かがみ さんの感想・評価
4.5
物語 : 4.5
作画 : 4.5
声優 : 4.5
音楽 : 4.5
キャラ : 4.5
状態:観終わった
正義と悪の記述法
本作の聖杯戦争はある意味で「大きな物語」の失墜したポストモダンにおける決断主義的現実の縮図である。
伝統的な魔術師社会の人間である遠坂時臣やケイネス・エルメロイはいわば「大きな物語」を素朴に信奉する旧来型の思考の持ち主である。
他方で、間桐雁夜は「大きな物語」の失墜を女性性で補填しようとしたセカイ系的メンタリティの持ち主であり、逆に雨生龍之介は逆に「大きな物語」の失墜した決断主義的現実そのものを自己目的化した存在である。
そして、ウェイバー・ベルベットは最初は「大きな物語」に幼児的に反発するだけであったが、イスカンダルに導かれる形で次第に自分なりの物語を見出していく。
こうした中で、不可能な理想と決断主義的現実の中で引き裂かれていたのが衛宮切嗣である。切嗣の決断主義的な「正義」は不可能な理想の位置にいわば聖杯を代入することで支えられていた。ゆえに聖杯の正体が明らかになった時、必然的に切嗣の「正義」は瓦解するしかなかった。
これに対して、決断主義的現実の中に「愉悦」という名の特異点を見出したのが言峰綺礼であったと言える。果たして、聖杯は「愉悦」の在り処を示し、言峰の「悪」を記述した。そして、こうした言峰の「悪」こそが、後に衛宮士郎の「正義」を記述する。まさしく正義の味方には倒すべき悪が必要なのである。