「聲の形(アニメ映画)」

総合得点
88.4
感想・評価
1520
棚に入れた
7480
ランキング
115
★★★★★ 4.1 (1520)
物語
4.2
作画
4.3
声優
4.2
音楽
3.9
キャラ
4.1

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ネタバレ

画王 さんの感想・評価

★★★★★ 4.9
物語 : 5.0 作画 : 5.0 声優 : 4.5 音楽 : 5.0 キャラ : 5.0 状態:観終わった

声だけじゃダメなんだ

 登場人物の掛け合いの一つ一つに意味があり、それらすべてが作品のテーマにつながっていく、脚本・演出・作画ともに見ごたえのある作品です。本作を読み解く上で重要になる、聲と声の違いに注意しながらあらすじを辿ります。
 硝子のヘラヘラ笑顔(by植野)や会話ノートは、聴覚障害で周囲の会話を聞き取れないことから生じる、不安を表す聲です(※1)。友達や先生がその不安の聲に気がついて、硝子をフォローできる余裕があれば、イジメは起こらなかったでしょう。聲に気づかなかった結果、声を使える将也と友達は、声を使えない硝子に苛立ち、ディスコミュニケーションによるイジメ(無視)を始め、将也がそれを暴力に近いイタズラにエスカレートさせます。一方、罪悪感から免れたいイジメ友達は将也に全責任を押し付け、イジメの標的を将也に変えます。イジメられる対象になった将也は、やり場のない怒りを硝子にぶつけ喧嘩します。自分の感情を行動で表現する、怒りの聲です。硝子も自分を理解してくれない悔しさを将也にぶつけましたが、将也が硝子の聲(不安や悔しさ)に気づくことはありませんでした。
 数年後、高校生になった将也は、硝子に謝罪するために再会します。手話を習得し、大切な会話ノートを返してくれた将也に自分への理解を感じた硝子は、友達になりたいという将也を受け入れます。そして、自分のために友達と再会させてくれる将也の行動やユズルが話す将也の姿から、硝子は優しい聲(泣かせたくない)を感じ、将也を好きになっていきます。話すことや聞くことが不得手な硝子は、人の心情を頭で理解するのではなく、心で感じ取ることができるのです。
 しかし、イジメの呪縛は残酷です。将也と友達は、罪悪感に苦しみながら、過去に犯したイジメについて口論(あなたのこういうところがよくない)を始めます。イジメ友達が良心の呵責を共有している時点で、イジメた側の問題は解決しているのですが、みんなが自分の罪悪感から免れるためにお互いの人格を否定しディスり合います(オマエが悪い)。みんなが自分を守るのに必死で、イジメられた側の硝子の気持ちを気にとめる人は誰もいません。ここでも、ディスコミュニケーションを生み出しているのは、皮肉にも、声を使えない硝子ではなく、声を使える将也と友達です。憔悴し友達を拒絶する将也に対して、硝子は何も言えずに泣いていました。自分はみんなを不幸にすると思い詰め、ある覚悟をしていたからです。
 養老天命反転地のデートシーン。将也は硝子の切ない表情に、イジメていたときの表情をダブらせます。将也は硝子の表情から、不安や悲痛の聲を少しだけ感じとれたのです。しかし硝子は、ここから一気にフラグを立てていきます。
 そして、クライマックスの衝撃のシーン。バッドエンドかと思った瞬間、将也の決死の祈りが聲になって硝子の心を動かします。あそこから生還できるのは現実ではありえない奇跡で、回収の仕方がアニメならではの卑怯さです。しかし、硝子が訴えたかった心の叫び聲(不安や悲痛)と、あるがままを見ただけで(祈りの聲を感じて)、そのものの本質を洞察できる硝子の能力を、視聴者にわかりやすく伝えることできるのもアニメならではです。(よい子は絶対にマネしてはいけません、アニメを愛する者の掟です。)
 硝子は、倒れた将也のために友達再結集にむけて行動します。将也が教えてくれた聲(行動)を使って、自分の思いを伝えるために奔走します。その過程で、わだかまりのない硝子の聲を感じることができた友達は、イジメの呪縛から解放されていきます。わだかまりがないというのは、あらゆる聲を感じ取ることができる硝子が、みんなの気持ち(良心)を一番理解していたということです。そして、イジメた側がイジメられた側の気持ちを理解しなければ、イジメは解決できないということです。
 硝子が見ていた夢は、友達に対する不信や憎悪を感じさせない、楽しい小学生時代です。実際はそうではなかったのですが、硝子はそうできるという可能性を友達に感じているのでしょう。そうなるために自分は将也を必要としていると気づいた瞬間、硝子は目を覚まして鯉の橋まで走り、将也を失うかもしれない喪失感に号泣します。それにしても、硝子を心配する将也が、意識不明から目覚めて硝子のもとに駆け付ける行動力はスゴイです。ここまでくると、ハッピーエンドに向けてやりたい放題です。
 自分の気持ちをストレートに表現できる将也の行動力、鯉を愛で、花火を目をつぶって感じることができる硝子の感性(話したり聞くことができなくても、ありのままを心で感じる)、異なる聲を感じることができる2人が惹かれ合うのは自然でしょう(友情ってのは言葉や理屈、それらを超えたところにあると思うんだby永束)。そして、究極かつ同一の目的である生きることを、お互いに手伝ってほしいと思い約束します(※2)。
 文化祭のシーンで、あの植野が硝子の不安を感じ取ってツッコミをいれ、硝子が手話でツッコミを返すコミュニケーションは俊逸です。ラストで将也は、硝子から教わった大切なこと「聲を感じる」ために心を開きます。聲には様々な形があって、人を理解するには声だけでなく、いろいろな聲を使い感じ取ることが必要なのでしょう。
 初見はいろいろキツイところがあって感傷的になりますが、あらすじを知って冷静にセリフを追えるようになると、いろいろな解釈ができるので面白いです。

 ちなみに、竹内先生がクズすぎます。手話に興味を示さない、校長の前で将也を吊るし上げにして、指導してまーすポーズ、硝子が転校して「ヤバいのがいなくなってよかった、っと」。この手の達観した顔して先生やってる奴は多くいますが、文科省がこの作品とタイアップしたことに驚きです。立て続けに2人も転校していくクラスがあったら、今だとPTAが騒ぎだしてアウトだろwww。成長できないまま大人になっちゃた教育者も、将也と硝子を見習えってことなのかな。

追記
※1. 原作のネタバレ本では、友達になりたいという希望を表す聲という設定らしいですが、希望には積極的な行動を伴う必要があると思うので不安としました。
※2. 原作では、硝子本人が鯉の餌やりは自分が必要とされているようでうれしいと語っているそうです。しかし、映画ではそのセリフがカットされていて自分がそこまで深読みできなかったため、おそらく原作と映画で解釈を変えていると考えて鯉を愛でているとしました。映画冒頭で、鯉が泳ぐ水面に波紋が広がるカットがありますが、それは鯉を愛でる心象に聲が響いて広がっていくという描写だと思います。「a point of the light, the shape of voice」は、心に唯一存在していた一点の光(自分の聲)が、いろいろな聲によって光輝き満たされることで、生きる希望になっていくという意味でしょう。

投稿 : 2020/03/20
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サンキュー:

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