画王 さんの感想・評価
4.7
物語 : 4.5
作画 : 4.5
声優 : 4.5
音楽 : 5.0
キャラ : 5.0
状態:観終わった
モチーフはチャイコフスキーの交響曲!?
主人公の久美子が大人の階段を上り始め、その視点でストーリーが進むので、第1期とは異なりシリアスな展開です。癒し回である文化祭のコスプレシーンも、制作者の悪意あるオチにガッカリしてAパートのみで終了します(メイド麗奈を期待していた僕がバカでした、が、夏紀先輩の悩殺サービスでお腹いっぱいになりました)。鬱展開が気になって夜も眠れそうにないので、休日返上で完走しました(完結していてよかったです)。
ここでは、第1話において久美子がビデオで視ていた、清良女子の演目チャイコフスキーの交響曲第4番を聴きながら、あらすじを振り返ってみたいと思います。作曲家本人が曲想を解説したメック夫人宛ての手紙を参考にしているのでググって下さい。(ムラヴィンスキーのチャイコ交響曲は緊迫感と迫力があり、品揃えのいい図書館なら置いてあるのでお奨めです。)
第一楽章は交響曲の主題が提示されるソナタで、アニメでは1~5話にあたります。交響曲全体を覆う曲想は「幸福の追求は目的を貫くことを妨げる、それは変えることのできない運命である」。ソナタの第1主題は「運命への服従」。第2主題は「絶望からの逃避(幸福の追求)」。チャイコは、幸福とは絶望からの逃避にすぎない甘い夢であると規定し、絶望から逃避したり、闇雲に幸福を望むことを批判しています(その理由は第二楽章でわかります)。この楽想を主題の旋律を共に奏でる、希美(フルート)とみぞれ(オーボエ)に当てはめてみます。
コンクール金賞に拘る(幸福の追求)希美は、やる気のない吹奏楽部に嫌気がさして退部し(絶望からの逃避)、みぞれと吹奏楽を続ける(目的)ことができなくなり、不幸な運命に服従してしまいます。一方で希美に拒絶されることを怖れるみぞれは、希美から逃避し(絶望からの逃避)、希美のために演奏する(目的)ことができないという辛い運命に服従します。この2人の運命を克服したのは、南中カルテット(夏紀・優子・みぞれ・希美)の友情パワーでした。
この運命に対して見ているだけで何もできなかった久美子は、後(10話)にあすか先輩にそのことを揶揄されます。しかし、希美やみぞれと友達になれない久美子(後輩だから)には、そもそも2人の運命に立ち入ることは許されません。人間関係にはいくら親しくても超えてはいけない一線があります。あすか先輩は劇中で、人間関係に対して無頓着な発言を繰り返しています。優しいあすか先輩は、一線を平然と超えてくる毒親を、育ててくれた親であるがゆえに完全に否定することができないため、自分も人との距離を掴むことが苦手なのでしょう。この点で麗奈は冷静です。「部活なんて親が決めるもんじゃないし、受験だって進路だって、最終的には自分で決めるものなのにね。」「あすか先輩次第だよ。相手は親だし、周りが下手に口を挟んだらこじれるだけ」(by麗奈)
それにしても、5話の関西大会で三日月の舞を一曲通して聴かせる劇中コンサートは最高です。管楽器のピストンが戻る質感や打楽器の鳴動、曲に合わせた絶妙のカメラワークで盛り上がります。最終回の前にこれを使ってしまっていいのかと不思議に感じました。
第二楽章は第一楽章で提示された運命を、別の面から表現する三部形式の音楽で、6~10話にあたります。楽想は「夜半に独り家に座っている時に取りつかれる憂鬱な気分」です。「過ぎ去ってしまった過去を嘆いていると、それを思い出として愛おしく感じることもある。しかし疲れ果て、新しい生き方を始めるだけの勇気も意志もない」というやるせない感情を「暗-明-暗'」の三部構成で演奏します。貧しい芸術家でしかなかったチャイコの周りには、幸福だけを追い求めた結果、このような人生を送っていた知人が沢山いたのでしょう。この楽想を2人のお姉様、麻美子姉とあすか先輩に当てはめてみます。
麻美子姉は、親の期待(幸福の追求)に応えるために、吹奏楽と美容師の夢(目的)を捨てました。そのことを後悔し、情熱を傾けていた夢を思い出すことも嫌になるほどに懐かしみ、どうしていいか分からなくなって両親や久美子に辛く当たります。久美子は自分の憧れだった姉とのギャップにとまどい悩みますが、嫌いになれないまま知恵熱を出して寝込みますw。この運命を切り開いたのは麻美子姉と久美子の姉妹愛です。久美子の自分に対する想いを知った麻美子姉は、憧れの対象だった昔の自分を思い出し、新たな人生を始めることでそれを取り戻す決意をします。そのために、両親と真剣に向き合い、自分の枷となっている一方的な愛を振り払うことで、家を出て独立します。一方で、憧れの対象が遠くに行ってしまったことを実感した久美子は、人前を憚らず涙するほどの喪失感に襲われます。
