たわし(爆豪) さんの感想・評価
3.9
物語 : 4.0
作画 : 4.0
声優 : 3.0
音楽 : 4.5
キャラ : 4.0
状態:観終わった
「主知主義」か「主意主義」か
今回でこのサイバーパンクSFシリーズである「サイコパス」は終わるのでしょうか?
一応、最終回と考えてみてもおかしくはないようになっています。
前半から中盤にかけてのテロリストの対決は正直、制作会社であるプロダクションIGの以前の作品(「攻殻機動隊」や「機動警察パトレイバー」)から比べるとかなり安っぽく底が浅いです。警察機関のネットワークセキュリティもガバガバだし、設定にもかなり無理がありますので、アクションや頭脳戦を期待していると肩透かしを喰らいます。
しかし、後半からラストにかけてのこのシリーズの根幹である人工知能型都市制御装置「シビュラシステム」(「シビュラ」とはギリシャ神話における神から神託を承る巫女の名前)が、この超管理下社会においてどのような「意義」があるのかを問い、それに決着をつけたことが素晴らしかったです。
ヨーロッパの哲学史では、世に云う「悪」を制御するための装置(システム)として「法律」が存在し、それは常に国家の国民全員を平等と捉える「憲法」に基づいて是正されます。
これは、人が「法律」や「規則」がないと、たちまち社会に格差や貧困が起こりカオス状態に陥ってしまうという「性悪説」からできたものであり、「目には目を歯には歯を」と言うとおり、人間の行いを「戒め」たり「制限」するものだと思います。このようなある種の「システムによって人間の行動を制限し、規則正しいものにする。」考え方を「主知主義」と言います。
それに対して、人間自身の行いによって、社会を包摂し、管理し、自立する。あくまでも「個人」の「意思」や「行動」に任せることを「主意主義」と言います。
この「主意主義」では前提条件が必要であり、それは自ら社会を良くしようと思う建設的な人間社会が基盤となっていることであり、人間が善意で社会を動かす「性善説」から来ているのです。
さて、よく議論されるのが人間は本来「性悪」か、「性善」かという問題です。
誰しもが、「性悪」であると思っているからこそ、この現在の社会には「法律」や「規則」が存在します。この行き着く先は、誰もが平等に分け隔てなく裁かれ、管理される社会。つまりは「シビュラシステム」です。
しかし、物語後半である人物がその完璧で公正なシステムであり「決断」を下す「シビュラシステム」に対して、ある「判断」を下します。それはつまり、最後の最後に良いか悪いかを決めるのはあくまで「人間の意思」である。というものです。
そのことによって、あたかも完全無欠である「シビュラシステム」がただの「判断材料」として機能でしかないということが解ったのです。そう、社会を決めるのは常に自分自身、「あなた」自身であるということです。
もし人が、全ての人間が「より良き」人間であるならば、この世の中には「法律」も「規則」も「罰則」も「システム」でさえ必要ないのです。そんなものがなくても社会は回る。そうそれこそが本当の「理想の社会」の姿なのかもしれません。
システムこそが、人間を制御し規則正しいものにする「主知主義」と、そうではなくて、人間の「正しい意思」が社会を創る「主意主義」。
あなたはどんな社会を夢見ますか?