではない。それを表現するのが思考であり、この感情は嬉しいなのか、悲しいなのか考えた時に頭の中でその言葉が同時に浮かぶはずです。これが思考と言葉の関係。思考は言葉に規定されないとは虐殺器官での言葉なんですが、事実は違いますね。新しい言葉を覚えて新しい考えが思いつくんです。楽しいという言葉を覚えないとその感情は表現(説明)できないので思考に到達しないんです。
話がそれましたがまぁそんな感じかな(戯言感)。
んで、この二つの言葉の間にある部分がこの物語でいう魂なんじゃないかと勝手に思っている。
思っていることを上手く言葉にできなかった経験は誰もが持っていると思います。私は人付き合いとか苦手なタイプだったりするので経験は豊富な方だったりする。なんで上手く言葉にできないかっていうのは感情と思考があって言葉があるからなんじゃ…とか考えちゃうんです。
この物語でハダリーは感情というノイズを排除された。だから同じく魂のありかを求め、手記を求めるワトソンを手伝う。屍者に魂が宿れば、自分にも宿るのではないかと。
ちなみにハダリーは最後アドラーという名前を名乗るんだけれど、これはシャーロックホームズに出てくる女性の名前と同じだったりする。
機械は思考できるかを問うた人がいる。ディファレンスエンジンに出てくるその名をエイダ・バイロンという、調べるならエイダ・ラブレスとすると良いだろう。エイダは思考はできないと考えていたらしい。
これは今日のAIに繋がる考えであり、思考ができるかどうかで人間と機械を識別しようとした、アランチューニングの有名なチューニングテストなんかがこれですな。因みに未だにできていないらしい。らしい。
少し話を戻します。解析機関とは聞き慣れた単語にするとプログラミングである。
屍者技術はつまるところプログラミングによって死体を動かすという事なので思考は無く魂も存在しない。
しかし、この物語では唯一の成功例としてザ・ワンが存在する。その為にワトソンは友人の言葉の続きを求め続けるのだ。
これによって見えてくるのは屍者技術というデバイスを物語の核に置くことで、生と死、魂と思考と感情(記憶)。
原作とアニメでは尺の関係でかなり違う構成になっているが、この点はしっかりとおさえられているのではないだろうか。
「叶うなら、フライデーもう一度、君に」
この二人が円城さんと伊藤さんにダブっ感じられたのは私だけだろうか。