鰺鱒 さんの感想・評価
3.9
物語 : 3.0
作画 : 4.5
声優 : 4.5
音楽 : 4.5
キャラ : 3.0
状態:観終わった
いくさ場におさなご二人
[2020/03/13 v1 いくさ場におさなご二人]
原作知らず。
テレビ放送版の続きにあたる劇場版。そのため、テレビ版は視聴されてから本作に取り掛かったほうが良いと思います。
テレビ版でターニャが撃墜(と、いう表現にしておきます。航空機じゃないんですけど)したアンソン・スーの娘、メアリー・スーとターニャの激突。神を自称する存在Xの代理人たるメアリーと、無信仰合理主義の権化ターニャの闘いです。
テレビ版がお好きな方なら、おそらくその多くは満足されるだろう一作です。絵柄、世界観はテレビ版を踏襲していますし、アクションは派手。音楽・音響もさすがの劇場版という感じです。ちょっといい音環境での視聴をお勧めします。魔導の心地よい低音が臨場感を与えてくれると思います。
―― いくさ場におさなご二人 ――
{netabare}
僕としては、いうほど楽しくありませんでした。テレビ放送版のほうが楽しめました。
おさなごの片方は、相変わらずのターニャさんなので楽しいのですけどね。
もう一方の(なかみ)おさなご、メアリーが・・・・
― 「頑張る無能」
{netabare}僕の大嫌いな「頑張る無能」=メアリーがお話を分かりやすく引っ掻き回してくれた({netabare}作中ではメアリーが参加する義勇軍の隊長が「働く無能」と言っています。個人的に「働く」という言葉は結果を伴うもので、働ける時点で無能ではないと考えています。なので「頑張る無能」としました。{/netabare})。あまりにメアリーが嫌いすぎて、メアリが何かする度に停止、を繰り返していました(結局、復習視聴ふくめて6回に分け、足掛けひと月かけて視聴しました)。
テレビ版では「プロフェッショナル」の世界を描いていたと思います。グランツ少尉の一件はあったものの、それはプロフェッショナルへと至る過程として描かれていたと思います。
だというのに、なんでこんな中身こどもなアマチュアにフィーチャーしなきゃならんのだ・・・敵役であるメアリーにまるで魅力が感じられず、結果としてそれほどは楽しめませんでした。{/netabare}
― 「できれば殺したかった。いや、殺すべきだったな」
{netabare}これは、ターニャがメアリーとの戦闘後に吐いた言葉。
これはそのまま、視聴者として、そしてできればこの物語の続きを見たいと思う僕の心情そのものです。メアリーとの物語は、ここでおしまいにしてほしかった。
だって、テレビ2期、あるいは、続編映画でまたあのお子様が出てくるのかと思うと。。。去り際の言葉からしても、作者さん彼女の性質を変える気なさそうだし。{/netabare}
― アンソンとメアリー:やってることは大差ないんだけどね。
{netabare}私情に駆られ、復讐心のままにターニャに戦いを挑むもの、という意味ではテレビ版のアンソン、劇場版のメアリーの父娘に行動上の違いはない。でも、親父は自分が私情に駆られていること、自分の行いが他者の迷惑になりうること、所属部隊から見捨てられることもありうる(むしろそう望んでいるようにも思えた)ことなどをわかっている、確信犯的行動として描かれていたように思う。「自分のための復讐」の自覚と覚悟とでもいうべきか。だからこそ、無謀な復讐者として魅力があったのだと思う。
かたやメアリーは、、、である。
もう少しドライな描き方もできははずなんでしょうが、ターニャの対極としてはああするのが簡単だったのかなぁ・・・確かに分かりやすいですが。{/netabare}
・その他
・・メアリー・スー
{netabare}作者さん、わかっていてこの名前にしたのかな?まぁ、復讐と信仰とに陶酔しているって点ではそれっぽいし、保有魔力量はけた違い的な描写も確かにあって「Tuee系」ではあるけれど。あるいは、Mary SueをMary Sueしようみたいなことかしら(テンプレキャラを揶揄してやろう、みたいな感じ)?{/netabare}
・・ロリーなコミー、、、っておい。その人でいいの?
{netabare}ゴルバチョ・・・、あ、チョーさんの演技、やっぱり素敵ですよね。見かけ上の主人公のピンチを作り出すためとはいえ、この登場のさせ方は、、、{/netabare}
{/netabare}