あすか先輩も同様に、親の期待に応えるために吹奏楽を捨てなければならない状況に追い込まれます。そして天才であるあすか先輩は、それが後悔を生むことを知っています(希美の退部を止めようとた)。しかし同時に、全国大会に出場するという執念のために、希美を切り捨て、仲間を利用してきた自分を許せず、吹奏楽部に復帰する道義を見失っています。これが復帰を待ち望むみんなの気持ちを、素直に受け入れることができない理由です。つまり、全国大会で父親に自分の演奏を聴いて欲しいという執念(幸福の追求)のために、吹奏楽部を続けること(目的)ができなくなってしまったのです。そして自分の本音を懺悔しなければならないほど後悔し、幼少から続けてきたユーフォを懐かしみながらも、執念の原因となった父親の独奏曲をコテンパンにして欲しいほどの衝動にかられます。あすか先輩が懺悔の対象に久美子を選んだのは、彼女がユーフォっぽい(縁の下の力持ち)からですが、自己主張が少なく、相手の話を聞いて支えてくれる妹属性の性格のことを言っているのでしょう。姉に八つ当たりされ、先輩に深刻な打ち明け話を聞かされる久美子はいい迷惑ですw。頭をなでなでして慰めてあげたいほど妹っぽいキャラです。
この絶対絶命の運命を打ち砕いたのは、久美子の愛(憧れ)です。すべてを悟っているラスボスあすか先輩には、言葉による理論武装は全く役に立ちません。しかし久美子は既に、麻美子姉から妹属性最大の奥義を授かっています。人前を憚らずに流すことができる求愛の涙です。自分の想いを伝えるための涙に、同情や欺瞞の入り込む余地はありません。この涙の真実に気づけない天才はいません。あすか先輩は自分が求められていることを知ることで救われ、吹奏楽部に復帰する決心ができました。ここであすか先輩の法律家っぽい高潔な心をくみ取れずに、毒親を模試の成績で説得した予定調和のお話として捉えると、このドラマは途端に陳腐化しくだらないものになります。違法性はないなどと嘯き、権力に固執する醜悪な人間に、あすか先輩の高潔さを見習ってほしいものです(法の解釈を弄ぶ法律家によって、社会の良識なんてなくなってしまいました)。第2期のあすか先輩編は、某監督による筋立ての手法が色濃く出でいて、青春よりも人間ドラマの色彩が強いです。
話は少し変わりますが、チャイコには自殺未遂というキツいエピソードがあります。チャイコの才能と名声に憧れる教え子に執拗に求愛され、長く続かないことを予感しながらも結婚するのですが、お互いを理解することもできないまま罵り合いになり、憂鬱な結婚生活に絶望して入水自殺を図りました。チャイコにはこの教え子の盲目的な愛もまた、闇雲な幸福の追求と映ったことでしょう。家族に対する盲目的な愛(幸福の追求)は、家族の絆を深めること(目的)を阻害するということでしょうか。麻美子姉の両親、そしてあすかママの家族観に少し似ていませんか?
第三楽章はフィナーレへの助走となるスケルツォで、11~13話にあたります。11話の時点で第四楽章フィナーレまでの話数が足りないと思ったのですが、おそらく第2期の企画段階で最後は映画で締めることが決まっていたのでしょう。最後の盛り上がりがイマイチなのはそのためだと思います。さて、第三楽章の楽想ですが「これといってはっきりした感情は表現していません」。よって11~13話は、特定の人物に焦点を当てたドラマにはなっていません。久美子や麗奈のキャラ付けに利用されてきた伏線を回収して、テレビシリーズを完結するための番外編のような感じになります。
11話で久美子と麗奈の関係に波乱の予感がしましたが、無敵のエース麗奈はただではコケません。麗奈に自分の弱さを語らせた上で、あの告白に結び付ける演出は見応えがありました。チャイコの失敗エピソードを知っているであろう滝先生には、返答を上手くはぐらかされてしまいましたが・・・。ですが麗奈が特別になりたいという目的を忘れずに音楽を続けていけば、幸福は自ずと訪れ、いつか想いが通じるかもしれませんね。久美子もまた、麻美子姉とあすか先輩に自分の愛を告白することでシスコンを克服し、妹キャラから脱皮します。あすか先輩に姉を重ねていた久美子は、姉妹愛に似た憧れによってあすか先輩の気持ちを揺さぶり、理屈では剥がせない天才の鉄仮面を粉砕しました。あすか先輩がラストで見せた「またね」の笑顔は、京〇ニ作品の神髄です。
清良女子の交響曲のおかげで、通常の3倍くらい妄想を楽しむことができました。ヘ短調のような重い雰囲気が漂うアニメも、見方によっては熱中できます。来週は誓いのフィナーレを視聴します。