雀犬 さんの感想・評価
4.4
物語 : 4.0
作画 : 5.0
声優 : 4.5
音楽 : 4.5
キャラ : 4.0
状態:観終わった
自分の意思で人生を選び取ること
再放送での視聴。実は僕は冬アニメよりも「翠星のガルガンティア」を毎週楽しみにしていた。キャラクターデザインも音楽も好みだったし、支援AI「チェインバー」をかけがえのない相棒として演じた杉田智和の演技は素晴らしかった。
異文化交流と言われる作品だけども、決して穏当な関わり合いではなく、交流という言葉よりは衝突の方が適切かもしれない。「翠星のガルガンティア」は未開の文明と進み過ぎた文明が衝突することで、双方がそれまで盲目的に信じ込んでいた前提が互いに揺らぎ、物語が急転していく。
主人公のレドは殲滅兵器「マシンキャリバー」のパイロットであり、人類の敵であるヒディアーズの殲滅にしか生きる意味を見出せない孤独な兵士だった。そんな彼は、戦闘中の事故により見知らぬ水の惑星、地球へと辿り着く。異星で暮らし始めたばかりのレドは牧歌的な暮らしを送るガルガンティアの人々を非効率的で理解できないと切り捨てた。
しかしのちに彼は、ヒディアーズの真実を知ることになり、自らの存在理由そのものを揺らがされる。悩んだ末に彼は軍規に縛られていた心を解放し、自分の感情に身を委ねて行動を始める。
「僕はね、人は自らの意思に基づいて行動した時のみ価値を持つと思っている。」
これは「PSYCHO-PASS」の槙島聖護の言葉である。あるいは「Fate Zero」でナタリアは切嗣に向けてこう語る。
「"何をしたいか"を考えずに、"何をすべきか"だけで動くようになったらね、そんなのはただの機械、ただの現象だ。」
「自分の意思で人生を考えて引き受けること」これは虚淵さんが以前の作品でも描いてきた大切なテーマである。しかし引用したように、過去作では表社会で生きられぬ人間の口から語られる言葉であり、冷たい肌触りを感じるものであった。それが本作では、レドの「第二の故郷でお世話になった人々を救いたい」という思いに突き動かされ、かつての上官に反旗を翻すという熱い行動で表現されている。この違いはかなり興味深い。
いっぽう見方を変えれば、船団という小さく閉ざされたコミュニティで生きていた地球の人々もまた異星からの来訪者と接触することで変化を避けられなかった。彼らは外敵に対して脆弱であり、人口知能に支配されてしまった船団の惨状からは、大きく強いものに縋りがちな人間の性が垣間見える。
物語の序盤、ガルガンティアの船団は、侵略しようとする海賊たちを抹殺したレドを責め立てた。しかし、最終話で新しい船団長となったリジットは自衛のために大量破壊兵器を使用する道を選ぶ。これを進歩として肯定的に描いているのが非常に印象的だった。
「翠星のガルガンティア」は、未開の文明と進み過ぎた文明がぶつかり合い、互いに傷つきながらもそれぞれ前進と後退を選び取り、進んでいく物語とだったといえる。風に煽られながらバランスを取るサーフカイトのように。